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『教会福音讃美歌』について

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教会福音讃美歌


『教会福音讃美歌』という新しい讃美歌集が発行された。これを見て、疑問に思ったことがある。

 

(1)なぜ文語体の「主の祈り」や「使徒信条」がそれぞれ二つずつ掲載されているのか? 『讃美歌21』のように文語体と口語体で違う形のものが複数あるというのなら良いが、わずかな違いしかない文語体のもの二つを載せるというのは、いかがなものか? 実際に、礼拝などで使用するときに、会衆は戸惑うのではないか?

 

(2)その二つは、過去の讃美歌集・聖歌集が作られたときに、著作権の関係で一部を変えた、という事情があったように記憶している。今回なぜこれを統一しなかったのか? これは、組織的な一致が無いこと、神学的な一致が無いこと、讃美歌集の根拠・骨格となる礼拝論が確立していないこと、すなわち、その讃美歌集が寄せ集めに過ぎないことを露呈しているのではないか?
 
(3)せっかく新しい讃美歌集を出すのなら、「主の祈り」や「使徒信条」は口語体のものを載せるべきではなかったのか? 1997年に発行された『讃美歌21』には口語体のものがそれぞれあるのに、これでは進歩でなくて後退だ。
 

(4)「主の祈り」の口語体を載せなかったのは、2016年に新改訳聖書の第4版を発行する予定があるためではないか? まだその改訂版の訳文が確定していないために、載せられないということだろう。そうだとすると、聖書と讃美歌集を出す順番が逆なのではないか? 新改訳聖書の第4版を発行した後に、教会福音讃美歌の改訂版も発行するということになるのか?


(5)「主の祈り」や「使徒信条」の和訳文については、ローマ・カトリック教会聖公会日本基督教団等の諸教派・諸教団・諸グループと調整し、一致させていく努力も必要ではないか? 聖書や讃美歌集はキリスト教会において「公用」とされるべき性格のものだ。その発行において「公同性」が問われるのは当然だ。その考えが無いとすれば、「セクト主義」のレッテルを貼られても仕方が無いだろう。

(6)要するに、「主の祈り」や「使徒信条」については、議論が不十分であるために、課題が未消化なまま、従来使用してきたものを二種類そのまま載せるしかなかった、ということだろう。あるいは、この讃美歌集を編集した教団・グループでは、礼拝において「主の祈り」や「使徒信条」を使用していない地域教会が多いので、これらは重視していないということだろうか?
 

(7)交読文が無いのはなぜか? これを使う教会では聖書を使って交読をしているのか? それには不都合は無いのか? あるいは礼拝の中で詩篇等の交読をしなくなっているのか?

 

(8)この讃美歌集は、日本の福音派において代表的な出版社である「いのちのことば社」から発行されているが、はたしてどれだけの教派・教団・グループ・地域教会がこれを採用するだろうか? 福音派の教会では、すでに『新聖歌』が広く普及している。福音派の教職・信徒が讃美歌において分裂して、同じ歌詞で歌えない状態となるのは、讃美というものの性格からいって、好ましいことだろうか? これを出した人たちは、キリスト教会の公同性について考慮・配慮をしているのだろうか?

 

(9)『新聖歌』は事情により教文館から発行されている。これは日本福音連盟が編集したものであり、『聖歌』の伝統を受け継ぐものだから、いのちのことば社から発行したら良かったのではないか?

(10)実は、私は、日本伝道会議のある集会で、これらの問題に関係することを指摘したのだが、関係者の方々には理解していただけなかったようだ。急がずに、もう少しよく検討してから出されたら、良かったのではないか?

 

「研究ノート『新聖歌』の編集に携わって――その過去・現在・未来」天田 繋

http://www.evangelical-theology.jp/jets-hp/jets/paper_in_printable/035-4_in_printable.pdf

 

讃美歌21の検討と評価

 

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