【金言】私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。(第一ヨハネ4:10)
1.愛する者たちよ
老使徒ヨハネは、弟子や信徒を我が子のように愛しました。ヨハネは彼らに勧告します。
<私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです>。
「愛」(アガペー)とは、相手を大切に思い、その人を大事にすることです。この愛は神から出ています。この愛こそ、真のキリスト者のしるしだというのです。
2.ここに愛がある
<神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです>。
なぜ神の御子が天上の栄光を捨てて卑しき人間となり、十字架に裸をさらし、人々に侮辱されて死ななければならなかったのか。その理由を作ったのは私たち人間です。
人間は創造された時から今日に至るまで皆、自分勝手に生きて、造り主の尊厳を傷つけ、冒涜しています。神に滅ぼされても仕方が無い者です。
それでも神は私たちを見捨てず、私たちの罪を贖うために最愛の御子を犠牲としてくださいました。神の愛には大きな痛みが伴っています。これが真の愛です。
3.神の愛を生きよ
<神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです>。<もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです>。
神の愛は今も私たちに豊かに注がれています。神の愛を受けることは私たちの特権であり、神の愛を生きることは私たちの使命です。雷の子と呼ばれたヨハネも、愛の使徒に変えられました。
私たちも神の愛に満たされて、神の愛を証しする者としていただきましょう。
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