KANAISM BLOG ー真っ直ぐに行こうー

聖書のメッセージやキリスト教の論説、社会評論などを書いています。

聖化

序論 千年王国的終末論を問う

キリスト教の終末論と千年王国 彼らは生き返って、キリストと共に千年の間統治した。彼らは神とキリストの祭司となって、千年の間キリストと共に統治する。(ヨハネの黙示録第20章4,6節) 序論 千年王国的終末論を問う 2001年1月1日に我々は新しい千年紀(…

律法と福音 ー ルター神学の根本原理 ー

序論 二つの原理=律法と福音 和協信条・根本宣言・第5条 このように二つの教えが並んでいるのであって、両者はまた並行して、しかも一定の秩序のうちに、正しい区別をもって、与えられなければならない。 すべての人が経験する人生の根本問題は罪と死であ…

「キリストにならって」ペテロ第一2:13~25

【金言】キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。(ペテロ第一2:21) キリストの贖いのわざによって、私たちは天にいます父の子とされ、天国の国民とされた。そして、神と人々を結ぶ祭司の…

「聖なるもの」ペテロ第一1:13~25

【金言】あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なるものとされなさい。(Ⅰペテロ1:15) 私たちがキリストによる救いにあずかったのは、私たちの思いを遙かに超えた、神の計画によることである。それ…

「聖霊のバプテスマ」について

1.キリスト教用語としての「聖霊のバプテスマ」19世紀から20世紀にかけて、欧米のリバイバル運動やホーリネス運動、ペンテコステ運動で「聖霊のバプテスマ」という表現がよく用いられ、その体験が重視されました。日本のきよめ派(ホーリネス派)や聖霊派…

小島伊助 名言集

バックストン、ウィルクスに代表される松江バンド、日本伝道隊、そして日本イエス・キリスト教団の信仰の本質を、教団初代委員長・小島伊助師はズバリ断言しています。 「福音とはただ教理だけではない。福音とは何であるか、すなわち御子イエス・キリストで…

日本伝道隊の活動と神学校教育(日本イエス・キリスト教団のルーツ05)

1.日本伝道隊の設立 1903(明治36)年にバークレー. F. バックストンはパジェット・ウィルクスらと共に英国で、超教派伝道団体「日本ワン・バイ・ワン・ミッション」を結成した。その発端はケズィック・コンベンションにおいて持たれた、一つの小さな集会…

ホーリネス運動とリバイバリズム(日本イエス・キリスト教団のルーツ 04)

この2月に、日本の各地でケズィック・コンベンションが開催されています。日本イエス・キリスト教団の母体である日本伝道隊は、1903年に本場・英国のケズィック・コンベンションにおいて持たれた祈り会から始まったミッションです。ケズィック・コンベンシ…

バックストンは教会形成に関心が無かったのか(日本イエス・キリスト教団のルーツ03)

B. F. バックストンは「教会形成に関心が無く、説教の目標は個人の回心と聖霊による「きよめ」に集中する」という意見があります(山口陽一「日本プロテスタント・キリスト教史における説教」『福音主義神学 第43号』21頁、2012年)。これは全くの誤解です!…

「キリストの律法」ガラテヤ人への手紙6章1~18節

【金言】互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。(ガラテヤ6:2) ガラテヤ書の講解説教を続けてきたが、今回が最終回である。まず、これまでの話を簡単に振り返ってから、今日のテキスト、第6章を見たい。 1.律法への隷属…

関西聖書神学校と日本イエス・キリスト教団の信仰的立場について(日本イエス・キリスト教団のルーツ02)

1.聖書はこう言っている! 「ルターはこう言った。カルヴァンはこう言った。ウェスレーはこう言った。聖書はこう言っている」。 関西聖書神学校の初代校長であり、半世紀にわたって校長を務めておられた沢村五郎師は、このように教えておられた、と私は父…

「御霊による歩み」ガラテヤ人への手紙5章16~26節

【金言】御霊によって 歩みなさい。 そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。(ガラテヤ5:16) 1.肉と御霊 ユダヤから来た<割礼派>の律法主義が、ガラテヤの教会の信仰を蝕んでいた。そこでパウロは、この手紙によって「信仰…

「約束による相続人」ガラテヤ人への手紙3章15~29節

【金言】もしあなたがたがキリストのものであれば、それによって アブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。(ガラテヤ3:29) 1.約束の有効性 パウロはこれまで、律法の行いではなく、キリストに対する信仰によって人は義と認められる、と説い…

キリスト者の聖潔について(マルティン・ルターの著作より)

わたしたちの主であり師であるイエス・キリストが、「悔い改めよ……」[マタイ4・17]と言われたとき、彼は信ずる者の全生涯が悔い改めであることを欲したもうたのである。(ルター『贖宥の効力を明らかにするための討論』提題一、) この悔い改めは、キリ…

キリスト者の聖潔について(ジャン・カルヴァンの著作より)

キリストとの神秘的結合について語られるのを聞くとき。聖潔がそれに至る道であることをわれわれは思いおこすべきである。 聖潔は、われわれがそれによって、神との交わりを獲得する功績ではなく、われわれをキリストに結合させ、彼に従うことができるように…