この2月に、日本の各地でケズィック・コンベンションが開催されています。日本イエス・キリスト教団の母体である日本伝道隊は、1903年に本場・英国のケズィック・コンベンションにおいて持たれた祈り会から始まったミッションです。ケズィック・コンベンションや日本伝道隊を生み出した、英米のキリスト教ムーブメントについて考察してみます。
1.ジョン・ウェスレーとメソジスト
近代のホーリネス運動は、ジョン・ウェスレー(1703年 - 1791年)から始まった、と言ってよいでしょう。ウェスレーは、オクスフォード大学の学生であったころから、ホーリークラブを組織して、熱心なキリスト教の活動を行っていました。その頃に彼と仲間たちが「メソジスト」(几帳面な堅物)と呼ばれたことから、ウェスレーの宣教活動とそれが生み出したグループ・教会は「メソジスト」と呼ばれるようになりました。
ウェスレーは英国教会(聖公会)の聖職者となり、新大陸アメリカに宣教師として渡ることになりました。その船中で、激しい嵐の中にも揺るがされない、モラヴィア派の人々を見て、驚き、彼らと交わりを持つようになりました。
モラヴィア派はヤン・フス、ルーテル派、敬虔主義の流れに位置づけられます。モラヴィア兄弟団をまとめた指導者はニコラウス・フォン・ツィンツェンドルフ(1700年 – 1760年)です。モラヴィア派の人々は、生きた、燃える信仰を持っており、盛んに海外宣教を行っていました。
ウェスレーはモラヴィア派との交流を通して、転機的な聖霊体験に導かれました。それから、ウェスレーとメソジストは、英米における信仰復興(リバイバル)運動の中心となる、めざましい宣教活動を展開したのです。
2.ホーリネス運動
ジョン・ウェスレーは、転機的聖化に関して「キリスト者の完全」「心の割礼」「全き愛」といった用語を用いましたが、「聖霊のバプテスマ」という表現を認めませんでした。「聖霊のバプテスマ」という用語を「第二の恵み」に用いたのは、ウェスレーの同労者ジョン・フレッチャーです。
メソジスト教会から分離独立したホーリネス派の人たちが採用したのは、フレッチャー寄りの教説です。 19世紀から20世紀にかけてホーリネス運動の中心的な担い手となったフリーメソジスト(1860〜 )、チャーチ・オブ・ゴッド(1881〜 )、ナザレン(1895〜 )等、ホーリネス派の諸教団は、瞬間的聖化と(罪の)根絶説を強調しました。予定論に関しては、アルミニウス主義を採っています。
しかし、ホーリネス運動は、ジョン・ウェスレーの時代から今日に至るまで、メソジスト教会やホーリネス派だけでなく、聖公会や改革派・長老教会、バプテスト教会など幅広い諸教派に影響を与えており、教派を超えて多くの教職・信徒が関与しています。
ジョン・ウェスレーの神学には、アルミニウス主義を修正した教理が含まれています。ウェスレーは先行的恩寵と聖霊の働きを重視したのです。ウェスレーは、カルヴィニストであったジョージ・ホイットフィールドと予定論に関して一致できませんでした。けれども、ウェスレーは、ホイットフィールドの敬虔な信仰とリバイバルの働きを尊敬していました。
19世紀から20世紀にかけてリバイバル運動で活躍したチャールズ・フィニー、アンドリュー・マーレー、ドワイト・ムーディー、R.A.トーレイ、A.B.シンプソンはカルヴァン派の背景を持つ人たちですが、「きよめ」としての「聖霊のバプテスマ」を説いており、彼らの救済論にはアルミニウス主義の影響が見られます。
B.F.バックストンはムーディーの伝道によって回心を体験しました。日本ホーリネス教会の中田重治監督はムーディー聖書学院に留学して、ムーディーとトーレイから大きな感化を受けています。リバイバリズムとホーリネス運動には密接な関係があるのです。
4.ケズィック・コンベンションと日本伝道隊
英国の湖水地方にあるリゾート地ケズィックで初めて聖会が開催されたのは1875年です。その時の指導者C. バタスビーは、カルヴァン派の人でしたが、ホーリネス運動の影響を受けていたようです。
この聖会の説教者は、幅広くプロテスタントの諸教派から立てられてきました。『ケズィック365日』という本を見ますと、それはよくわかります。「第二の恵み(Second Blessing)」という表現は使わなくても、ホーリネス(Holiness)の恵みはケズィック運動に確かに流れ込んでいます。
ただし、B.F.バックストンは「聖霊のバプテスマ」を強調したため、後半生において、ケズィック運動の指導者たちと距離を置いていたようです。ケズィック運動は「実践的、 聖書的、個人的ホーリネス」を特徴としており、「第二の転機」に特別な強調を置くメッセージは馴染まないようです。
そもそもバックストンが指導した松江バンドと日本伝道隊は超教派のミッションでしたから、聖公会、メソジスト教会、ホーリネス派、長老教会、バプテスト教会など宣教師の神学的背景はかなり幅があります。「きよめ」(Sanctification, Holiness)の恵みは、特定の教派に限定されないのではないでしょうか。
5.隠れたる神と恐れ、慎み
人間の理性によって完全な教理を組み立てることはできません。聖霊の自由な働きと多様な人間の経験を、単純化した理論によって拘束したり、裁いたりすることが賢明でしょうか? B.F.バックストン師は「聖霊のバプテスマ」を熱心に説きましたが、彼自身の転機的経験については、ほとんど語っていません。誰も、自分の(自分たちの)思想や経験を絶対的な基準としてはならないのです。
宗教改革者ルターとカルヴァンは「隠れたる神」を尊重し、人間の理性による探求の限界について警告しています。カルヴァンは、『キリスト教綱要』で二重予定について述べているところで、「隠れたる神」に言及し、「歯止め」(留保)をかけています。その「歯止め」を外した結果、近代の教会と世界はどのようなことになったでしょうか。我々は、人間の理性の限界を自覚し、絶対主権者なる神の真理に関して、恐れをもって慎むべきでしょう。
池上 良正著「ホーリネス・リバイバルとは何だったのか」