カナイノゾム研究室

聖書のメッセージや社会評論などを書いています。

臨死体験は死の体験ではない!

天国は、ほんとうにある―天国へ旅して帰ってきた小さな男の子の驚くべき物語

『天国は、ほんとうにある―天国へ旅して帰ってきた小さな男の子の驚くべき物語』
著:トッド・バーポ、リン・ヴィンセント、 訳:阿蘇品友里 (2011/10/17)

 

この本は、アメリカや日本のクリスチャンの間で、結構、話題になっているようです。しかし、「聖書」を真理の基準とする正統的なキリスト教の立場から見ると、この本の内容には多分に問題があります。皆様の「感動」を否定するつもりはありません。お節介かもしれませんが、以下、あえてご忠告いたします。

 

「天国へ旅して帰ってきた小さな男の子」の話の内容は、立花隆の『臨死体験』によく出てくるような体験談です。著者はアメリカのウェスレアン教会の牧師ということですが、臨死体験をした息子もこの牧師も、その体験やそれについての解釈に、自分たちの持っている偏った世界観が反映されていることに、気づいていません。

 

臨死体験 near-death experience をした人は、死の手前まで行ったのでしょうけれど、完全に死んだわけではありません。ですから、死後の世界を本当に知っているとは言えません。死後の世界を語りうるのは、完全に死んで、死者の世界から復活した、イエス・キリスト以外にいません。

 

臨死体験者が語る内容に真実が含まれていたとしても、真実ではない内容、悪魔が注入した内容も含まれているかもしれません。その話に真実が含まれていれば、なおさら、読者は真実ではない部分まで信じてしまいがちです。

 

正統的なキリスト教信仰とは、聖書のみを絶対的な真理の基準とする、ということです。それは裏返せば、聖書以外のものはずべて相対的であり、疑うべきものだと言えるでしょう。

 

この本の内容で問題を感じる事柄を、具体的に挙げてみます。

・コルトン(臨死体験をした少年)は、イエスや洗礼者ヨハネと個人的な親しい交わりを持った、と言う(p.110, 123)。

・コルトンは、イエスの顔や外見について細かく語る(p.113-117)。

・アキアナという少女が描いたイエスの顔の肖像画が「本人」と合っている、とコルトンは言う(p.114, 234-240)。

・神の王座、そこに着座される神、その隣に座るイエス、天使ガブリエルを見た、とコルトンは言う(p.173-175)。

・天使はいつも剣を持っており、サタンを天国から排除している、とコルトンは言う。サタンも見たと彼は言う(p.221-224)。

・天国にいる人はみな羽があり、飛ぶ、とコルトンは言う(p.124)。

・コルトンは、天国で曾祖父や流産で死んだ姉に会った、と言う(p.152-156, 164)。

・コルトンは、「イエスといい人たち」が「サタンとモンスターと悪い人たち」と戦って、勝つのを見たと言う(p.226-231)。

・著者は、その戦争を「アルマゲドンの戦い」のことと理解している(p.230)。

 

聖書は、死後の世界、天国やよみ(ハデス)、地獄(ゲヘナ)について多くを語ってはいません。死後の世界については、ほんの少し、かいま見る程度にしか、我々に知らされていないのです。人間が現世にあって知るべきではない神秘の領域だからでしょう。

 

それでよいのだと思います。だから「信仰」が必要なわけです。「信仰とは、望んでいることがらを確信し、まだ見ぬ事実を確認することです」(ヘブル11:1)

 

神が隠しておられる領域まで知ろうとしたり、言広めたりするのは、危険な行為です。宗教改革者ルターやカルヴァンは「隠れたる神」に対する恐れを強調して教えています。彼らが設けていた「歯止め」を、後の人々は、現代に至るまで、どんどん外しています。

 

スウェデンボルグのように霊界の様子を延々と語るなどというものは、怪しいと考えるべきでしょう。日本にも似たようなのがありますが。

 

「神が隠されている奥義=神秘」に対する恐れが消え去って、各々が、十分な吟味・検証をしないまま、勝手に「夢」や「幻」や「預言」を語る。これが、今日のキリスト教の残念な現実です。

 

聖書が指し示す大事なこと、注目すべきこと、信ずべきことは、やがてイエス・キリストが再臨される時に、イエスの復活のごとくに、我々も霊肉一体で復活させていただけるという希望です(コリント第一15章)。この希望に目をとめましょう!!