カナイノゾム研究室

聖書のメッセージや社会評論などを書いています。

「王なるキリスト」マタイの福音書2章1~8節

【金言】その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。そしてその家にはいって、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。マタイ2:10~11) 

 
約束された救い主が来られたにも関わらず、その時、このお方にお会いした者はわずかしかいなかった、と聖書は伝える。これは他人事ではない。私たちは主の再臨にどのように備えるべきか、共に学びたい。
 
1.彼らは待ち望んだ
 
キリストの降誕を喜び、礼拝に行ったのは、なんとユダヤ人ではなく異邦人であった。バビロニアあるいはペルシャの博士たちである。原語の「マゴス」はゾロアスター教の祭司を指す。彼らは天文学=占星術に長けており、いつも夜空を観測しつつ、救世主のしるしの星を待ち望んでいた。
 
主にまみえることができるのは、主を待ち望む人だけである。私たちは、主を待ち望む生活をしているだろうか。世の雑事に追われつつも、預言の言葉に心を留めて(第二ペテロ1:19)、キリスト再臨のしるしを確かめながら、主の日に備えよう(マタイ24:33)。
 
2.彼らは尋ね求めた
 
博士たちは砂漠を越えて、1千キロ以上の旅をした。彼らはエルサレムでヘロデ王に接見して、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか」と尋ねた。祭司長、律法学者たちは、「ユダヤのベツレヘムです」と答えた。彼らは知っていたのである(ミカ5:2~4)。しかし、彼らはキリストのもとへ行こうとはしない。
 
信仰は知識だけでは不十分である。私たちの信仰には行いが伴っているだろうか。彼らの熱心に応えて、神は彼らに不思議な星の導きをお与えになられた。求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん(マタイ7:7)。
 
3.彼らは礼拝した
 
博士たちはついに救い主にお会いすることができた。彼らは喜びにあふれ、ひれ伏して幼きキリストを礼拝し、高価な献げ物をした。
 
私たちの目標は天上の礼拝である。最高のお方には、最高のものこそ、ふさわしい。いとも良きものを、主に献げよ!