今、世界を揺るがす左翼と右翼
最近、香港、ソウル、ジャカルタなどアジアの各地で、政府の方針に反対する市民の大規模な抗議活動が、相次いで起こっています。それは、政府によって国民の自由と民主主義が脅かされていることに対する危機感が、人々に高まっていることが、要因の一つと言えるでしょう。
香港で政府と市民のせめぎあいが激化している
香港では今年4月に政府が、容疑者の身柄を中国本土にも引き渡せるようにする条例の改正案を、立法会に提出しました。6月以降、これに反対する市民の大規模な抗議活動が続き、10月23日の立法会本会議で、香港政府は正式に条例の改正案を撤回しました。
中国の習近平(シー・チンピン)国家主席は11月4日夜、上海で香港の林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官と会談し、「秩序を回復することが香港政府の最重要任務であり、法に基づいて暴力活動を処罰することが香港市民の幸福を守ることになる」と述べました。中国共産党は、香港の情勢を安定させるために、法制度の整備を進める方針を打ち出しています。
11月24日に予定されている区議会議員選挙を前にして、民主派の議員7人が起訴されました。政府や警察が強硬姿勢を示す中で、市民の反発は激しさを増しており、抗議活動に参加する市民が数万人の規模になっています。若者たちは地下鉄の駅や店舗を壊したり、道路にバリケードを築いて燃やすなど、過激な行為に及んでおり、警察は催涙弾を多用しています。
11月4日に行われた抗議活動に参加していた男子大学生が、警察の強制排除の最中に建物から転落して、8日に病院で死亡しました。11日の朝には、抗議活動に参加していた若者たちに警察官が発砲し、男性1人がけがをして一時重体となりました。
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韓国のキリスト者が立ち上がった!
韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は朝鮮労働党の秘密党員であり、文氏を含む韓国内の秘密党員たちが2014年6月15日に北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長(当時、第一書記)に忠誠を誓う「誓詞文」を送っていたーー。軍事評論家でジャーナリストの篠原常一郎氏が月刊『Hanada』10月号(8月26日発売)に書いたこのスクープ記事は、韓国でも大変な反響を呼び、10月に首都ソウルで行われた反文在寅政権デモには、延べ100万人以上の市民が集まりました。
韓国では国民の約3割がキリスト教徒ですが、このデモには、文政権が進める北朝鮮主導の「赤化統一」に反対する大勢のキリスト者が、集結しました。朝鮮戦争で牧師や信徒が信仰のゆえに殺されたことを覚えているキリスト者が、韓国にまだ大勢いるのです。
8月22日に韓国政府は、11月23日午前0時で失効するGSOMIA(日韓軍事情報包括保護協定)の破棄を決定しました。しかし、賛否が二分されていた韓国世論も今やGSOMIA破棄の見直しに傾いており、韓国国防相が公然とGSOMIA維持を訴える始末です。
日米韓の協調が崩れて、韓国が北朝鮮に「献上」され、米軍が韓国から撤退したら、「38度線」が対馬海峡まで下りてきます。これは、日本の防衛上の危機だけでなく、韓国と日本のキリスト者にとっては信仰の危機となりかねません。なにしろ、北朝鮮・金王朝は、本物のキリスト者を見つけ次第、冷凍庫に閉じ込めて殺しているのです。
政治的に「左」とは何か、「右」とは何か
「ソ連や東欧の共産主義国が消滅して、中国の改革開放路線=市場経済化が確立しているのだから、もう政治的に左とか右とか言うのは時代錯誤だ」。そのような意見を見聞きすることもありますが、筆者は、今なお左右の区別は有効であり、重要であると思います。
そもそも「左翼」「右翼」という呼び方は、18世紀にフランス革命期の国民議会で、議長席から見て議場の左側に共和派や急進派が陣取り、右側に立憲君主制を主張する保守派・穏健派が陣取ったことに端を発します。では今日、政治的に「左派」「左翼」とは何でしょうか、「右派」「右翼」とは何でしょうか。
簡単に言いますと、「左派」とは体制の進歩的な改革をめざす「革新派」や「リベラル派」を指します。我々キリスト者が警戒すべきであるのは、聖書的・正統的・福音主義的なキリスト教の信仰・世界観・倫理とそれに基づいて形成してきた社会の秩序・共同体を、根底から覆そうとする「左翼」の思想運動です。唯物史観に立つマルクス主義=共産主義はその最たるものです。同性婚や胎児の中絶を認めようとする北米左翼の運動も恐ろしいものです。
中国のスーパー金持ち【チャイナ・アンセンサード】The Real Crazy Rich Asians of China
マルクスは生きている?
エンゲルス著『フォイエルバッハ論』を読めば、マルクス主義=共産主義が「神の敵」「キリスト教の敵」であることが、誰でもわかるはずです。ヘーゲル左派(青年ヘーゲル派)は〈敬虔主義の正統派および封建的反動派に対する闘い〉をする集団でした(新日本文庫版p.23)。彼らの本質的な攻撃対象は、今で言う「福音派」に他なりません。
以下、この本から重要な部分を引用します。
唯物論は自然を唯一の実在的なものとしている。(p.25)
自然と人間のほかにはなにものも存在せず、より高い存在というものはわれわれの宗教的空想がつくりだしたもので、われわれ自身の本質を空想的に反映させたものにすぎないのである。(p.26)
自然の諸力を擬人化して、そこから最初の神々ができた。…人間の精神が発達するにつれておのずから生じてくる抽象の過程、あるいは蒸留過程と言ってもいい過程によって、多かれ少なかれ制限され、互いに制限しあっている多くの神々から、一神教の諸宗にみられる唯一神という概念が、人間の頭脳に生じきったのである。(p.30)
感覚的に知覚される物質的世界、われわれ自身もこの世界にぞくしているが、これが唯一の現実的なものであって、われわれの意識とか思考とかいうものは、それがどんなに超感覚的にみえようとも、物質的な身体器官、つまり脳髄の産物なのである。物質は精神の産物ではなくて、かえって精神そのものが物質の最高の産物にほかならないのである。(pp.35-36)
人間をうごかすものはすべて、その頭脳を通過しなければならないということは、なんとしても避けるわけにはいかない。(p.43)
かれは、キリスト教の神がたんに人間の空想的反映であり、映像であるにすぎないことを証明している。ところで、このキリスト教の神そのものが長いあいだの抽象過程の産物なのであり、この神よりさらに古い時代の多くの種族の神々や民族の神々の集中された精髄なのである。(p.51)
フォイエルバッハの新しい宗教の核心をなしていた抽象的人間を礼拝することは、現実の人間とその歴史的発展とにかんする科学によって置きかえられなければならなかった。フォイエルバッハを越えてフォイエルバッハの立場をこのように進展させることは、1845年に、マルクスによって『聖家族』のなかで開始された。(p.59)
不破哲三氏は『マルクスは生きている』という本を出していますが、日本共産党はマルクス原理主義をいまだに続けている希少な存在です。新聞赤旗の読者が激減して日本共産党は危機にあり、キリスト者や仏教者など新手を取り込んで生き残ろうとしています。
日本宗教者平和協議会 http://n-syuhei.com/
20171014 池内さおり候補 宗教家の方々候補応援演説@赤羽ボイス
国家神道の復活をめざす人たち
一方、「右派」は「保守派」と言われますが、我々キリスト者が警戒すべきであるのは、国家神道の復活をめざす「右翼」の国粋主義者・民族主義者です。戦後、天皇・皇室は、昭和憲法に規定された「象徴」としての立場を、忠実に守っています。我々キリスト者はそれを尊重するのが良策であり、これを変えて国家神道を復活し、天皇を政治利用しようとする右翼の運動に反対すべきです。
中国と北朝鮮
日本と極東アジアの政治情勢に関して、「戦前と同じようだ」と言う人がいるとしたら、それは余りにも的外れです。中国や台湾、北朝鮮、韓国、日本の政治体制も経済力も軍事力も、戦前とは全く異なります。日本の自衛隊がアジア諸国を侵略することは有り得ず、逆に中国や北朝鮮の軍隊が日本を攻撃し、侵略することが危惧されているのです。
中国や北朝鮮の政治的な思想と体制は「左翼」でしょうか。もちろん共産主義の一党独裁体制ではありますが、思想的には中国と北朝鮮はむしろ「右翼」すなわち国家主義・民族主義が強力であることに注意すべきです。
習近平は第二の毛沢東になろうとしています。彼が目指しているのは、中華思想に基づく華夷秩序の形成です。中国政府がチベットや新疆ウイグルで行っている少数民族に対する弾圧は、非常に大規模で苛烈を極めています。これは仏教徒とイスラム教徒に対する宗教弾圧ですから、我々キリスト者にとっても他人事ではありません。
金日成(キム・イルソン)と金正日(キム・ジョンイル)は「主体(チュチェ)思想」を創りました。これは元来、「思想における主体」「政治における自主」「経済における自立」「国防における自衛」という北朝鮮の国家政策を掲げたものでした。ところが1970年代から、チュチェ思想は金王朝の絶対的権力と世襲を正当化するイデオロギーに変容しました。そもそも金日成は『資本論』などマルクスの著作を、ほとんど読んでいなかったようです。
木はその実によって知られる
カール・マルクスの両親はどちらも、代々ラビ(ユダヤ教の教師)を務めてきたユダヤ人の家系に生まれています。マルクスは、青年時代にルター派のキリスト教信仰を捨てて、悪魔崇拝(サタニズム)の教会に改宗した男です。ヨシフ・スターリンは正教会の神学校で学び、司祭になる一歩手前まで行きましたが、神学校在学中に無神論に転じました。金日成は敬虔なクリスチャンの家系に生まれました。キリスト教と無関係の人よりも、キリスト教信仰を捨てた人や裏切った人の方が、恐ろしいのかもしれません。
彼らはわたしたちから出て行った。しかし、彼らはわたしたちに属する者ではなかったのである。もし属する者であったなら、わたしたちと一緒にとどまってい たであろう。しかし、出て行ったのは、元来、彼らがみなわたしたちに属さない者であることが、明らかにされるためである〉(第一ヨハネ2:19)
知られざるマルクスの真実 サタニストへの転身 --シリーズ【百年紅禍】
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マルクスの超素顔―封印されていた闇の超権力(サタニスト)との関係 (5次元文庫)
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木の良し悪しは、その結ぶ実によって分かります。(マタイ2:33)
ソ連のスターリン、中国の毛沢東、カンボジアのポル・ポトに代表されるように、共産党の独裁・暴政によって奪われた人命は1億人以上です。それも100年足らずの間にです。共産主義は悪魔的な最凶のイデオロギーなのです。
キリストの真理にとどまれ(第一ヨハネ2:18-29)
■聖書朗読 ヨハネの手紙 第一 2章18~29節(新改訳第3版)
18 小さい者たちよ。今は終わりの時です。あなたがたが反キリストの来ることを聞いていたとおり、今や多くの反キリストが現れています。それによって、今が終わりの時であることがわかります。19 彼らは私たちの中から出て行きましたが、もともと私たちの仲間ではなかったのです。もし私たちの仲間であったのなら、私たちといっしょにとどまっていたことでしょう。しかし、そうなったのは、彼らがみな私たちの仲間でなかったことが明らかにされるためなのです。
20 あなたがたには聖なる方からのそそぎの油があるので、だれでも知識を持っています。21 このように書いて来たのは、あなたがたが真理を知らないからではなく、真理を知っているからであり、また、偽りはすべて真理から出てはいないからです。22 偽り者とは、イエスがキリストであることを否定する者でなくてだれでしょう。御父と御子を否認する者、それが反キリストです。23 だれでも御子を否認する者は、御父を持たず、御子を告白する者は、御父をも持っているのです。24 あなたがたは、初めから聞いたことを、自分たちのうちにとどまらせなさい。もし初めから聞いたことがとどまっているなら、あなたがたも御子および御父のうちにとどまるのです。25 それがキリストご自身の私たちにお与えになった約束であって、永遠のいのちです。
26 私は、あなたがたを惑わそうとする人たちについて以上のことを書いて来ました。27 あなたがたの場合は、キリストから受けたそそぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるように、――その教えは真理であって偽りではありません――また、その油があなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。28 そこで、子どもたちよ。キリストのうちにとどまっていなさい。それは、キリストが現われるとき、私たちが信頼を持ち、その来臨のときに、御前で恥じ入るということのないためです。29 もしあなたがたが、神は正しい方であると知っているなら、義を行う者がみな神から生まれたこともわかるはずです。
■説教要旨 「キリストの真理にとどまれ」
現代の社会は次々と新しいものを生み出して、それらを世界中に流通させています。その新しい環境に順応することが適切だ、という価値観が支配的です。宗教・キリスト教の世界ですら、そのような傾向があるかもしれません。
1世紀の地中海世界でも、これに似た現象がありました。パクス・ロマーナ(ローマの平和)と呼ばれる安定した世界秩序のもとで交通や物流が発達し、グローバリゼーションが進行していたのです。使徒ヨハネが宣教の拠点としたエペソ(エフェソス)は、東西の大動脈が通っており、世界の各地から諸々の宗教が流入していました。市民はいつも知的・宗教的な新しい刺激を求めていました。
1世紀後半のキリスト教会では、グノーシス主義と呼ばれる宗教思想が混入して、大きな問題となりました。グノーシス主義は物質や肉体を悪とし、霊魂を善とします(霊肉二元論)。人の霊魂は、神秘的な知識(グノーシス)を得ることによって、肉体という牢獄から解放されて、天に帰ることができる――。これがグノーシス主義の基本的な思想です。悟りによって救われるというのです。
その宗教では、秘密の入会儀式において奥義が授けられ、入会者はグノーシスを得た「霊の人」と見なされます。霊の人は「深み」を知る霊的貴族と自認して高慢になり、まだ奥義を授かっていない者を「肉の人」と蔑みました。
その一派であるケリントス主義者はこう教えました、「イエスは処女から生まれたのではなく、ヨセフとマリアから普通に生まれた人間だが、バプテスマの後にキリストの霊が鳩の形で彼に降った。イエスが苦しみを受ける前に、キリストの霊は彼を離れていた」。このように〈イエスがキリストであることを否定する者〉(2:22)、〈肉体をもって来られたイエス・キリスト〉(4:2)を告白しない霊は〈反キリスト〉(2:18)です。
私たちが信仰と実践の基準とする聖書は、1900年以上経った今も、変わることがありません。使徒ヨハネは、〈あなたがたには聖なる方からの注ぎの油があるので、だれでも知識を持っています〉(2:20)と述べています。この「油」は聖霊の象徴です。〈その油があなたがたに教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです〉。聖書を通して聖霊が証ししてくださるイエス・キリストの真理に、しっかりと、とどまりましょう。
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人の義と神の愛(ヨナ4:1-11)
■聖書朗読 ヨナ書4:1~11(新共同訳)
1 ヨナにとって、このことは大いに不満であり、彼は怒った。2 彼は、主に訴えた。
「ああ、主よ、わたしがまだ国にいましたとき、言ったとおりではありませんか。だから、わたしは先にタルシシュに向かって逃げたのです。わたしには、こうなることが分かっていました。あなたは、恵みと憐れみの神であり、忍耐深く、慈しみに富み、災いをくだそうとしても思い直される方です。3 主よどうか今、わたしの命を取ってください。生きているよりも死ぬ方がましです」
4 主は言われた。
「お前は怒るが、それは正しいことか」
5 そこで、ヨナは都を出て東の方に座り込んだ。そして、そこに小屋を建て、日射しを避けてその中に座り、都に何が起こるかを見届けようとした。
6 すると、主なる神は彼の苦痛を救うため、とうごまの木に命じて芽を出させられた。とうごまの木は伸びてヨナよりも丈が高くなり、頭の上に陰をつくったので、ヨナの不満は消え、このとうごまの木を大いに喜んだ。7 ところが翌日の明け方、神は虫に命じて木に登らせ、とうごまの木を食い荒らさせられたので木は枯れてしまった。8 日が昇ると、神は今度は焼けつくような東風に吹きつけるよう命じられた。太陽もヨナの頭上に照りつけたので、ヨナはぐったりとなり、死ぬことを願って言った。
「生きているよりも、死ぬ方がましです」
9 神はヨナに言われた。
「お前はとうごまの木のことで怒るが、それは正しいことか」
彼は言った。
「もちろんです。怒りのあまり死にたいくらいです」
10 すると、主はこう言われた。
「お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しんでいる。11 それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから」
■説教要旨
アッシリア王国の首都ニネベの人々が悔い改めて、神による処罰を免れたことについて、ヨナは非常に不満であり、彼は怒りを神=主にぶつけました。ヨナにとってアッシリアは祖国イスラエルを脅かす敵国であり、ヨナはニネベの人々の悪行を憎んでいました。ヨナはニネベの滅亡を望んでいたのです。実際その後アッシリアは強大になり、前722年に北王国イスラエルを滅ぼすことになります(列王記下17:6)。
ニネベに関するヨナの考え・感情・態度は間違っていたのでしょうか。それは悪かったのでしょうか。主がヨナに「それは正しいことか」(4:4)と言って、彼を責めたのは、なぜでしょうか。
ヨナが自分の民族・自分の国――とりわけ真の神である主に500年以上も命がけで従ってきたイスラエル――に対して特別な愛情を持つのは、当然です。主を恐れずに悪を重ね、イスラエルを脅かす敵国を滅ぼしてほしい、と彼が願うのも当然です。しかし、主が恵み深く憐れみに富んだお方であるがゆえに、ニネベの人々が悔い改めるならば、主は彼らをお赦しになる。そのこともヨナは予想していました。「これに呼びかけよ」とのご命令、どうしたものか。
ヨナはこの矛盾と葛藤に耐え切れず、〈主から逃れようとして〉逆方向の地中海へ向かいました。その深い海にバプタイズされて、彼は己の死を体験しました。主が〈陰府の底〉〈滅びの穴から引き上げてくださった〉。生きるも死ぬも何もかも、私のすべては主の御手のうちにある――。
魚の腹から吐き出されたヨナは〈主の命令どおり〉ニネベに行って、主の言葉を人々に告げました。すると予想どおり、ニネベの人々は悔い改めて悪の道を離れ、神は思い直して、災いを下すことを中止されました。
すると、ヨナは怒りが込み上げてきてしまったのです。主が為さることは、すべて正しい。けれども自分は納得できない。この現実を呑み込めない。もう「生きているより死ぬ方がましです」と、ヨナは主に訴えました。
ヨナは都を出て、東の方に小屋を建て、その中に座って町の様子をうかがいました。そこは灼熱の太陽が照らす酷暑の地です。〈主は彼の苦痛を救うため、唐胡麻の木に命じて芽を出させ……彼の頭の上に陰を作りました〉。唐胡麻にはつる状の茎と大きな葉があり、数日のうちに大きく生長して、日陰を作ることができます。しかし茎が損傷すると、すぐに枯れてしまいます。
〈翌日の明け方、神が虫に命じて木に登らせ、唐胡麻の木を食い荒らさせたので、木は枯れてしまいました〉。日が昇ると、神は焼けつくような東風を吹かせました。これは砂漠からの熱気を伴った季節風です。ヨナは弱り果てて、再びこう言いました。「生きているよりも、死ぬ方がましです」。
主はヨナを諭しました。「お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びたこの唐胡麻の木さえ惜しんでいる。それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには12万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから」。
ヨナ書は、神に選ばれた民が陥りやすい特権意識と差別について、警告しています。
神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを、望んでおられます。(第一テモテ2:4)。
ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。(第二ペトロ3:9)
私たちは、隣人に対する主の思いを、理解しているでしょうか。主のご意思にかなった言動をしているでしょうか。