KANAISM BLOG ー真っ直ぐに行こうー

聖書のメッセージやキリスト教の論説、社会評論などを書いています。

「死後の報い」ルカ16:19-31

【金言】しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。
                                                                     (ルカ16:25)

 

神は人に永遠を思う心をお与えになった(伝道者の書3:11)。
そのため人は死後の世界に思いを馳せるが、世に流通する誤った知識に翻弄されやすい。
私たちは聖書の確かな啓示の光に導かれて、死後の備えをしたい。

 

1.世の富か永遠の慰めか

 

ここでイエスは、たとえを用いて死後の世界をかいま見せておられる。
ある金持ちと貧乏人ラザロは対照的である。

①金持ちは王侯貴族の衣服を着ていたが、ラザロはできものだらけの醜い肌をさらしていた。
②金持ちは豪邸に住んでいたが、ラザロはその家の門前で寝ていた。
③金持ちは毎日ぜいたくに遊び暮らしたが、ラザロは飢えて物乞いをしていた。
④二人は死んだ。金持ちは葬られたが、ラザロの葬式は無い。しかし、ラザロは天使によって天上に連れて行かれた。
⑤金持ちは<ハデス>(よみ)に行った。ラザロは<アブラハムのふところ>に行った。これは最後の審判まで続く中間状態である。
⑥金持ちは火炎の中に置かれた。ラザロは水辺にいる。
⑦金持ちはもだえ苦しむ。ラザロは慰めを受けている。

世の富か永遠の慰めか。あなたはどちらを選ぶのか?

 

2.目に見えるしるしか聖書の御言葉か

 

金持ちは、ラザロを自分の兄弟に遣わすよう、アブラハムに願った。
死者が現れたら驚いて警告を聞くだろう、と考えたのである。
しかし、ユダヤ人は<死人の中から生き返った>イエスを信じなかった(使徒2:31、Ⅰペテロ3:19)。
信仰は、目に見えるしるしではなく、聖書の教えによって生まれる(29)。

見ないで信じる人は幸いである。

 

3.自己愛か隣人愛か

 

この金持ちの過ちは、自分の家の門前にいる貧者を見殺しにしたことである。
利己的で憐れみの心を閉ざす者には天国との間に<大きな淵>が置かれる。
現世と来世は無関係ではない(12:33)。
主は、真実に隣人を愛する人の友となられる。

 

天国人にふさわしく歩もう。