KANAISM BLOG ー真っ直ぐに行こうー

聖書のメッセージやキリスト教の論説、社会評論などを書いています。

キリスト者は異教徒の神事に反対すべきか

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天皇陛下 皇后陛下 正殿の儀 即位の礼


「即位の礼」と「大嘗祭」って何? 詳しく解説(18/03/30)

[1/4]【今上天皇御即位】正殿の儀Celebration parade His Majesty the Emperor


天皇陛下御即位【完全版1/9】

 

天皇の退位および即位の諸行事に関する声明」(日本基督教団総会議長 石橋秀雄)

http://uccj.org/wp-content/uploads/c63b5efbd69e93d5ec5b415956829884.pdf

大嘗祭への国の関与は政教分離の原則に反します」日本聖公会

http://www.nskk.org/province/seimei_pdf/190221taii_sokui.pdf

www.bapren.jp

www.kirishin.com

biz-journal.jp

 

 最近、いくつかのキリスト教の団体が、天皇の御代替わりにおける即位の礼大嘗祭などの儀式に反対する声明や宣言を出しています。それらを読んで、気になることがありましたので、以下、私見を述べさせていただきます。

 

天皇」号は推古天皇の御代(608年)から始まり、「元号」は皇極天皇の御代、「大化」の改新(645年)から始まり、「日本」の国号が法制化されたのは持統天皇の御代、689年の飛鳥浄御原令です。天皇号も元号も国号も7世紀以来、日本が支那に従属しない独立国であることの証しとして存続してきたものです(ちなみに、これらを定めた時のミカドはみな女帝です!)

 

それゆえ、「天皇」「御代替わり」「改元」を否定することは、「日本国」そのものを否定しているかのように、一般的に思われるのです。「反日」と見なされた教会が、日本人に伝道できるでしょうか?

 

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不思議に思うのは、皇室の神事に反対している人たちの教派が、英国や米国などキリスト教と政治が密着している国々の宣教師たちによって生まれたものであることです。政教分離といっても程度があり、完全分離をしているのは共産党独裁の国くらいではないでしょうか。

 

そもそも日本に押し寄せたキリスト教宣教の大波はみな、欧米列強の帝国主義と結びついていました。その第一はキリシタン時代であり、第二は幕末から明治時代にかけて、第三は大東亜戦争終戦後です。

 

欧米のキリスト教徒は武力によってアフリカ、北米、中南米、アジア、オセアニアの人々を征服して、強制的にキリスト教へと改宗させました。豊臣秀吉伴天連追放令を出した背景には、そのようなキリスト教国の帝国主義的な侵略への警戒がありました。実際、当時のイエズス会は長崎地方を所領として支配し、軍事化を進めていました。ポルトガル商人は、大勢の日本人を奴隷として輸出していました。

 

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皇室神道の儀式に反対するキリスト者の方々は、ヨシュア記や士師記に記されたイスラエルの如く、武力をもって異教徒を滅ぼす、あるいは異教徒を強制的に改宗させるおつもりでしょうか。もちろん、昭和憲法の平和主義を愛する方々が、そのようなことをなさるはずはありません。しかし、異教徒に対してキリスト教の戒律に従えと要求するのは、欧米の帝国主義と同様の態度と見られかねない行為なのです。

 

その帝国主義の波に乗って日本にやってきたキリスト教が、明治維新から昭和20年までの日本を「帝国主義的な侵略国家だ」と批判するのはナンセンスだ、と反発する人々がいるのは当然でしょう。

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 「西欧近代」モデルの帝国主義的な外来種の性格から脱皮して、この「日本」の地に根付くキリスト教会を形成することが、日本宣教の最も重要な課題である。筆者はそう考えています。

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あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。あなたは自分のために偶像を造ってはならない。…それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。(出エジプト記20章3〜5節)

 

この「あなた」は、神の選民イスラエルを指しています。これは、主に贖われた民が、他の神々や偶像を崇拝することを禁じた戒律です。これを今日のキリスト教徒に適用することは、適切だと思います。しかし、これを異教徒に適用することは適切でしょうか?

 

我々キリスト者は、異教徒に対して律法だけを要求するべきではありません。律法と共にキリストの福音を伝えることが、絶対的に必要です。そうでなければ、受け取り手に律法が正しく理解されません。これは、プロテスタント信仰の基本である和協信条が教えている大原則です。 

 

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福音を伴わない律法の要求は、キリスト教徒の独善であり、侵略的な意思表示であると見なされます。

 

預言者ダニエルは、新バビロニア帝国とペルシア帝国(アケメネス朝)で高官として、異教徒の諸王に仕えました。アケメネス朝を開いたキュロス大王は、支配下にある各民族の宗教的な自由を認めました。民族や宗教の違いを超えた普遍的な世界帝国を築いたキュロスは、イザヤ書に預言されたキーパーソンです。その宗教的多元主義の社会で、ダニエルに代表されるユダヤ人は、主のみを礼拝して、王や偶像を礼拝せず、なおかつ異教徒の王を尊重して、忠節を尽くしたのです。

 

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我々現代のキリスト者も、諸宗教の信仰の自由を認めて、異教徒を尊重しつつ、自分たちの神=主への絶対的信従をもって異教徒に真の神を証しし、彼らの自発的な改宗を期待すべきではないでしょうか。皇室神道を否定するよりも、皇室のキリスト教への改宗を祈るべきではないでしょうか。

 

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キリスト教の絶対的な真理性を信じる福音主義者であっても、自らの知識が不完全であり、自らの判断が過ち得る相対的な正しさしか持ち得ないことを認めるべきです。日本や世界の諸宗教が、自らの信仰の絶対性と普遍性を根拠として、独自の戒律を異教徒に強制したら、どうなるでしょうか。このような帝国主義の運動は、現代でも「原理主義」として残存しています。


マルクスエンゲルスレーニンは近代資本主義の発展の必然として帝国主義が生じることを、論理的に説明して、社会主義革命と共産主義社会への発展を歴史の必然と主張しました。しかし、この史的唯物論無神論もまた帝国主義の変種に過ぎず、社会主義勢力は資本主義諸国よりも多くの人民を虐待し、殺したのです。

今でも共産主義者によって迫害され、殺されるキリスト者がいます。共産主義を危険な思想運動として、非合法とする国はたくさんあります。彼らから見たら、共産主義者と連帯する日本のキリスト者は裏切り者ではないでしょうか。


このような500年にわたる「西欧近代」の発展モデルが破綻した現代においてなお、日本のプロテスタントの指導的立場にある神学者や牧師・信徒が、共産主義者と結託して日本のキリスト教を変質させつつあることは、あるまじき愚行であり、大罪であると言わざるを得ません。

 

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数千人あるいは数万人のメンバーを包括するキリスト教団体の幹部たちが、そのメンバー全体に意思を確認することもせずに、勝手に団体名を使って特定の政治的立場に偏向した声明・宣言文を出しています。この前衛主義のやり方と独善の体質は、どこかの政党にそっくりです!

 

東京方面から「私はもうこの教会にいられません」という嘆きの声が、関西にいる私のところにまで届いてきます。いと小さき者たちの悲しみを共有しておられる主イエスの御声を、幹部の人たちに聴いていただきたく願います。

  

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