サンドロ・ボッティチェリ《 東方三博士の礼拝 》1490-1500年 ウフィツィ美術館
「福音派の礼拝は、なぜ貧しいのか」。これは古い伝統を持つ教会の礼拝と、いわゆる福音派の教会の礼拝、両方を体験した人から、よく聴く質問・疑問です。
礼拝の貧しさの主たる原因は、礼拝学の貧しさにあります。「そもそも神学校や実習教会で礼拝学をまともに学んだ覚えが無い」という牧師が、日本には少なからずいます。礼拝がキリスト教会の最も重要な本質的営みであることを思えば、これは驚くべきことですが、事実です。
これには長い年月に及ぶ歴史的な事情が関係しています。
(A)古い伝統を持つ教会の礼拝
日本でもローマ・カトリック教会、ルーテル教会、聖公会、メソジスト教会の系統の大学と神学校では、礼拝学の勝れた教師がおられて、資料も豊富にあると思います。
ルーテル教会や聖公会は、ローマ・カトリック教会の伝統文化の多くの部分を受け継ぎました。メソジスト教会も聖公会から伝統文化をある程度、受け継いでいます。
これらの系統の大学や神学校は、欧米の伝統ある大学や神学校と人的な交流が盛んであり、実際に伝統的な豊かな礼拝を体験できます。聖餐のパンとワインが、まさに「キリストの肉と血」であり、罪の赦しと新しい命を与えるのです。
(B)改革派の礼拝、アナバプテスト派の礼拝
ツヴィングリやカルヴァンなどによって指導された改革派は、ローマ・カトリック教会の伝統文化の大部分を切り捨てました。アナバプテスト派(ブレザレン、メノナイトなど)も同様です。
そのため、彼らの伝統を受け継ぐ教会では、聖餐は、記念、象徴、せいぜい霊的現臨に過ぎず、信仰が霊肉二元論的なものになってしまいます。
(C)福音派の礼拝
後に生まれた長老派、会衆派、バプテスト派、ホーリネス派、ペンテコステ派は、カルヴィニズム、アナバプティズム、敬虔主義、リバイバリズムの影響が強いため、礼典を軽視する傾向があります。日本のいわゆる福音派は、この系統から生まれた教会が多いため、礼拝学が弱くなりがちです。
近年は、こういった問題意識から、日本の福音派でも礼拝の研究が盛んに行われるようになりました。けれども、礼拝学の神学的な基盤がそもそも違いますし、伝統的な祈祷書や礼典の形式を受け継いでいませんから、理論はある程度形成できても、実際の礼拝は貧しいままにとどまりがちです。たとえば、聖餐に関しては、神学や信仰が伴わなければ、真似事に過ぎないわけです。
ドイツではルーテル教会と改革派教会が合同しています。これは日本基督教団の礼拝学と礼拝に大きな影響があるでしょう。福音派も、もっとオープンな姿勢を持って、伝統的な諸教派から学ぶことが必要でしょう。