「神に認められる人」ルカの福音書18章9~14節
【金言】神よ。罪人の私をあわれんでください。(ルカ18:13)
人は皆やがて神の裁きを受けなければならない。どうしたら神に罪無き者=義と認められるのか、学びたい。
1.自分の義を誇るな
このたとえ話には、二人の対照的な人物が登場する。まず一人は、律法を忠実に守る、真面目なパリサイ派の男である。彼は神に、自らの義なる生活を申し述べる。彼は律法の戒めを破らなかっただけでなく、断食や献げ物に励んでいた。
ところが、彼は神に義と認められなかった。彼の他人を見下す高慢な心を、神は忌み嫌われるからである。
聖なる神の目には、人間の義は無きに等しい。「私は見える」と言い張るがゆえに、罪が残る(ヨハネ9:41)。人は己が見えないものである。己の義を誇るなかれ。
2.自分の罪を認め、神の憐れみを求めよ
もう一人は、税金を規定以上に徴収することによって私腹を肥やしてきた取税人である。彼は神殿に行くが、「罪人」は境内に入ることができない。彼は遠くに立ったまま、それ以上近づいていけない。目を天に向けることもできない。聖なる神の御前にふさわしからぬ自らの罪汚れを自覚していたからである。
彼は胸を打ちたたきながら神に祈る。
「神よ。罪人の私をあわれんでください」。
彼には誇れるものが何も無い。ただ憐れみにすがるのみである。しかし、なんと神に義と認められたのは、この男の方であった。
3.神は豊かに赦してくださる
なぜ、このような逆転が起こるのか。それは、神の御子イエスが、すべての人の罪を背負って死なれたからである。
「不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされる」(ローマ4:5)
自分の罪を悔いて祈ろう! 神は豊かに赦してくださる。
「神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません」(詩篇51:17、19)。