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カナイノゾム研究室

聖書のメッセージや社会評論などを書いています。

pyutaの体験記

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  いじめ

私は幼い頃から、他の人とは何かが違う、と感じて生きてきました。周りが普通にできることができない私でした。人間関係を保つことが、ほとんどできませんでした。小さい頃から周りの人にいじめられていた記憶があります。だから自信がありませんでした。

 

保育園のときは、仲間はずれにされました。とにかく保育園に行きたくなくて、いつも泣いていました。小学校3年のときには、ランドセルでなぐられ、バレー部で馬鹿にされて、つらかったことを覚えています。中学1年のときには、「気持ち悪い」といわれて、バイキン扱いを受けました。


中学2年のときには、転校して、友達ができなくて、いじめられました。そして、またバイキン扱い。部活でも、下手くそだったり、性格が問題にされたりして、仲間はずれにされました。「死ね」と言われたこともありました。

 

ある日、私に悪口を言っていた子を殴ってしまいました。それで先生方がいじめに気づき、部活ではみんなと仲間になりました。でも、クラスのいじめはなくならず、いつも馬鹿にされていました。

 

ある日、私は家出をしました。いじめが親にばれたから。もう嫌だった。みんなに迷惑をかけてしまいました。でも、すぐに見つかりました。その後すぐに、リスカリストカット)を始めました。

 

私は、自分を大切にするということができない人間でした。いつも自傷行為をしていたり、自殺願望がありました。こんな生活を続けるくらいなら死んだほうがましだ、などと考えるようになっていました。そして、だんだんと人を信用することができなくなり、人が怖くなりました。自分の噂話をしているんじゃないだろうか、嫌われているのではないだろうか、と思ってしまいました。

 

  彼の死

 

高専では、いじめというものは無かったのですが、なかなか心を許せる友達ができませんでした。みんなが私のことを嫌っているんじゃないかという思い込みに走り、疲れてしまい、学校に行けなくなりました。精神的に疲れて、夏休みに精神科を受診しました。そして治療を続けていたのですが、学校が始まるというときになり、体の方も不調になりました。それで入院するという形をとりました。学校や家から離れることができて、だいぶ状態は落ち着きました。

 

しばらくしてから、そこで知り合った人とお付き合いをすることになりました。それは、とても幸せなものでした。それまででは考えられないくらいのものでした。しかし、ある日、彼は自殺してしまったのです。

 

信じることができませんでした。そして、後追いを考えるようになり、再び入院しました。そうしたら、統合失調症と診断され、「もう治らない」と言われてしまいました。17歳の時です。「もうこんな人生、意味が無い」と思いました。本当に希望が見えませんでした。しかも、入院して出席日数が足りなくなり、学校を中退して大検を受けることになりました。学校という所属しているものが無くなり、毎日が死人のようでした。

 

結局、大検のほうは予備校に通って勉強することになりました。勉強は難しくつらいものでした。自分で決めた道なのに、人のせいにしたりして、結局あまり勉強もしませんでした。しかも試験の2か月前に、また死にたい願望に陥り、またもや入院してしまいました。

 

なんとか大検は合格しましたが、その後の道を考えられませんでした。いつも死んだ彼のことばかり考えていました。彼の誕生日や永眠した日が近づくと、ブルーな気持ちになっていました。

 

  教 会

 

そんなとき、インターネットで、ある牧師さんと知り合いました。神様や聖書について話を聞きましたが、あまりピンときませんでした。その牧師さんが近くの教会を紹介してくれたので、行ってみました。牧師さんが「教会は誰でも来ていいところだよ」と言ったことに感動しましたが、そのときはまだ神様を求める気持ちがありませんでした。

 

その後、クリスマスイブのキャンドル礼拝に行きました。そこで愛についてのメッセージを聞いて、非常に感動したことを覚えています。でも、「これで教会に来るのは最後かな」と思っていました。1月になり、最愛だった人が永眠した日が近づくにつれて、また死にたい気持ちが高まっていきました。


そんなとき牧師さんに祈ってもらい、だいぶ楽になりました。そして次の日から教会に頻繁に行くようになりました。神様に愛されてるということを心で感じて、本当にうれしい日々が続きました。

 

しかし、3月になって、祖母が他界しました。神様に祖母の癒やしを祈っていたのに、かなわなくて、非常に悲しくなり、神様を信じる心をなくしました。それを機に教会に行かなくなり、教会のことを忘れようとしました。


そんな感じで8か月くらい過ぎました。私はある市民サークルに入りました。そこに、その教会のメンバーがいました。その人に最近の教会の様子を聞いたり、神様について質問したりしました。その人の「神様はしつこいお方だよ。教会戻ってくるよね」という一言で、私は純粋に教会に興味を持ち、また行くようになりました。

 

  洗 礼

 

ある日、私は不安なことがあり、牧師さんに祈ってもらいました。そのとき目を閉じると、雲に乗ったイエス様が見えました。そして、不安はすっかり無くなりました。

 

その次の日、礼拝が終わって休んでいると、どこからともなく「クリスチャンになりなさい」という声が聞こえました。「あんなに神様を、教会を拒絶していた私でも、クリスチャンになる資格があるんだ」と思い、イエス様を受けいれる気持ちが湧きました。それで牧師さんに相談して、洗礼を決意しました。

 

しかし、家族はものすごい反対をしました。「宗教は怪しい」というイメージがあったためです。「教会に通ってる」といったら、ものすごく怒られ、このままでは洗礼などずっと無理なんだろうなと思いました。しかし、牧師さんに家族の説得をしてもらい、許可はおりなかったものの、私は自分の意志を貫いて、洗礼を受けました。

 

その頃は、本当の神様を知らず、深く考えず、わらにもすがる思いで洗礼を受けました。なんとなくクリスチャンになったけど、はっきりいって、すぐに何かが変わったわけではありませんでした。

 

  神 様

 

洗礼を受けてすぐに、この町に引っ越してきました。それを機に、この教会の群れに加えていただきました。その頃の私は、生きているということが、いやでいやで仕方ありませんでした。しかし、死ぬ勇気もなく、毎日なんとなく生きていました。教会に通ってはいたけれど、神様がわかりませんでした。


同級生やキリスト者学生会の仲間たちは、大学を卒業して、就職していきました。しかし、私はその頃まだ自分の障害を受け入れられず、必死でその人たちと似たような人生を送ることにこだわり続けました。就職活動をしてみたり、学校へ行ってみたりしました。しかし、何も決まらず、入院しました。

 

その後、約1年間、病院で生活しました。精神科病棟という場所は、他の病棟とは違い、患者を人間として扱わない風潮が昔からあり、残念ながら現在もそういう病院が多いです。そこに入院中つらい毎日の中で、聖書を読みました。教会に行くことは許されませんでした。この絶望的な状況の中に、確かに神様が共にいてくださることを、御言葉から悟っていきました。


退院しても、日常生活を送ることは難しく、ほとんど寝て過ごしていました。その頃は、日曜の朝起きて教会に通うということも辛い時期でした。

 

  就労訓練

 

半年が経った頃、病院の紹介で、ある福祉施設に就労訓練に通うことになりました。そこは全国でも一番規模の大きい施設で、身体障害・知的障害精神障害の三障害受け入れ施設です。障害者が様々な作業をしながら、入所と通所で生活をしている施設です。

 

そこに行き始めて1週間で、辞めたくなりました。私は、見た目ではどこが悪いのかわからないため、健康な人だと扱われ、ずいぶんとひどいことを言われたからでした。

 

その頃は教会に通うことがとても楽しくて、「もっと神様を知りたい」と祈っていて、それがどんどん叶えられていた時期でした。それで、私は施設をあまり重要に考えず、将来は神様のために働きたい、自分は牧師になることがふさわしいのではないか、と考えました。

 

そして、東京で行われた青年宣教大会に参加しました。主のために命を捨てるほどのものを求めていると聞き、自分は自分を救ってくださったイエス様にすべての時間をささげようと、その場で決心しました。

 

  私が遣わされている場所

 

しかし、季節の変わり目で調子を崩すという、この障害特有の問題がその直後に起こったのです。今、思えばそれが神様のときでした。私は私にしかできない方法で神様に仕えよう、と思いました。

 

そのときに、私が遣わされている場所は今の施設なのではないか、と思いました。施設に入所している人は、子供の時から病院や施設で生活をしている人が大半でした。その人たちに福音を伝えることができるのは、同じ立場にある私しかいない! そのように、神様からはっきりと示されました。

 

そのときに、自分がそれまで持っていた、生まれつきの障害者に対する偏見や差別を、神様の前に悔い改めました。みんな神様に愛されている一人の人間であり神様の前ではみんな罪人であるのに、私はその人たちと関わることをしてこなかった。一年も一緒にいるのに、その人たちが傷ついているなどと考えたことがなかったのです。

 

「もし神様がこの人たちを救ってくださるなら、私はここに遣わされていると感じます」と祈りました。それから人が変わったように熱心に働き、様々な人と関わってきました。施設にたくさんのクリスチャンが生活していることを知りました。「ふたりでも三人でもわたしの名において集まるところには、わたしもいる」というイエス様の言葉を思い出しました。

 

  かけがえのない私

 

そして、ある人との出会いをとおして、私は神様に本当の意味で出会うことができました。今まで人と比べて生きていた私ですが、本当に大事なのは、神様の目から見た、かけがえのない私です。誰かに好かれるとか嫌われるとかではなく、神様がどう思うかなのです。そう思うと、聖書の言葉ひとつひとつが宝物でした。今までなんとなく読んでいた聖書を、自分に与えられた御言葉と受け取れるようになりました。

 

今まで私は、自分のことが世界で一番嫌いでした。しかし、障害があったとしても、今、生かされていることが恵みなのであり、障害という弱さがあったからこそ、神様にもたくさんの愛する仲間たちにも出会えたと、今は感謝しています。

 

なんで自分には障害がついてまわるのだろう、と確かに思います。しかし、これからは人と比べるのではなく、神様が与えてくれたこの体と人生を自分らしく作っていくことができるといいな、と祈っています。

 

どのような体に生まれるのかは、神様が決めるのかもしれないけれど、神様はその人の人生に責任をとられる方であり、その人の苦しみを放っておかれる方ではありません。本当の痛みにふれてくださる神様です。私の過去も現在も未来もすべて、イエス様の十字架によって赦されています。私が、障害があるから不幸だと思ってしまえば、そこまでです。でも、そのことを神様のみこころだと受けとめるなら、神様は最高のものを私にくださいます。

 

クリスチャンではない人を用いて、神様は私を神様との交わりに導いてくれました。今、その人がイエス様に出会うために、私は祈っています。また、その人を含めて4人で集まり、礼拝のメッセージを分かち合ったりしています。このようなことができて、本当に神様は私の人生を「否定の人生」から「肯定の人生」に変えてくれました。

 

  神様の計画

 

最近、あるビデオに出会いました。両手両足のない宣教師。世界中にその体で神様を伝えています。ある日、彼は神様に両手両足を求めて祈りました。そして、それが与えられた夢を見ました。

 

夢の中で、彼の両親は喜んでいました。彼も喜びました。しかし、そのことを知った手足の無い人、不自由な人は、「自分は健常者になることができないのに、この人だけ特別扱いをするなんておかしい。神様など信じない」と思いました。

 

彼の人生が終わって、彼は神様のもとにいました。彼は尋ねました、「神様、健常者にならせていただき、感謝します。僕の人生に何か間違いはありましたか」。

神様はこうお答えになりました。「あなたは健常者になることを求めたので、障害者のままで真の神を伝えるという使命を果たすことができなかったのだよ。あなたは大事なものを失ってしまった」。

 

夢から覚めて、彼は自分に手足が無いことを確認して、神様に感謝しました。

 

私は、このビデオを通して、私も神様の計画があって生かされているということを確認し、感謝しました。

 

ヨハネ福音書に次のようなイエス様の言葉があります。

「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。わたしたちは、わたしを遣わした方のわざを、昼の間に行わなければなりません。だれも働くことのできない夜が来ます。わたしが世にいる間、わたしは世の光です」(ヨハネ9:3〜5)。


神様が私に、命と障害そして信仰を与えてくださったことを、心から感謝します。


(注)この文章を書いたのは、pyutaさんです。ご本人の許可を得て、複数の文書から金井が編集しました。

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