【金言】あなたがたは子であるゆえに、神は「アバ、父」と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。(ガラテヤ4:6)
1.神の子とされたから
ユダヤから来た律法主義者たちに惑わされて、ガラテヤの信徒たちは律法の奴隷に逆行しつつあった。そこでパウロは彼らに、キリストに対する信仰によって<神の子>とされていることを諭した。今や異邦人も<アブラハムの子孫>であり、<約束による相続人>である。
相続人が未成年の場合、成人するまでは後見人や管財人が遺産を管理しており、相続人はそれを自由に使うことができない。旧約=律法の時代には、人はみなそのような<奴隷>状態にあった。
しかし<定めの時>が来て、神の御子が人の子となり、贖いを成し遂げたので、私たちは神の子とされた。回心・洗礼において、<神は「アバ、父」と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わして>くださったのである。
神に「アバ」(お父さん)と親しく呼びかけるのは、イエスに独特の祈りであった。今や私たちも、そのように神に近づかせていただくことができる。
2.初心に帰って
せっかく自由の身とされ、神の祝福を受け継いだのに、どうして再び<幼稚な教え>に逆戻りして奴隷になろうとするのか。実際、ガラテヤの信徒たちは<各種の日と月と季節と年とを守っていた>。小アジアの土着の宗教やギリシア・ローマの神々、ユダヤ教の律法に支配され、束縛されていたのである。
パウロは、彼らに<福音を伝えた>最初の時を思い出すよう促した。当時パウロは目の病を患い、肉体が弱っており、それは人につまずきを与えかねないものだった。しかし、ガラテヤの人々は、パウロを天使かキリストのごとく敬い、福音を受け入れて救われ、大いに喜んでいたのである。あの喜びと愛は、今どこにあるのか。
3.キリストが形造られるまで
偽教師たちも<熱心>な宗教家であった。しかし、熱心だから正しいとか善いとか言えるものではない。彼らは人々を奴隷化して、真の救いから遠ざけるのである。
パウロは真実の愛をもって諭す。<私の子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再びあなたがたのために産みの苦しみをしています>。家族の救い、隣人の救いが、何の苦労も無く自然に成し遂げられると、安易な考えを持つべきではない。救霊は霊の戦いである。信仰生活から離れている人が回復されるためにも、私たちは<産みの苦しみ>を経験するはずである。
ひとりの聖徒が、苦悩して真剣に聖書を学び、福音の真理によって変えられた。そこから宗教改革は始まった。私たちは、どうだろうか。
今一度この手紙を読んで、キリストの福音が持つ大いなる力を体験しよう。