統一教会問題が保守政治を覆す?
安倍晋三元総理の偉業を覚えつつ、謹んで哀悼の意を表します。
1.安倍元総理銃撃事件の衝撃と余波
7月8日に起きた安倍晋三元総理大臣銃撃事件は日本中また世界中に大きな衝撃をもたらした。山上徹也容疑者(41)の供述によって旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)と自民党の関係がクローズアップされている。山上容疑者の供述は、簡単にまとめると次のようなものだ。
「母親が統一教会に多額の寄付をするなどしてのめり込み、家庭生活がめちゃくちゃになった」
「統一教会を日本に招き入れたのは岸信介元首相だ。だから孫の安倍氏を殺した」
「去年9月、統一教会の代表が設立したNGOの集会に寄せられた安倍元首相のメッセージを見たころに、殺害を決意した」
山上容疑者の母親(69)は1991年頃から旧統一教会の信者となり、入信時に2000万円、それからすぐ後に3000万円、その3年後に1000万円を献金しており、さらに、1998年に実父が亡くなったため、その遺産を処分するなどして4000万円を献金した。母親は合計1億円以上を統一教会につぎ込んで、2002年に自己破産している。母親は破産後も数十万~100万円の献金を繰り返しており、今も信者だ。
山上容疑者の父親は1984年に自殺しており、山上家の子どもたちは母親だけが頼りであったが、母親は子どもたちを置いてたびたび韓国に行き、統一教会の本部に入り浸っていた。山上容疑者は2005年に自殺未遂をしており、彼の兄は2015年に自殺している。あまりにも悲惨な家庭崩壊だ。
山上容疑者が旧統一教会を恨むのは当然としても、彼の攻撃が安倍元総理に向かったのはなぜか。マスコミをはじめ多くの国民がこの疑問を持った。その問題の深掘りが今や安倍氏周辺のみならず、政府や自由民主党を揺るがしている。
旧統一教会は自民党の政治家のために選挙の票集めを行い、選挙ボランティアや秘書などを提供してきた。支援を受けた政治家は、旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)や関連団体のイベントに参加したり祝電を送ったりしており、世界日報(記者はすべて信者)や機関誌にインタビュー記事が載ったり、表紙の写真で登場したりしてきた。大臣や党幹部クラスの大物も含めて100人以上の自民党の国会議員が統一教会とこのような関係を持っており、地方の首長や議員にも旧統一教会と相互依存関係にある人たちがいることが、明らかにされた。
山上容疑者は安倍元総理の祖父である岸信介元総理の名を挙げているが、今回の事件は、戦後長らく続いてきた保守政治を根底からくつがえしかねない動きにまで発展している。
2.統一教会とは
旧「統一教会」という略称で呼ばれることが多いが、この宗教団体の正式名称は「世界基督教統一神霊協会」であった。1954年に韓国のソウルで文鮮明(ムン・ソンミョン、1920年~2012年)氏が創立した新宗教の団体だ。文氏は1994年にこれを「世界平和統一家庭連合」(FFWPU)という新しい組織に改編した(略称は「家庭連合」)。この団体の旧称が表すように、文教祖は「キリスト教のすべての教派を統一する」と豪語した。そればかりか「ユダヤ教、キリスト教、イスラムが一つになり、さらにすべての宗教が一つになる」と説く。
これを誇大妄想の一言では片づけられない。旧統一教会は合同結婚式を異常に重視していたが、彼らは宗教・国家・人種を超えて男女が結ばれることを「交叉祝福」と呼んでいる。交叉祝福によって「多文化家庭」が生まれ、人種や民族を超えた「新しい人間」が生まれて、世界が統一に向かうというのだ。韓国では交叉祝福で生まれた子供たちが数万人いる。母親となったのは日本人女性たちだ。
この思想と活動はグローバリズムのようにも見えるが、根本にあるのは強烈なナショナリズム、韓国中心主義だ。文氏は「韓国が全世界を統一する」と豪語した。旧統一教会と関連団体は、日本や米国をはじめ世界中の政治指導者につながるコネクションを築いた。山上容疑者が述べている、昨年9月に開かれた「統一教会の代表が設立したNGO」(天宙平和連合、UPF :Universal Peace Federation)の集会では、安倍元総理のみならず、米国のトランプ前大統領をはじめ、世界中の国々の指導者たちがメッセージを寄せていた。その背後で旧統一教会の関係団体から彼らにどれほど巨額のマネーが流れたのだろうか!
その時のメッセージで安倍晋三元総理はこう述べている。
世界各地の紛争の、とりわけ朝鮮半島の平和的統一に向けて努力されてきた韓鶴子(ハン・ハクチヤ) 総裁をはじめ、 皆様に敬意を表します。
韓鶴子氏(79)は文鮮明氏の妻であり、世界平和統一家庭連合の総裁となっている。2012年9月の文鮮明氏の死後、莫大な遺産をめぐって後継者争いが起こり、旧統一教会は分裂した。文鮮明氏の七男・文亨進(ムン・ヒョンジン)氏(42)は2015年に「サンクチュアリ教会」を創設しており、三男・文顕進(ムン・ヒョンジン)氏(53)は2017年に「世界家庭教会」を創設している。
3.統一教会の異端性
日本のメディアでは「旧統一教会はキリスト教系新宗教」と言われることが多い。ここでその事情を説明する。
文鮮明氏は1920年2月25日に現在の平安北道定州郡で出生した。本名は文龍明だ。当時、朝鮮は日本の統治下にあり、その地は終戦後、北朝鮮領となった。文氏の大叔父が牧師であったことからその影響で、文氏が10歳の時に家族全員が長老派のキリスト教会に入信した。「15歳の時に山で夜通し祈ったところ、明け方にイエス・キリストが現れて、苦しんでいる人類を救う使命を私に託した」と文氏は述べている。
文氏は1938年、18歳の時に京城(ソウル)に出て、京城商工実務学校で学び、イエス教会所属の教会に通った。イエス教会は、メソジストの牧師であった李龍道(イ・ヨンド)氏が1933年に設立した宗教団体だ。李龍道氏は血分け教(混淫派)の開祖と言われる。その思想は次のようなものだ。
人類の母であるエバは、蛇の姿をしたサタンと姦淫して、サタンの血を受けた。それ以来、人類は皆サタンの血を受け継いで汚れている。女性たちは、新しい聖霊を受けた救世主的指導者と性交することによって清められ、原罪の無い子供を産むことができる。
統一教会では、文鮮明氏がその救世主=再臨のキリストであり、信者は合同結婚式で文鮮明氏から「祝福」を受けることによって血統が浄化される、と説いている。このような血分けの教えは、聖書にもキリスト教文献にも全く無い。
加えて、李龍道氏が説いた「恨」(ハン)の教えも統一教会の教義に取り込まれ、「恨」は統一原理においてキーワードの一つとなっている。「恨」とは弾圧された民衆の怨恨であり、解かれるべきものだ。これは朝鮮の民俗宗教である巫俗(ふぞく、ムーソク:朝鮮のシャーマニズム)に由来する思想であり、巫女が行う「恨プリ」は鎮魂儀礼の一つである。統一原理では次のごとき教えを説く。
アダムとエバが善悪を知る木の実を取って食べたというのは、ふたりが性関係を結んだことを意味する。個性を完成させるという責任を果たす前に性関係を持ったために、人間は堕落してしまい、神との親子関係が断ち切られてしまった。我々は、そのことによる「神の恨」を「蕩減復帰」しなければならない。蕩減復帰とは罪を帳消しにして、人間が創造されたときの状態、すなわち神の子に戻ることだ。そのためには人間の側にも果たすべき分があり、信者は「蕩減条件」を立てて、それを達成するために努力しなければならない。
プロテスタントでは、人間の罪が赦され、清められるのは、イエス・キリストが成し遂げた贖罪に基づいて与えられる神の「恵みのみ」によるのであり、それを受けるために人間に求められるのは「信仰のみ」だ。ところが、統一原理ではなんと、文鮮明氏や信者たちの「蕩減復帰」によって「神の恨」を解く、というのだ。恐ろしく傲慢な宗教だ。
キリスト教とはイエスをキリストと信じる宗教であり、再臨とはイエス・キリストが再び地上世界に来臨することだ。文鮮明氏を再臨のキリストと信じる統一教会は、明らかに異端だ。異教や邪教と言った方が良いくらい、その教義はキリスト教からかけ離れている。
政治家の方々も今や、宗教について、またカルト問題について無知であることが許される時代ではないということを、理解すべきである。
文鮮明 - Wikipedia Hero Dictionary
創始者 文鮮明総裁・韓鶴子総裁|家庭連合とは|世界平和統一家庭連合 | 世界平和統一家庭連合 公式サイト
『幸福への「処方箋」12』光言社
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=2631
古田富建 著 『「恨」と統一教』(東京大学学術機関リポジトリ)
https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/records/30477#.YxuCjHZBxhE
新型コロナウイルス未だ恐るべし!
連休初日の今日、7月23日に確認された新型コロナウイルスの新規感染者数は
全国で981人に上り、2日連続で過去最多を更新しました。
東京都で366人、愛知県で98人、福岡県で66人と過去最多となり、
大阪府では104人で、過去最多だった22日の121人に続いて100人を超えました。
全国の感染者数の累計は2万7524人になりました。
www.asahi.com
新型コロナウイルス(病名はCOVID-19、ウイルス名はSARS-CoV-2、以下「新コロ」と略す)感染拡大の問題について、私は以下のように認識しています。「新コロをむやみに恐れ過ぎてはいけない」。そのとおりですが、まだ「正しく恐れなければならない」段階だと私は思っています。
最近、次のような意見を見聞きします。
【A】発表されている「感染者数」はPCR陽性者判明数だが、PCR検査では、感染していない人が陽性とされ、感染している人が陰性とされる確率が小さくない。
【B】PCR検査数が増加したのだから、PCR陽性者判明数が増加するのは当然だ。
【C】4月まではPCR検査の対象は有症状者のみであったが、現在は無症状者も含めて全員検査をしているのだから、統計上、感染者数が増加するのは当然だ。
【D】感染者数だけでなく、むしろ重症化した人数や死亡者数の方が重要だ。
【E】日本では、自然免疫によって新コロ感染者の98%が無症状または軽い風邪程度で済んでおり、重症例は少数だ。
【F】日本での新コロによる死亡者数は約1000人で(7月20日現在)、欧米の100分の1程度だ。
【G】日本は医療・保健・介護の体制が優良であり、国民の衛生・健康の意識が高いので、クラスター対策に成功している。
【H】最近の感染者は若者が多いので、重症化や死亡に至る人は少ない。
【I】日本国内で、例年のインフルエンザの感染者数は推定約1000万人、インフルエンザによる年間死亡者数は214人(2001年)~1818人(2005年)、インフルエンザ関連死の年間死亡者数は約1万人いる。新コロを特別視する必要は無い。
【J】新コロの感染者数の増加だけを声高に発表して、報道するのは、必要以上に国民の不安を煽っており、不適切だ。
toyokeizai.net
特番『衝撃!日本では既に”集団免疫が達成”されている!?』ゲスト:京都大学大学院医学研究科特定教授 上久保靖彦氏
これらのご意見の多くは、現時点では正しいと思います。しかし、まだ「油断はできない」と思います。そして、新コロの感染は、インフルエンザの感染とは大きく異なる、と思います。その理由は次のとおりです。
【理由1】まだワクチンができていないから。
【理由2】広く有効性が確かめられた特効薬がまだ無いから。
【理由3】基礎疾患を有する高齢者に重症例が多くて、肺を中心に多臓器の重篤な障害により死に至るケースがあるから。
【理由4】インフルエンザのウイルスは毒性が強くてすぐに症状が出るのに、新コロは毒性が弱い。インフルエンザのウイルスは潜伏期間が2日間と短いのに対して、新コロは潜伏期間が最長で14日間に及ぶ。そのため、感染した本人が気づかないまま、他人に感染させてしまうから。
【理由5】感染した若者たちが動き回って、高齢者や持病のある人などに新コロを感染させる可能性があるから。
【理由6】新コロが変異することによって、これまでの「中国・武漢型」や「イタリア・アメリカ型」とは異なり、日本でも重症化する人や死亡する人が急増する可能性があるから。
【理由7】新コロは、東南アジアや南アジアでも大勢の感染者・死亡者が出ており、気温や湿度の変化に関係なく夏でも流行する可能性があるから。
【理由8】東京圏は人口密度が極端に高いため、「3密」を形成する条件が揃っている場所が多いから。
【理由9】東京圏・大都市圏・地方圏で状況が大きく異なっているため、社会的な分断や混乱が生じやすいから。
【理由10】クラスターが発生した場合に生じる社会的影響が非常に大きいため、事業者は信用失墜につながりかねないから。
【理由11】「インフルエンザで1万人が死亡」というのは「関連死」であって、同じ期間では新コロの方がインフルエンザよりも死亡者数が多くなる可能性があるから。
今、非常に多くの事業者が経営危機に瀕しており、非常に多くの国民が生活に困窮しています。日本経済を回していくことは緊急の超重要な課題です。
それゆえ全国一律で「All or Nothing」の緊急事態宣言を発令する必要は、もはや無い、と思います。状況に応じて、地域ごとに対応を変えていく必要があります。
よって、各自治体の首長の賢明なリーダーシップが期待されるでしょう。もちろん、それを支える専門家や地域の人々の知恵と力の結集が必要です。
smart119.biz
www.mhlw.go.jp
https://www.mlit.go.jp/kankocho/content/001351403.pdf
中共はなぜ、閻麗夢氏を恐れているのか?中共ウイルスの「ファイアウォール」を覆す前哨戦
疫病の黒幕を明らかにするために米国に亡命した閻麗夢氏 テドロスの涙は嘲笑の的
疫病感染スピードは驚くほど速い 正しいことをする
緊急提言・エピセンター新宿を制圧せよ~まずは30万人PCR検査から【新型コロナと闘う 児玉龍彦×金子勝】20200717ためには時間が足りない
自分らしく生きるために(マタイ11:28-30)
2020年7月19日「自分らしく生きるために」マタイ11:28-30
■聖書 マタイによる福音書11章28-30節
<新共同訳>
28 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
29 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。
そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
30 わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。
<金井試訳>
28 疲れ果てているのに、
ずっと(律法の)重荷を負わされている人は皆、
私のところに来なさい。
休ませてあげます。
29 私は優しく謙虚な心で生きていますから、
私のくびきを(一緒に)かついで、私から学びなさい。
そうすれば、あなたがたのたましいは休息を見出します。
30 なぜなら、私のくびきはピッタリと合っていて、
私の(教えは)荷が軽いからです。
■説教 「自分らしく生きるために」
イエス・キリストは私たちにとって、どのようなお方でしょうか。もちろんイエス・キリストは、天地万物を創造した永遠におられる神であり、贖いのわざを成し遂げた私たちの救い主です。これ以上ない偉大なお方です。私たちはイエス・キリストを尊び、礼拝しています。
けれども、イエスは天の最も高いところに君臨する王であるのみならず、霊的にはいつもこの世で私たちと共に歩んでくださる教師であると、聖書は教えています。それは具体的には、どういうことでしょうか。今日は、よく知られているマタイによる福音書11章28-30節の御言葉から、このことについて学びたく思います。ギリシア語の原文にできるだけ忠実な訳文を書きましたので、参考にしてください。
このテキストには、主イエスが語られた三つの命令が記されています。
第一は「私のところに来なさい」、
第二は「私のくびきを一緒にかつぎなさい」、
第三は「私から学びなさい」です。
この三つに分解して、お話しします。
1.私のところに来なさい
紀元1世紀にユダヤとガリラヤの各地にあるユダヤ教の会堂(シナゴーグ)で指導者となっていたのは、ファリサイ派と呼ばれる人たちでした。「ファリサイ」という言葉は「分離した者」という意味だと思われます。穢れたものから自分たちを分離する、いわば清め派といったところでしょう。
その中でも旧約聖書の律法を専門的に学んだ人たちは律法学者と呼ばれ、会堂の礼拝だけでなく、会堂に付設された学校でも律法を教えていました。そのルーツは、バビロン捕囚から解放されてエルサレムに帰還したユダヤ人が主の神殿を再建した(紀元前515年)後に、宗教改革を断行した偉大な祭司エズラである(紀元前458年以降)と考えられています。
主イエスが地上で宣教をなさった紀元27年から30年頃には、律法学者やファリサイ派の人々は、民衆に膨大な数の戒律を課しました。口伝律法と言いますが、それは聖書に記された律法の何倍、何十倍にも増えていきました。そして彼らは、戒律を守らない人々=守れない人々を、「罪人」として社会から排除したのです。
これに対して主イエスは断固として反対して、彼らの律法主義を厳しく批判されました。
あなたたちは、自分の言い伝えのために神の言葉を無にしている。(マタイ15:6)
彼らは盲人の道案内をする盲人だ。盲人が盲人の道案内をすれば、二人とも穴に落ちてしまう。(同15:14)
たとえば、安息日にイエスの弟子たちが麦畑を通った時に、彼らはお腹が空いていたので、麦の穂を摘んで食べました。すると、ファリサイ派の人々は「あなたの弟子たちは安息日にしてはならないことをしている」と言って、イエスを批判しました(マタイ12:1-2)。麦を摘んだことは「収穫」、麦の実を殻から取り出したのは「脱穀」、実を手で揉んだのは「調理」で、安息日に禁じられた労働だ、というわけです。
律法学者やファリサイ派の人々は〈背負いきれない重荷をまとめ、人の肩に載せるが、自分ではそれを動かすために、指一本貸そうともしない〉のです。(マタイ23:4)。主イエスは、そのような律法の〈くびき〉(使徒15:10)から人々を解放されました。
貧しい人や罪人、病人、障がい者、女性、子どもなど、ユダヤ教会で軽んじられた人々は、イエスのもとに集まりました。幼な子のように無心に主を求める彼らに福音が啓示されたのは、父なる神の御心にかなったことでした(マタイ11:25-26)。
主イエスは今も招いておられます。
疲れ果てているのに、
ずっと律法の重荷を負わされている人は皆、
私のところに来なさい。
休ませてあげます。
私たちも様々なルールや慣行によって「しなければならないこと」が山積しており、できないことを責められている、あるいは自分で自分を責めているのではないでしょうか。
疲れ切った時は、無理せず休むしかありません。〈安息日の主〉(マタイ12:8)であるイエスは、私たちの霊も心も体も理解しておられ、必要な休息を与えてくださいます。主イエスは、みもとに来る人を、だれでも受け入れてくださいます。私たちも主イエスのみもとに近づきましょう。
2.わたしのくびきを一緒にかつぎなさい
続いて主イエスはこう言われました。
私は優しく謙虚な心で生きていますから、
私のくびきを一緒にかついで、私から学びなさい。
そうすれば、あなたがたのたましいは休息を見出します。
なぜなら、私のくびきはピッタリと合っていて、
私の教えは荷が軽いからです。
〈くびき〉は二頭の雄牛の首にかけて、車や鋤(すき)を引かせる道具です。イエスは青年時代にナザレで大工をしておられました。当時の大工は、木工に関わる仕事は何でもしました。「私が作るくびきは、あなたにピッタリと合っていて楽だよ。私の大工の腕は一流だから」とイエスは言っておられるのです。
〈くびき〉が体型に合っていないと、雄牛は首がくびきに擦れて痛み、疲れてどうしようもなくなります。私たちは、自分に合わない仕事や生活のスタイルを続けて、無理をしていないでしょうか? 心や体が痛みを訴えていないでしょうか? あるいは解決していない罪のために、あなたの霊が痛んで、叫び声をあげていないでしょうか?
私たちの霊と心と体を創造した主は、私たちの不具合を理解しておられ、必要な休息と治療を勧めてくださいます。疲れた時は静かに休んだら良いのです。痛んだら、サインが出ているのですから、ちゃんと治療をしましょう。
元気が回復したら、また歩き出しましょう。自分にピッタリと合った新しい〈くびき〉を付けて!
3.私から学びなさい
この世で生きていく以上、人は誰でも、負わなければならない〈荷物〉があります。私たちがキリスト者になったからといって、〈荷物〉が無くなるわけではありません。私たちは自分の家庭や職場、地域社会、親族、教会、交友関係、社会的立場、役割から離れることが、容易にはできません。けれど、〈私の荷は軽い〉と主イエスは言われます。キリスト者は旧約聖書の律法から自由にされました。キリストによって与えられた真理が、私たちを自由にしたのです。
真理はあなたがたを自由にする。(ヨハネ8:32)。
この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。(ガラテヤ5:1)
そして、もう私たちは独りで荷物を負うことがありません。〈くびき〉は二頭で負うものです。主イエスがあなたのパートナーとなり、あなたの荷物を共に負って歩んでくださるのです。主イエスはこう言っておられます。
私は優しく謙虚な心で生きていますから、
私のくびきを一緒にかついで、私から学びなさい。
主イエスは、私たちの人生の最高のコーチです。主はあなたのペースに合わせて一緒に歩きながら、良い手本を見せてくださいます。そして、いろいろな局面で一つ一つアドバイスを与えてくださいます。私たちが聴く耳を持っているなら、主イエスはいろいろな方法で私たちに語りかけてくださるのです。私たちキリスト者はキリストの弟子として、キリストを見習いながら、キリストに聴いて、成長していきます。
旧約聖書の律法は〈キリストの律法〉によって完成されます。
兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、その自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。律法全体は「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。(ガラテヤ5:13-14)
互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです。(ガラテヤ6:2)
主イエスのごとく〈優しく謙虚な心で〉生きていく者となりたいですね。