「宣教命令」(3) 使徒の働き1章3~11節
【金言】聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。(使徒1:8)
1.聖霊を待ち望む祈り
復活されたイエスは40日間にわたって弟子たちに現れた。主は彼らに一つのことをお命じになった。<エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです>。
聖霊を授かることは、すでに約束されていたことであり、必須であった(ルカ3:16,11:13,12:12,49,24:49)。キリスト教会の宣教は、人間の知恵や力や欲望ではなく、神の知恵と力と愛によるものであるからだ。
弟子たちは<今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか>といきり立った。しかし、主がお命じになったのは<待ち望む>ことである。主が天に昇られた後、弟子たちは10日間、エルサレムの一軒の邸宅でひたすら祈り続けた。そこに聖霊が降ったのである。
2.地の果てまで
<聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります>。イエスはこう言ってから、天に昇って行かれた。
この「使徒の働き」を読むと、ユダヤ人である弟子たちが、異邦人宣教を始めて、それを推進していくのが、いかに困難なことであったか、がわかる。彼らは選民意識に捕らわれていた。ユダヤ教の枠組みを越えることが、なかなかできなかった。異邦人との接触に抵抗があった。
しかし、イエスはすでに、その枠組みを打ち破って、新しいぶどう酒と新しい皮袋を用意なさった。イエスは模範を示してこられたし、弟子たちはそれを間近に見ていた。この後、イエスは御霊において弟子たちのうちに宿って、世界宣教を継続し、拡大していかれるのである。
私たちは、どこまで主のご計画を理解しているだろうか。私たちは、どこまで主の力を信じているだろうか。失われている人々に対する、主の燃える愛が、聖霊によって注がれる時、私たちの限界は打ち破られる。
ひたすら主を待ち望め! 聖霊の注ぎを受けよ!