カナイノゾム研究室

聖書のメッセージや社会評論などを書いています。

キリスト教では離婚はタブーか?

キリスト教では離婚はタブー」という理解(誤解?)は広く存在するようです。これは、ローマ・カトリック教会が結婚を秘蹟サクラメント)の一つとしたことから生じたものです。ちなみに、英国国教会が独立したのは、国王の離婚問題が直接の原因です。

ヘンリー8世 (イングランド王) - Wikipedia

 

旧約聖書正典の最後の預言書であるマラキ書には、このように書かれています。

神は人を一体に造られたのではないか。彼には、霊の残りがある。その一体の人は何を求めるのか。神の子孫ではないか。あなたがたは、あなたがたの霊に注意せよ。あなたの若い時の妻を裏切ってはならない。

「わたしは、離婚を憎む」とイスラエルの神、主は仰せられる。

(マラキ2:15-16)

 

古代のユダヤ社会では、妻は夫の所有物とみなされていて、夫は自由に離縁することができました。しかし、妻にはその権利がありませんでした。当時、女性は経済力において極めて弱い立場にありました。これに対して、主イエスは女性の立場を擁護されました。 

神が結び合わせてふたりの者は一体になったのだから、人が引き離してはいけない。

(マタイ19:3-12)

 

律法学者とパリサイ人が、姦淫の現場で捕らえた女性を連れてきて、「律法の定めに従って、石打ちの刑にすべきか」と主イエスに問うたことがありました。その時、イエスは彼らにこう言われました。

あなたがたの中で罪の無い者が、最初にこの女性に石を投げなさい。

ヨハネ8:7)

すると、年長者から始めて、彼らはひとり残らず去っていきました。主イエスは彼女にこう言われました。

わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。

ヨハネ8:7-11) 

 

主イエスサマリアで出会ったひとりの女性は、5回も離婚していました。しかし、主イエスは彼女を責めませんでした。イエスは、彼女の根本的な問題である、神に対する霊的な渇きを、お癒やしになりました(ヨハネ4章)。

 

性行為は霊的な一体化に関係しており、姦淫は霊的な罪である、とパウロは教えています(第一コリント6:15-20)。

 

不信者の夫は信者の妻によって浄められているので、夫が望むなら結婚を続けるべきである。不信者の夫が離れていくなら、そうさせたらよいーー。使徒パウロはそのように教えています(第一コリント7:10-16)。「離婚は絶対に駄目」ということではないようです。しかし、不信者の配偶者まで浄められてしまうのですから、結婚生活の祝福は大きいと言えるでしょう。

 

第一コリント7章を読むと、パウロは自らが独身者であることを良しとして、信徒たちにも独身を薦めているように見えます。しかし、エペソ5:22-33を読むと、パウロも結婚の霊的な意味を重要視していることがわかります。

だれも自分の身を憎んだ者はいません。かえって、これを養い育てます。それはキリストが教会をそうされたのと同じです。私たちはキリストのからだの部分だからです。

「それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる」

この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。それはそうとして、あなたがたも、おのおの自分の妻を自分と同様に愛しなさい。妻もまた自分の夫を敬いなさい。

(エペソ5:29-33)

 

応用問題では、答は有って無きが如しかもしれません。実際には、どうしようもない、仕方が無いことが、いろいろあります。クリスチャンのカップルでも、離婚することは実際、珍しいことではありません。周囲はそれを責めるべきではなくて、癒されることを求めるべきでしょう。本人たちが一番傷ついているのですから。

 

人生100年の時代になり、若い時に成立した条件が、途中で成立しなくなったりします。30歳くらいで結婚して、50歳代で子育てを終えたとしたら、それから先は、夫婦ふたりだけの生活が長く続きます。親の介護もしなければならないでしょう。最期は、夫婦で仲良く助け合って、老老介護となるでしょうか?

 

これからの時代、結婚生活を続けていくことは、ますます難しくなりそうです。

 

さて、牧師の離婚は、信徒よりもさらにタブー視されている、と思います。しかし、筆者の個人的見解としては、こうした問題には、ケースバイケースで柔軟に対応するのが良い、と思います。

 

一般的に離婚の原因としては、性格の不一致、経済問題、単身赴任、不倫、DV、本人や家族の病気・障がい、親の介護などいろいろあるようですが、精神的・心理的な病のケースも多いようです。

 

牧師や牧師夫人には、精神的・心理的な病気になる人が多いのが実情です。ストレスが大きい職業ですから、どこの国でもそうかもしれません。しかし日本の教会では、精神的・心理的な病のために休職・退職する牧師が、異常に多いのではないでしょうか。

 

離婚しても、病が癒されて、また立ち上がったら、復職できるように環境を整えることが必要ではないでしょうか。

 

教会も世の中も、傷を負って痛んでいる人が大勢います。完全無欠な人はいません。それでも、どのように生きればよいのか、誰もが悩みながら、闘っているのでしょう。

 

同じような悩み、痛み、苦しみを経験した人でなければ、理解できないことや届けない人もいるでしょう。ドロップアウトした牧師が、適切なケアと訓練を受けて立ち直り、用いられることも、あって良いのではないでしょうか。

  

神を愛する者たち、すなわち、ご計画にしたがって召された者たちのためには、神が、すべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)

 

もし私たちが慰めを受けるなら、それもあなたがたの慰めのためであり、その慰めは、私たちが受けている苦難と同じ苦難に耐え抜く力を、あなたがたに与えます。(第二コリント1:6) 

 

f:id:nozomu-kanai:20160319190650j:plain

マルチン・ルターが、修道院を出奔した尼僧カタリーナ・フォン・ボラと結婚したのは、1525年のことだった。その頃のルターは、すでに宗教改革者として有名だったので、この結婚はビッグ・スキャンダルになりそうだった。そこで、ルターは、この結婚を秘密裏に進めることにした。そこで、ルターから頼りにされたのが、またまたクラナッハだったのである。クラナッハはルターのために仲介人を買って出て、結婚立会人をつとめてやった。結婚披露宴は、ごく親しい友人だけを集めて、しめやかに行われた。

出典:ルター夫妻:クラナッハの肖像画 - 続 壺 齋 閑 話

 

 (ジョン・ウェスレーは)リバイバルを起こし、素晴らしい神の器となりましたが、奥さんは最悪な方でした。ウェスレーが病院にお見舞いに行くと、浮気をしているのではないかと疑ったり、お客の前で彼の髪の毛を引っ張って怒鳴るのです。
 目の前で、そんな光景を見た他の教会の牧師は、家に帰ると息子に「今日初めて、人を殺したいと思ったよ。あのりっぱで気高い神の器の髪の毛を夫人がむしり取っているのを見た時、打ち倒したいと思った」と告白しています。
 ある方は「ウェスレー夫人は、狂的に近い憤怒の性癖と嫉妬心の権化であった」と言っています。怒りっぽく、年じゅうイライラしていて、機嫌の良い日は無かったそうで、結婚して4ヵ月目から、それが爆発しています。

出典:ジョン・ウェスレーの妻 - まこねこまどかブログ

 

 ジョン・ウェスレーの結婚生活はまことに悲惨でした。伝道から帰ると、妻は彼の長い髪の毛をつかんで、ひっぱり倒したと言われています。彼女は精神が病んでおり、嫉妬に狂っていました。

 教会の長老たちは「あなたは離婚しても良いことを私たちが認めます」と言いました。でも、彼は生涯離婚しませんでした。

 その代り、彼は馬にまたがり、世界を10周以上するくらいの距離の伝道旅行をしました。おそらく、家庭にいるよりも、外で伝道する方が幸せだったからかもしれせん。

 出典:

愛における完全 マタイ5:38-48 亀有教会鈴木牧師 2015.6.4: いのちのことば

 

しあわせな夫婦になるために

しあわせな夫婦になるために

 
増補改訂 夫と妻のしあわせづくり (いのちのことば社)

増補改訂 夫と妻のしあわせづくり (いのちのことば社)

 
人はどのようにして変わるのか

人はどのようにして変わるのか

 
講座 現代キリスト教カウンセリング〈第2巻〉カウンセリングの方法とライフサイクル

講座 現代キリスト教カウンセリング〈第2巻〉カウンセリングの方法とライフサイクル

 
子どもの連れ去り問題?日本の司法が親子を引き裂く (平凡社新書)

子どもの連れ去り問題?日本の司法が親子を引き裂く (平凡社新書)