カナイノゾム研究室

聖書のメッセージや社会評論などを書いています。

天皇とは何か(2)

天皇」という存在が持つ価値について、我々日本のキリスト者は、どれほど理解しているでしょうか。天皇制に反対する人たちも、それを正当に評価し、国益をきっちり計算した上で、議論をする必要があるでしょう。

天皇家」は世界で最も長く続いている王朝です。内実はいろいろな問題があるにせよ、その「事実」を世界の諸国が認めています。英国の王やヴァチカンの法皇と対等に交際できる王は、天皇しかいないでしょう。

あのトンデモない写真を撮らせたマッカーサーも、「天皇」以外に、戦後日本を一国家として統合し、再建する土台となるものが無いことを認めざるを得ませんでした。

戦後70年の歩みにおいても、日本政府の内政や外交における失策を、天皇・皇室によって助けられたケースが、どれほど多くあったことか。

ちなみに「天皇」は法的には「国民」ではありません。いわば、「天皇」は日本国民にとって実質的に「親」の如き存在です。

鎌倉幕府の成立以降、建武の新政を除くと、明治維新まで、日本の政治は武家政権に委ねられていました。

けれども、「天皇」が「日本」を統合する「象徴」であり、武家政権に正統性を与える「王権」を保持してきたことは歴史的事実です。

幕末から明治時代にかけて、尊王倒幕派は、天皇の権威を拠り所として明治維新を断行したのです。ただし、明治憲法の下でも、美濃部達吉に代表される「天皇機関説」が政界と学界の常識でした。

明治・大正時代には、富国強兵=軍事大国化と共に、自由民権運動憲法制定、国会開設、政党政治大正デモクラシーといった民主主義の発展があったことも、事実です。

昭和初期には、国際情勢の変化や日本経済の危機などを背景として、青年将校らによってクーデターが起こり、我が国は軍国主義に進むという大きなあやまちを冒しました。

満州事変、大東亜戦争日中戦争、アジア太平洋戦争)という戦争の時代において、国家神道天皇崇拝のイデオロギーが支配的であったことは事実です。

戦前戦中における「愛国心の強制」については、教育勅語に基づく公教育がありましたから、半分は国家=政府の責任を認めるべきでしょう。

しかし、もう半分はマスコミ、知識人、国民が自ら「強制」したのです。大陸での戦争に突入していく時には、国民の熱狂は抑えがたく、むしろ軍部や政府の方が慎重であったくらいです。

戦争に対する国民の熱狂的支持を煽り立てたマスコミの責任は、極めて重いものです。その新聞社が名前を変えないまま、今度は左翼に同調して、国民を反体制運動に駆り立て、再び亡国の危機に追いやろうとしています。

昭和天皇独白録』(文春文庫)37頁から引用します。
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「現神〔あきつかみ〕の問題であるが、本庄だつたか、宇佐美〔興屋〕だつたか、私を神だと云ふから、私は普通の人間と人体の構造が同じだから神ではない。そういふ事を云はれては迷惑だと云つた事がある」
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あの戦争の狂気を終わらせる局面において、天皇のご聖断に頼る他、術が無かったことも、事実です。終戦の詔勅玉音放送によって、ようやく収拾がついた。その後もなお、大きな不幸が続きましたが。

戦後70年、昭和憲法の下で民主主義の時代を歩んできましたが、今、「国民」の実力はいかほどのものでしょうか? 「親」に頼らずとも、しっかりと自立して歩めるのでしょうか?

私見では、まだまだ我ら「国民」は「天皇制」を「卒業」できるほど大人に成長したとは言い難いでしょう。

なぜなら、自らの何たるか、その歴史に根差したアイデンティティーを理解していない。その一方で、他国・他民族による文化的・イデオロギー的侵略に対して無防備であり、この国をどこかに売り渡しかねない。そのような国民が少なくないからです。

その危険性に気づかない人がいるとすれば、それこそ我が国「日本」の最大の危機に他ならないのです。

天皇イデオロギーに政治的右傾化=民族主義国粋主義の危険があることや、キリスト者に対する信仰的な誘惑があることは、筆者も認めます。とりわけ、それを利用する国家権力・政治経済の支配層を、我々国民・キリスト者は注意深く観る必要があります。

「主だけが神である。他にはいない」。
これは絶対的な真理です。

「あなたには、わたしの他に神があってはならない。
あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。
それらを拝んではならない。
それらに仕えてはならない」
これは絶対的な命令です。

同時に、筆者は二王国論を聖書の思想として認めていますので、天皇制を絶対悪とは認めておりません。世界の歴史、国々の興亡、王位や支配者の変遷、それらにも神の主権が常に及んでいる、と信じております。

どうも最近、「キリストの王権が世俗の国家をも支配する。それは具体的には、キリスト者・教会が政治を動かしていくことだ」という主張を見聞きします。これはさすがにマズイでしょう。

戦後、日本福音同盟(JEA)など日本の福音派は「政教分離」を主張してきたはずですが、最近はキリスト教が政治にコミットメントしようとしているように、見受けられます。個人の資格でするならともかく、教団・教区・「牧師」・「キリスト者」の名を使って、特定の立場で政治的な運動を行うのは、問題があるでしょう。

http://kanai.hatenablog.jp/entry/2015/04/25/%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B%EF%BC%88%EF%BC%91%EF%BC%89kanai.hatenablog.jp