国語辞典で「神(かみ)」の項目を見ればわかりますが、これには、いくつもの意味があります。『広辞苑』(第5版、岩波書店)には次のように書かれています。
①人間を超越した威力を持つ、かくれた存在。人知を以てはかることのできない能力を持ち、人類に禍福を降すと考えられる威霊。人間が畏怖し、また信仰の対象とするもの。
②日本の神話に登場する人格神。
③最高の支配者。天皇。
④神社などに奉祀される霊。
⑤人間に危害を及ぼし、怖れられているもの。
⑥キリスト教で、宇宙を創造して支配する、全知全能の絶対者。上帝。天帝。
「神」の概念とその聖書における訳語について以下、考察してみます。
1.ヤマトことばの「カミ」
まず、ヤマトことばの「カミ」と漢語の「神」(シン)は本来、同義ではありません。江戸時代の国学者、本居宣長は『古事記伝』第三巻において次のように述べています。
さて凡て迦微(かみ)とは、古御典等(いにしえのみふみども)に見えたる天地の諸の神たちを始めて、其を祀れる社に坐す御霊をも申し、又人はさらにも云わず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其余何にまれ、尋(よの)常ならずすぐれたる徳のありて、可畏(かしこ)き物を迦微とは云ふなり。
すなわち、古代日本においては、畏怖の対象となるものは何でも、「カミ」であったのです。それは人格的存在に限りません。雷や狐、狼、蛇、樹木、岩、泉、山、海であったりします。古代日本人にとって「カミ」は自然に感じられる神秘的な力に過ぎず、森羅万象のすべて、自然そのものが「カミ」であったのです。
神道の基底には、すべてのものに「タマ」(霊魂)が宿っているとする、アニミズムがあります。「カミ」と「タマ」は、ほとんど同義でした。そこから、自然崇拝が生まれ、祖霊崇拝が生まれました。
古代日本人の世界観では、人は土地の神「ウブスナガミ(産土神)」のおかげで誕生した「神の子」であり、命は「ワケミタマ(分霊)」と考えられました。カミは水平に広がる大地に存在しており、人間社会の関係も水平的でした。
2.漢語の「神」と「天」
紀元前3世紀頃に、日本列島でも稲作の農耕社会が成立しました。これは大陸からの渡来人が生み出した新しい社会です。それに伴って、農耕儀礼を中心とした宗教が現れました。
さらに、古代国家の成立過程において、神憑り状態になって超自然的存在=神、精霊、死者等と交流を行うシャーマニズムが大陸から伝わって、呪術的要素が加わりました。邪馬台国の卑弥呼(175年 - 247年あるいは248年頃)は、シャーマンの代表格です。
その後、日本でも漢字を使用するようになり、「神」という漢字を「カミ」にあてるようになりました。それによって日本語における神概念の混乱が生じました。
古事記や日本書紀に代表される日本の神話では、皇族は天にいる神々の子孫とされています。これには中国大陸の「天」の思想が関係していると思われます。
古代中国の思想では、「天」は「天帝」や神々が住む所とされ、「天」だけで天帝を意味することもありました。古代中国における「天」や「天帝」は、漢訳聖書の「天主」や「上帝」に通じる思想です。
天地万物を創造し、被造世界を統べ治める「主」なる唯一神を信じる人々が、古代中国の支配階級にいました。すべての人は天帝から天命が与えられており、天は天命を実行する者を助け、それに逆らう者を滅ぼす、と考えられていました。そこから「人事を尽くして、天命を待つ」という考え方・生き方が生まれます。
古代中国の「神」(シン)という語には、人格(persona)を持つ唯一神「天帝」「天主」「上帝」の概念が含まれています。
紀元3世紀に近畿地方では、有力な豪族の連合によるヤマト王権が成立しました。そして、その王の権威を確立するために、神話と儀礼が整えられていきました。ヤマト王権は、大陸のシャーマニズムの影響を受けて、天に在る神々を祭り、オホキミ(天皇)は天の神アマテラスオホミカミ(天照大神)の子孫であるとして、垂直的な思考と社会的関係を確立したのです。最初に「天皇」を称号とし、「日本」を国号としたのは、天武天皇(在位673年〜686年)だと言われています。
ヤマト王権は各地に、天皇の祖先を祀る神社と共に、征服した豪族を祀る神社も建てました。こうして水平的思考と垂直的思考が交錯したことから、神道の世界観は複雑化し、自然神、観念神、人格神、祖先神など多様な神々を数知れず生み出していきました。
3.God
はじめに神は天と地とを創造された。(創世記1:1)
1549年にフランシスコ・ザビエルがキリスト教を伝えるまで、日本には創造神、唯一神、Godという観念は、ほとんどありませんでした。1552年に書いた手紙の中でザビエルは次のように述べています(ピーター・ミルワード「ザビエルの見た日本」講談社学術文庫、p87)。
日本の宗教は世界の創造について、つまり太陽や天や地や海などについて何も教えていません。ですから日本人はそういうものが自然に生まれてきたとばかり思っています。霊魂の創造者であり同時に父である方がたった一人おられ、万物はその方が創造されたのだということを聞いて彼らはびっくりしてしまいました。どうしてそんなに驚いたかというと、彼らの宗教の伝承では宇宙の創造主についてひと言も触れていないからです。
古事記では最初に天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、神産巣日神(かみむすびのかみ)という「造化の三神」が登場します。
天地初めて發けし時、高天原に成りし神の名は、天之御中主神、次に高御産巣日神、次に神産巣日神、この三柱の神は、みな獨神と成りまして、身を隱したまひき。
しかし、この三神が天地を創造したのではなく、これらはすぐに身を隠してしまいます。
「主(YHWH)の他に神はいない」。
「わたし(YHWH)の他に何ものをも神としてはならない」。
これは聖書の最も基本的な教えです。
「神」という単語で聖書の創造神=唯一神=Godを表現することには、限界があります。しかし、旧約聖書では、異教の神々を指していた「エロヒーム」(神=エルの複数形)という語を、「主(YHWH)」を表すために創世記の最初から用いています。
ですから、日本語の聖書で「神」という語が使われることも、間違いとは言えません。
4.上帝・天主・上主
イエズス会の宣教師マテオ・リッチ(利瑪竇、1552~1610年)は1601年に北京に行きました。彼はローマ・カトリックを「天主教」、教会堂を「天主堂」と呼び、「十戒」や「キリスト教要理」を中国語に翻訳しました。リッチは儒学者の衣服をまとい、「デウス」(神)を「天」「天主」「上帝」と訳して、キリスト教を儒教文化に適応させようと図りました。
1807年に、ロンドン宣教会のロバート・モリソンが、プロテスタント最初の中国宣教師として広東に行きました。しかし、中国政府がモリソンの入国を拒否したため、彼はポルトガル領マカオに退きました。
モリソンが中国宣教で得た信者はわずかでしたが、彼は中国語訳の聖書を完成させました。このモリソンが「神」という漢字を用いたことから、日本の聖書も「神」を使用することになったのです。
現代の中国語の聖書には、Godを「神」と表記するものと「上帝」と表記するものがあります。中国語ではローマ・カトリックを「天主教」と呼び、プロテスタントを「基督教」と呼びます。「主」(YHWH)は、中国語の新しい訳では「上主」という表記に変わっています。
ちなみに、三位一体の神を表わす場合、台湾語では「父、子、聖神」と表記します。他の中国語では日本と同じ「父、子、聖霊」です。
5.YHWH
現代の聖書の和訳においては、「神」の問題以上に、神の固有名詞「YHWH」(神聖四文字、テトラグラマトン)の訳語「エホバ」、「主」、「ヤハウェ」の問題の方が大きいように思います。この問題の出発点は、原典となるヘブル語聖書(旧約聖書)に母音が記されていなかったことにあります。
(1) アドナーイ
イスラエル王国とユダ王国の滅亡以降、古代ヘブル語は日常言語としては死語となっていき、神の固有名詞「YHWH」の正確な発音はわからなくなりました。それは、十戒に「YHWHの名をみだりに唱えてはならない」(出エジプト記20:7)という戒めがあるため、とも言われています。そこでユダヤ人は「YHWH」が記されたところを「アドナーイ」(私の主人)と読むことにしたのです。
(2) キュリオス
「主」という表記は、現代の和訳聖書で最も多く見られるものです。現代の英訳聖書で「LORD」が最も多く用いられていることに対応しているのでしょう。ヘブル語聖書の「アドナーイ」という読み方から70人訳ギリシア語聖書(旧約聖書)とギリシア語新約聖書の「キュリオス」(主人)という訳が生まれました。
ですから、「主」という訳語は間違いではありません。新改訳聖書の旧約では固有名詞「主」を太字あるいはゴシック体にして他の「主」と区別していますが、インターネットやPCソフトウェアで見ると、プレーンテキストに戻ってしまう場合もあります。そもそも「主」が固有名詞だということを、読者はどれくらい理解しているでしょうか?
原語が持つ意味を現代日本というコンテクストにおいて伝えるためには、もうひと工夫が必要ではないか、と思います。
(3) エホバ
文語訳聖書では「ヱホバ」という表記が用いられていました。これは英語の欽定訳(KJV)で用いられていた「Jehovah」に対応するものです。「Jehovah」は「YHWH」にヘブル語「アドナーイ」の母音を付したものです。これは固有名詞であることを表すには良かったのですが、研究が進むにつれて、古代ヘブル語では「YHWH」をこのように読むことはなかった、ということが明らかにされています。
(4) ヤーウェ
「ヤーウェ」(フランシスコ会旧訳)、「ヤハウェ」(岩波訳)、「ヤハヴェ」(関根新訳)といった表記は、現代の研究によって「YHWH」の本来の発音に近いと推測されるものです。
ローマ・カトリック系の THE NEW JERUSALEM BIBLE では「Yahweh」が用いられています。これらは固有名詞であることを表すには良いでしょう。ただし、「YHWH」の本来的な正しい発音はわからなくなっていますので、間違っているかもしれない読み方を採用してよいのか、という疑問は残ります。
バチカンの教皇庁典礼秘跡省は2008年6月29日付で「神聖四文字で表記されている神の名を典礼の場において用いたり発音したりしてはならない」との指針を示しました。2011年に発行されたフランシスコ会訳の合本では、「ヤーウェ」が「主」に替えられています。
(5) 天主・天帝
ギリシア神話の「ゼウス」(古希: ΖΕΥΣ, Ζεύς, Zeus)やラテン語の「デウス」(deus, Deus)の語源は、インド・ヨーロッパ祖語の「dyēus」(ディヤウス)にあります。 「dyēus」(ディヤウス)は「天空、輝き」を意味する語であり、プロト・インド・ヨーロッパ人における多神教の最高神の名でした。
「中国の思想で「天主」や「天帝」は天地万物の支配者であり、「Deus」(デウス)の訳語として用いられてきました。キリスト教には「天主教」、「天主公教」、「天帝宗」という呼称がありました。
「神の国」はマタイの福音書では「天の御国」と言い換えられています。「神」を「天」と言い換えるのは、古代ユダヤ教の慣行だったのです。
ヘブル語聖書(旧約聖書)においても、天使たちが「神の子たち」や「神々」と呼ばれ、天地万物の「主」(アドナーイ)である唯一の「神」(エロヒーム)、すなわち「יהוה」(YHWH、ヤハウェ)が「神々の神」と呼ばれているテクストがあります。
キリシタン時代の初期にイエズス会の宣教師たちはラテン語聖書の神=「Deus」を「大日」と訳しました。日本人はこれを密教の仏の中心である「大日如来」と同一視して受け取りました。宣教師たちは、その誤りに気づいた後は、「デウス」という音訳に変更して、神について教えました。
「YHWH」の訳語として「天主」または「天帝」を用いるのが良いのではないでしょうか。
この現世に「王」という存在が無ければ、「主こそ王である」という宣言は意味を成し得ず、その意味は理解されません。同様に、「天子」「天皇」「帝」(ミカド)という存在は、天地万物の主権者であり支配者である「天帝」「天主」「上帝」、すなわち「יהוה」(YHWH、ヤハウェ)の存在と権威と栄光を伝えて、人々に理解させるための雛形であるーー。私はそのように考えるに至っています。