「ローマにて」使徒の働き28章16~31節
【金言】こうしてパウロは満2年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。(使徒の働き28:30~31)
1.聖書による証し
パウロがローマに着いたのは60年3月上旬だろう。
パウロには番兵が一人付いたが、かなり自由が許されていた。パウロはローマのユダヤ教の指導者たちを招いて、自分の身に起こったことを説明した。
パウロはどこに行ってもそうだが、まず同胞であり、神の選民であるユダヤ人から伝道を始めた。彼らは旧約聖書の民である。律法学者であるパウロは旧約聖書(70人訳ギリシア語聖書)を用いて、彼らにイエスこそ預言されたメシヤ(キリスト)であることを証しした。
2.信じる者と信じない者
ユダヤ人の一部はパウロの伝えた福音を信じたが、彼らの大多数は信じなかった。パウロは神の救いの計画がユダヤ人から異邦人に移されていることを知っていた(使徒13:46、18:6、ローマ9-11章)。それはイザヤ書などに預言されていたことである。
3.宣教の継続と拡大
60年の春から2年間、パウロはローマで幽閉の身とされたが、ローマ市民権を持つ彼はある程度自由に宣教活動ができた。彼は訪問者に<神の国>を宣べ伝え、<主イエス・キリスト>について教え続けた。この間にパウロはエペソ、ピリピ、コロサイ、ピレモンの各書簡を書き送っている。
釈放後、パウロはマケドニア、小アジア、クレテで宣教した(Ⅰテモテ1:3、テトス1:5)。そして64年のローマの大火に始まるネロ帝の大迫害の中で、パウロも処刑されたようである(斬首)。パウロが「為政者たちの前で証を立てた」ことが記録されている。
キリスト以外に救いの道は無い。私たちもキリストの福音を広く伝えて、人々を永遠の救いに導こう。