カナイノゾム研究室

聖書のメッセージや社会評論などを書いています。

キリスト教では離婚はタブーか?

キリスト教では離婚はタブー」という「理解」(誤解?)は広く存在するようです、これは、ローマ・カトリック教会が結婚を秘蹟サクラメント)の一つとしたことから生じたものです。ちなみに、英国国教会が独立したのは、国王の離婚問題が直接の原因です。

 

旧約聖書正典の最後の預言書であるマラキ書には、このように書かれています。

 

神は人を一体に造られたのではないか。彼には、霊の残りがある。その一体の人は何を求めるのか。神の子孫ではないか。あなたがたは、あなたがたの霊に注意せよ。あなたの若い時の妻を裏切ってはならない。

「わたしは、離婚を憎む」とイスラエルの神、主は仰せられる。(マラキ2:15-16)

 

古代のユダヤ社会では、夫人は夫の所有物とみなされていて、夫は自由に離縁することができました。しかし、夫人にはその権利がありませんでした。当時、女性は経済力において極めて弱い立場にありました。

 

これに対して、主イエスは「神が結び合わせてふたりの者は一体になったのだから、人が引き離してはいけない」と言って、女性の立場を擁護されました。(マタイ19:3-12)

 

律法学者とパリサイ人が、姦淫の現場で捕らえた女性を連れてきて、「律法の定めに従って、石打ちの刑にすべきか」と主イエスに問うたことがありました。その時、イエスは彼らにこう言われました。

 

「あなたがたの中で罪の無い者が、最初にこの女性に石を投げなさい」(ヨハネ8:7)

 

すると、年長者から始めて、彼らはひとり残らず去っていきました。主イエスは彼女にこう言われました。

 

「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません」(ヨハネ8:7-11)

 

主イエスがサマリアで出会ったある女性は、5回も離婚していました。しかし、主イエスは彼女を責めることなく、彼女の根本的な問題である、神に対する霊的な渇きを、お癒やしになりました(ヨハネ4章)。

 

性行為は霊的な一体化に関係しており、姦淫は霊的な罪であると、パウロは教えています(第一コリント6:15-20)。

 

不信者の夫は信者の妻によって浄められているので、夫が望むなら結婚を続けるべきであるが、不信者の夫が離れていくなら、そうさせたらよいーーとパウロは教えています(第一コリント7:10-16)。

 

パウロは独身者ですから、独身を薦めているようにも思えますが、エペソ5:22-33を見ると、パウロも結婚の霊的な意味を重要視していることがわかります。

 

応用問題には、答は有って無きが如しかもしれません。実際には、どうしようもない、仕方が無いことが、いろいろあります。クリスチャンのカップルでも、離婚することは実際、珍しいことではありません。周囲はそれを責めるべきではなくて、癒されることを求めるべきでしょう。本人たちが一番傷ついているのですから。

 

人生100年の時代になり、若い時に成立した条件が、途中で成立しなくなったりします。30歳くらいで結婚して、50歳代で子育てを終えたとしたら、それから先は、夫婦ふたりだけの生活が長く続きます。親の介護もしなければならないでしょう。最期は、夫婦で仲良く助け合って、老老介護となるでしょうか?

 

これからの時代、結婚生活を続けていくことは、ますます難しくなりそうです。

 

さて、牧師の離婚は、信徒よりもさらにタブー視されている、と思います。しかし、私の個人的見解としては、こうした問題には、ケースバイケースで柔軟に対応するのが良い、と思います。

 

一般的には離婚の原因としては、性格の不一致、経済問題、単身赴任、不倫、DV、本人や家族の病気・障がい、親の介護などいろいろあるようですが、精神的・心理的な病のケースも多いようです。

 

牧師や牧師夫人には、精神的・心理的な病気になる人が多いのが実情です。ストレスが大きい職業ですから、どこの国でもそうかもしれません。しかし日本の教会では、精神的・心理的な病のために休職・退職する牧師が、異常に多いのではないでしょうか。

 

離婚しても、病が癒されて、また立ち上がったら、復職できるように環境を整えることが必要ではないでしょうか。

 

教会も世の中も、傷を負って痛んでいる人が大勢います。完全無欠な人はいません。それでも、どのように生きればよいのか、誰もが悩みながら、闘っているのでしょう。

 

同じような悩み、痛み、苦しみを経験した人でなければ、理解できないことや届けない人もいるでしょう。ドロップアウトした牧師が、適切なケアと訓練を受けて立ち直り、用いられることも、あって良いのではないでしょうか。

 

「神を愛する者たち、すなわち、ご計画にしたがって召された者たちのためには、神が、すべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」(ローマ8:28)

 

「もし私たちが慰めを受けるなら、それもあなたがたの慰めのためであり、その慰めは、私たちが受けている苦難と同じ苦難に耐え抜く力を、あなたがたに与えます」(第二コリント1:6)

 

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<マルチン・ルターが、修道院を出奔した尼僧カタリーナ・フォン・ボラと結婚したのは、1525年のことだった。その頃のルターは、すでに宗教改革者として有名だったので、この結婚はビッグ・スキャンダルになりそうだった。そこで、ルターは、この結婚を秘密裏に進めることにした。そこで、ルターから頼りにされたのが、またまたクラナッハだったのである。クラナッハはルターのために仲介人を買って出て、結婚立会人をつとめてやった。結婚披露宴は、ごく親しい友人だけを集めて、しめやかに行われた>

出典:

ルター夫妻:クラナッハの肖像画 - 続 壺 齋 閑 話