1.日本におけるエコロジー経済学の先駆者たち
筆者が千葉大学の工藤秀明ゼミでエコロジー経済学を専攻したのは、もう20 年余り前になる。1986年4月に起こったチェルノブイリ原発事故を契機に、その頃は日本でも反原発の巨大なうねりが生まれていた。
しかし、経済学の世界では、マルクス経済学が衰えて、近代経済学が全盛のバブル時代となっており、エコロジー経済学(あるいは環境経済学)は第三勢力としてさえ認められないマイナーな存在だった。
ただし、日本では、戦前から足尾鉱毒事件やイタイイタイ病など公害の問題が起こっており、特に戦後の高度経済成長の時代に、水俣病や四日市ぜんそくなど公害が全国各地で多発した。こうした公害問題への取り組みがエコロジー経済学の下地としてあった、と見ることもできよう。
宇沢弘文が1970年代に行った「外部不経済」の問題提起は、エコロジー経済学の基礎を成す先駆的な研究だ。
1980年代にこの分野で活躍していた経済学者としては、玉野井芳郎、中岡哲郎、宮本憲一、湯浅赳男、石弘之、中村尚司、室田武、古沢広祐、工藤秀明などの名を挙げることができる。
1983年9月に発足したエントロピー学会には玉野井芳郎や室田武など経済学者の他、藤田祐幸や槌田敦など物理学者も加わって、エコロジー経済の問題に取り組んでいた。脱原発についても、当時すでに綿密な研究がなされていたのである。
2.原発推進派の反撃
しかし、政・官・財・学・マスコミは原発推進派が多数を占めていて、広瀬隆に代表される反原発派を執拗に批判した。そして、地球温暖化問題をクローズアップして、「原子力発電は二酸化炭素を排出しないクリーンなエネルギ—です」という宣伝を盛んに行った。
そのため、世論は原発推進あるいは原発容認に傾き、結局、チェルノブイリ後も四半世紀にわたって日本では原発依存が続くこととなった。この状況が2011年3月11日の福島第一原発事故まで続いてきたのだ。
3.「大転換」を説く経済学者・哲学者の登場
ところがこの間、経済学の世界では、資本主義の限界と文明論的な「大転換」の必然性を説く経済学者が次々と登場した。正村公宏、中谷巌、佐伯啓思、水野和夫などである。中谷巌は著書の中で自らの「転向」を正直に述べている。
市場経済の限界と「大転換」に関しては、柄谷行人や萱野稔人、内山節など哲学者も重要な研究を行っている。社会学者、富永健一の近代化論や安田喜憲の環境考古学も「大転換」に関わる重要な文明論となっている。科学史家・科学哲学者、村上陽一郎の近代科学・技術・文明に関する論考は、この課題を考える上で非常に重要なものだ。
4.経済学の犯罪
佐伯啓思の著書『経済学の犯罪』(講談社)は、その名のとおり経済学に根本的な反省・改革を迫るものだ。「市場の自由競争は、利益を生み出すものであり、望ましいものだ」という「思い込み」「先行観念」に囚われている経済学者やエコノミストを、佐伯は痛烈に批判している。
以下、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に関わる部分を要約して紹介する。
・竹中平蔵氏など、「自由貿易は国民全体・世界全体に利益をもたらすのだから、TPPに反対するなど論外だ」というグローバリスト、市場中心主義者の見方は誤っている。
・TPPは厳密な意味では自由貿易とは言えない。むしろブロック経済の様相が濃い。
・当のアメリカでさえ、決して自由貿易を行っているわけではない。全品目の平均関税率はアメリカの方が日本より高い。
・自由貿易もTPPも、ある分野には利益をもたらし、ある分野には不利益をもたらす。
・生産物は原則的に市場競争にゆだねるとしても、生産要素(労働、資本、土地、自然資源)は市場化に制限をかけるべきだ。生産要素においては効率性よりも安定性が重要だ。
5.エコノミーとエコロジー
「エコノミー」(経済)という英単語は、ギリシア語の「オイコス」(家、棲家)と「ノモス」(法)が結びついてできた。「エコロジー」(生態学、生活科学)という英単語には「オイコス」と「ロゴス」(言葉)が結びついている。
生産要素=生態系・生物・人間生活の営みは経済活動=文明社会を支える土台であり、前者が破壊されるならば、後者も存亡の危機に瀕することになる。エコノミーとエコロジーが調和した、新しい文明社会を築くことができるか。そのビジョンの構想力と実行力が今、何よりも重要だ。
この国の行方を左右する、この総選挙にあたり、500年に一度という「大転換」の時を理解して、我々も今、適切な選択を行いたい。