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キリスト教は日本に根づくことができるか ー 遠藤周作の問題提起についてー

沈黙 (新潮文庫)

沈黙 (新潮文庫)

 

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  1.日本にキリスト教徒が少ないのはなぜか

 

今日、キリスト教徒は世界人口のおよそ3分の1を占めています。世界一の経済大国である米国では、キリスト教徒が人口の7割を占め、週に1回以上教会に行く人が5割近くいます。日本の隣国・韓国では人口のおよそ3分の1がキリスト教徒です。中国は共産党の支配する国ですが、国家公認の教会だけでも6000万人以上、非公認の教会を含めれば1億人以上のキリスト教徒がいるようです。

ところが、日本では未だにキリスト教徒は人口の1パーセントほどであり、礼拝に出席している信徒は人口の0.5パーセントに満たないのが実情です。
なぜ日本は、これほどキリスト教徒が少ないのでしょうか?

これにはいくつかの原因が考えられます。

 

  (1) キリシタン弾圧と寺壇制度

 

1549年にイエズス会フランシスコ・ザビエルが来日しました。各地の大名は、ポルトガルとの貿易が利益をもたらしたため、宣教師を歓迎し、自らキリシタンとなる者もいました。17世紀初頭にはキリシタンの数は70万人以上に増加しました。

江戸幕府は、キリシタンは封建秩序を脅かす存在だと考え、また、ヨーロッパのキリスト教国による侵略を恐れて、禁教政策に転じました。史上最大といわれる烈しい迫害によって殉教したキリシタンの数は20~30万人ともいわれます。

幕府は、すべての家にいずれかの仏教寺院の檀家となることを強制し、寺院に檀家がキリシタンでないことを証明する宗旨人別帳を作らせ、仏壇の無い家は邪宗門として告発させました。そして、民衆がキリシタンにならぬよう相互に監視するシステム=五人組を組織しました。この影響は徳川幕府が倒れた後も、長く続きました。

 

  (2) 国家神道軍国主義

 

江戸中期以降、日本の古典を研究し、純日本的精神を追究する国学が発達する中で、日本固有の神道を復元しようとする動きが起こりました(復古神道)。『古事記伝』を著した本居宣長平田篤胤が中心人物です。

平田はキリスト教を研究し、それを神道に応用して「平田神道」を形成しました。平田の没後、復古神道の信奉者が激増し、これが明治維新の原動力になりました。

明治時代から大正時代を経て昭和20年まで、天皇を現人神(あらひとがみ)とする国家神道が、大日本帝国の中心的な原理となりました。

幕末にカトリック教会は、朝鮮と琉球で日本への再進出の準備を進め、開国後直ちに宣教師が来日しました。明治政府は欧米諸国との交流を進めるため、キリスト教を解禁しました。プロテスタントの宣教師も続々来日し、各地に教会や学校を建てて宣教しました。

日本人信者の中から、無教会派の内村鑑三やクエーカーの新渡戸稲造救世軍山室軍平、長老派の賀川豊彦など、社会的に大きなインパクトを与える指導者が輩出しました。

しかし、政府の軍国主義政策によって、1941(昭和16)年に日本の教会は「日本基督教団」に統合され、戦争に協力することとなりました。太平洋戦争の時代には、キリスト教は敵性宗教とされ、キリスト者は迫害を受けました。ホーリネス教会の牧師等、戦時中に弾圧されて、殉教する者も出ました。

 

  (3) 進化論・唯物論・世俗化

 

太平洋戦争の敗北と占領軍GHQの改革によって、主権在民=民主主義が新しい日本国の原理となりました。

戦後、大勢の宣教師が日本に来て、教会に大勢の人が集まりましたが、そのブームはやがて沈静化しました。
戦後は、公教育を通じて進化論と唯物論の世界観が、日本人に浸透しました。

日本のプロテスタント主流派では、日米安保体制に反対する社会派の運動が盛んになりました。
高度経済成長によって日本は世界でトップクラスの経済大国となり、プラグマティズム実用主義)と拝金主義が日本人に浸透しました(世俗化)。

 

  (4) カルト問題・宗教多元主義

 

1970年代以降、ニューエイジ的な新宗教が盛んになり、「スピリチュアル」なものが流行するようになりました。

オウム真理教は、1989年11月に坂本弁護士一家殺害事件、1994年6月に松本サリン事件、1995年3月に地下鉄サリン事件を起こして、世界を震撼させました。多くの日本人が、「宗教は怖い」というイメージを、持つようになりました。

また、ポストモダンの現代世界では「絶対」なるものが否定され、一神教に反対する宗教多元主義が強くなりました。

「宗教の違いというのは、同じ山を違う道から登っているようなものだ。結局、行き着く先は同じだ。キリスト教の神も我々の神も、実は同じで、表現が違うだけだ」というのが、日本の多神教です。

 

  2.遠藤周作の問題提起

 

日本の代表的カトリック作家、遠藤周作は小説『沈黙』の中で重要な問題提起をしています。そもそも日本の精神的土壌はキリスト教を受け付けないものだ、というのです。

この小説の中で、元・イエズス会宣教師フェレイラ(棄教して沢野忠庵と改名)は次のように語っています(新潮文庫 pp.190〜193)。 

 

この国の者たちがあの頃信じたものは我々の神ではない。彼等の神々だった。それを私たちは長い長い間知らず、日本人が基督教徒になったと思いこんでいた。

はじめは少しも気がつかなかった。だが聖ザビエル師が教えておられたデウスという言葉も日本人たちは勝手に大日とよぶ信仰に変えていたのだ。陽を拝む日本人にはデウスと大日とはほとんど似た発音だった。あの錯誤にザビエルが気づいた手紙をお前は読んでいなかったのか。

デウスと大日と混同した日本人はその時から我々の神を彼等流に屈折させ変化させ、そして別のものを作りあげはじめたのだ。言葉の混乱がなくなったあとも、この屈折と変化とはひそかに続けられ、お前がさっき口に出した布教がもっとも華やかな時でさえも日本人たちはキリスト教の神ではなく、彼等が屈折させたものを信じていたのだ。

基督教の神は日本人の心情の中で、いつか神としての実体を失っていった。

彼等が信じていたのは、基督教の神ではない。日本人はこれまで神の概念はもたなかったし、これからももてないだろう。

日本人は人間とは全く隔絶した神を考える能力をもっていない。日本人は人間を超えた存在を考える力も持っていない。

日本人は人間を美化したり拡張したものを神とよぶ。人間と同じ存在をもつものを神とよぶ。だがそれは教会の神ではない。

私にはだから、布教の意味はなくなっていった。たずさえてきた苗はこの日本とよぶ沼地でいつの間にか根も腐っていった。私はながい間、それに気づきもせず知りもしなかった。

切支丹が亡びたのはな、お前が考えるように禁制のせいでも、迫害のせいでもない。この国にはな、どうしても基督教を受けつけぬ何かがあったのだ。  

 

  3.ザビエルが直面した問題

 

遠藤が『沈黙』で提起している問題は、日本宣教の開拓者ザビエルが初めからぶつかった問題でもありました。

ザビエルが日本に上陸したのは、1549年のことです。彼が日本人に宣教する上でまず何よりも苦労したことは、

「万物の創造者である唯一の神がおられる」

ということを人々に理解させることでした。

1552年に書いた手紙の中で、ザビエルは次のように述べています(ピーター・ミルワード『ザビエルの見た日本』講談社学術文庫、p.87) 。

 日本の宗教は世界の創造について、つまり太陽や天や地や海などについて何も教えていません。ですから日本人はそういうものが自然に生まれてきたとばかり思っています。霊魂の創造者であり同時に父である方がたった一人おられ、万物はその方が創造されたのだということを聞いて彼らはびっくりしてしまいました。どうしてそんなに驚いたかというと、彼らの宗教の伝承では宇宙の創造主についてひと言も触れていないからです。

ザビエルは最初、ラテン語ポルトガル語のDeus(デウス)を「大日」と訳しました。ところが「大日」が密教の奉ずる「大日如来」を指すことがわかると、これを撤回し、ラテン語そのままに「デウス」を用いることを主張しました。そして、そのほかの神学用語も、仏教用語の使用による誤解や混乱を避けるために、ラテン語ポルトガル語をそのまま日本語表記にして使用することにしました。

 

  4.日本的多神教に変質したカクレキリシタン

 

江戸幕府によってキリシタンが禁教とされた後も230年間、潜伏キリシタンオラショ(祈祷)を口伝えで継承しました。しかし、その意味は失われてしまいました。

明治維新によってキリシタン禁教令が解かれた後も、ローマ・カトリック教会に戻らないで、独自の信仰を守った人たちがいます。それがカクレキリシタンです。

現在でも長崎県の五島地方と外海地方、生月島にはカクレキリシタンが1000人以上います(宮崎賢太郎「カクレキリシタンの信仰と生活」『日本「キリスト教」総覧』新人物往来社)。

彼らは掛軸に表装した、日本的な姿をしたキリスト、マリヤ、諸聖人、殉教者などを描いた「御前様」を崇拝し、すでに意味内容が失われたオラショ(祈祷文)を呪文のように唱えています。

生月島オラショには「神寄せ」があり、50体あまりの神様をお呼びするといいます。ミサの代わりに御神酒と刺身が出されます。彼らが呼びかけるデウス、ゼスキリスト、サンタマリヤなどがいかなる存在か、理解はほとんどありません。彼らの宗教はもはやキリスト教とはいえないものです。

この生月島カクレキリシタンにこそ、日本人の宗教性の本質である多神教の問題が、如実に現れています。そして、その問題に真正面から取り組んでこそ、日本の宣教はブレイクスルーが可能となり、日本の教会は成熟に向かうのだと思います。

西欧近代のカトリック教をそのまま日本に移植するだけではダメなんだ、とキリシタン時代のパードレたちは気づきました。カトリック教会は今も西高東低の差別意識が残存しているのでしょうか。

 

  5.日本人宣教の本質的問題

 

いわば「原日本教」とでも呼ぶべき宗教的世界観が、日本人に根強く影響を残しています。紀元後1世紀にグノーシス主義は最初期のキリスト教に結びついて、それを本質的に別の宗教に置換しました。その如く「原日本教」もまた、日本に伝えられたキリスト教を、似て非なる別の宗教「日本教」に置換しているのです。このような宗教風土、精神的土壌の地で、キリスト者キリスト教会は宣教を続けています。

私たちは、キリスト教信仰の基礎としてまず、万物の創造者である唯一の神がおられる、ということを日本の人々に根気よく伝えていかなければなりません。洗礼を受ける人が少なからずいるのに、数年のうちにその多数が信仰の営みから離れてしまう。それは、この根本的な問題が解決していないからでしょう。一神教の絶対的な神を信じる人が信仰を捨てるということは、他の国では考えにくいことだからです。 

「あなたは神を信じていますか」と問うときに、「神をどのような存在と思っていますか」という問いも併せてする必要があります。 「神・罪・キリスト・信仰」という救いの法則を説く場合に、最初のボタンからかけ違うことがないように、注意することが大切です。

より多くの人に福音を伝えて、教会を大きく育てることは、大切なことでしょう。しかし、そのために混ぜ物をしたり、悪いパン種によってふくれあがったりしてはなりません。教会が似て非なるもの=キリスト教新興宗教に変質しないように、配慮して、努力することも忘れてはならないのです。

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