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「律法から自由な愛へ」ガラテヤ人への手紙5章1~15節

【金言】兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。(ガラテヤ5:13)

 

1.割礼は要らない

 

キリストの贖いによって、異邦人も罪が赦され、神に義と認められ、神の子とされて、律法の奴隷状態から解放された。だのに、その<自由>を奪い取って、彼らを律法の奴隷状態に引き込もうとする、ユダヤ人の<にせ兄弟たち>がいた。その分かれ目は<割礼>である。

 

割礼は、神がアブラハムに命じた儀式であり、選民イスラエルユダヤ人のしるしであった(創世記17:10-14)。ユダヤ人の<にせ兄弟たち>は、割礼を受けて律法を遵守しなければ神の民ではない、と考えており、それゆえ彼らは異邦人キリスト者に割礼を強いたのである。

 

割礼の後には律法に束縛される生活が続く。律法は、誰も救われることができない、旧いシステムである。それゆえパウロは、割礼を受けることを禁じたのである。

 

2.かき乱す者を警戒せよ

 

パウロは、この<割礼派>を非常に警戒し、厳しく対決した。彼らは悪い<パン種>であり、わずかの量でも<こねた粉>(教会)の全体を発酵させる。「そんなに体を傷つけたいのなら、あなたがたは自ら去勢をしたらいい」と、パウロは激しく批判した。

 

福音の<真理>を守ることにおいて、妥協は許されない。なぜなら、人々の救いがこれにかかっているからである。

 

3.愛をもって互いに仕えよ

 

「律法から自由になるのは、肉が働く機会を与えるだけであり、悪い結果を生む」。<かき乱す者>たちは、このように主張していたようである。そのためパウロは異邦人信徒たちに、<あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい>と教えた。

 

律法の本来の目的は、人々が全身全霊をもって神を愛し、己のごとく隣人を愛するようになることである(レビ19:18)。これは、キリストにあって自由とされた者において、御霊によって実現する恵みである。

 

マルティン・ルターは『キリスト者の自由』の冒頭で、こう述べている。「キリスト者は、全てのものの上に立つ自由な君主であって、何人にも従属しない」「キリスト者は、全てのものに奉仕する僕であって、何人にも従属する」

 

キリスト者の生涯は、仕えの道である。真実の奉仕は、ただ愛ゆえに動かされる、自発的で自由なものである。ただし、より良い奉仕をするためには、訓練も必要である。

 

神から賜る愛によって互いに仕える者でありたい。