「平安があるように」ヨハネ20:19~23
【金言】平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします。(ヨハネ20:21)
1. キリストによる平安
イエス・キリストが復活された日曜日の夕方、弟子たちは家に隠れていた。ユダヤ人たちによって自分たちも捕らえられ、殺されるのではないか、と恐れていたのである。
家の戸はみな閉められていたのに、そこに主イエスが来られた。イエスは彼らに言われた、
「平安があなたがたにあるように」。
これはユダヤ人の日常的なあいさつの言葉「シャローム」だろう。まさに、復活された主イエスの顕現が、弟子たちの心から恐れを取り除き、平安をもたらしたのである。
2. キリストによる喜び
イエスはその手と脇腹を彼らにお見せになった。そこには十字架の釘の跡があり、槍の傷跡がある。確かにイエスである。キリスト教の救いは思想・観念ではない。肉体の復活という現実である。
弟子たちは主を見て喜んだ。主イエスは今も生きておられ、聖書の御言葉によって御自身を私たちの内に啓示してくださる(30-31)。生ける主イエスに出会った喜び、これが福音である。
3. キリストによる救い
イエスは彼らに言われた、
「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします」。
「聖霊を受けなさい」。
主イエスは聖霊によって弟子たちに力を与え、平安を与えてくださった。福音宣教は主のみわざである。その目的は、キリストを信じる人々に罪の赦しと永遠の命を与えることである。
教会には「天国の鍵」が与えられている。私たちも、この特権と使命の尊さを自覚して、福音宣教を続けよう!