【金言】しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じることはありません。 かえって、この名のゆえに神をあがめなさい。 (Ⅰペテロ4:16)
1.愛する者たちよ!
「愛する者たち」。この手紙はシルワノが代筆したものだが、このひと言の呼びかけに、使徒ペテロの肉声を感じる。実にキリストは肉体において苦しみを受けて、弟子たちに模範を示された。主イエスの直弟子であるペテロは、多くの信徒たちと苦難を共にしながら、キリストに従って生きる喜びを証ししていたのである。
主イエスが捕縛され、連行される、あの大事な時に、ペテロはイエスを「知らぬ」と言い張って、裏切ってしまった。主イエスは復活された後、何度もペテロに現れて、彼を再びお召しになった。それでペテロは、つまずきから立ち直ることができたのだ。
ペテロが裏切る前に、主イエスはこう言われた。「わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。あなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカ22:32)。
この手紙におけるペテロの指導には、試練の中にある信徒たちに対する深き同情と、熱き祈りが感じられる。
2.火の試練
燃え盛る火のごとく、キリスト者に対する迫害は激しさを増していた。「私たちは正しいことを信じて行っているのに、なぜ攻撃されるのか」。そう考える人もいただろう。しかし実際は、正しいから攻撃されるのだ。悪を悪とも思わず、欲望のままに生きている人たちには、自分と調子を合わせない義人は、不都合な存在である。
キリストの苦しみにあずかることを喜び、キリストの名のために侮辱されることを幸いとする。そのようなキリスト者を、神は求めておられる。
さばきの火はまず、「神の家」である教会で燃えていた。その火は、キリスト者=教会を精錬して、きよめる。
これは万物の終わりが近づいているしるしだ、とペテロは理解した。神の裁きにおいて、義人はかろうじて救われる。だとしたら、不敬虔な者や罪人はどうなるのか。
万物の終わりが近づいている。宣教の時、悔い改めの時、救いの時は今である!