KANAISM BLOG ー真っ直ぐに行こうー

聖書のメッセージやキリスト教の論説、社会評論などを書いています。

「給仕する者のように」ルカ16:19-31

【金言】 治める人は仕える人のようでありなさい。(ルカ22:26)

 

私たちは、キリストに結ばれて一つの体を形成するために神に召されている。
教会人のあり方について学ぼう。

 

1.若輩者のように

 

主イエスは、この地上に御自身の教会を建てるために弟子たちを選び、生活を共にしつつ彼らに訓練をお与えになった。
しかし、主が敵の手に渡される直前になってもなお、彼らは主の計画を悟らなかった。
彼らは、イエスが政治的軍事的な王となって、自分たちが権力者にのしあがることを期待していたのである。
主が聖餐を定められた過越の食卓で、弟子たちは
「誰が一番偉いか」
と言って争論を始めた(24)。
そこで、イエスは彼らをいさめられた。
当時、ユダヤとガリラヤでは異邦人の王が民を支配して、権力を振るっていた。

ところが、その王は民に自らを「恩人」と呼ばせていた(24)。
しかし、イエスは弟子たちに
「あなたがたはそれではいけない。

あなたがたの中で一番偉い人は一番若い者のようになれ」
と言われた。

 

2.給仕する者のように

 

さらに主は
「治める人は仕える人のようであれ」
と言われた(26)。
「若い者」、「治める人」、「仕える人」は後に教会における職名となった。
主イエスは自ら弟子たちに給仕をして、教会のリーダー・役員のあり方について模範を示されたのである。
キリスト者の生涯は「仕える」ためにある。
自らの名誉や利得ではなく、隣人の救いと教会の祝福のために仕える者でありたい。

 

3.神の権威によって

 

主の命令には大きな報いが伴っている。
御父が御国を御子イエスに委ねられたように、イエスも御国を弟子たちに委ねられたのである(29)。
「イスラエル12部族」(30)だけではない。
全世界の民が教会に委ねられている。
私たちはただ主を恐れ、主と同じ心を持たせていただいて、永遠の御国の建設に用いていただきたい。