【金言】悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。 あなたがたは 祝福を受け継ぐために召されたのだからです。(第一ペテロ3:9)
1.不当な苦しみ
この手紙の受取人たちは「悪」の問題に苦しんでいた。彼らが経験していたのは「信仰の試練」である(1:7)。彼らがイエスをキリストと信じ告白するがゆえに、彼らを攻撃する人たちがいた。悪口、虚言、侮辱、罵倒、脅迫、殴打。それは「不当な苦しみ」であった(2:19)。
「私が言っていることは真実だ。それなのに、なぜ私が非難されるのか? 私は今まで真面目に仕えてきた。それなのに、なぜこんな仕打ちを受けるのか? こんな不条理が許されてよいものか? やられたら、やり返す。これは正当防衛だ。悪いことではない」。このように考えるのは、一般社会では普通かもしれない。
2.悪をもって悪に報いず
では、ペテロが彼らに指導した対処法は、どのようなものであったか。
「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい」(3:9)。
これは常識では考えられないことであった。
何よりも大切なことは、心の目を上げて、イエス・キリストを見つめることである。いつでも、どんな状況でも。心が痛み、苦しくて、忘れられないときにも。怒りに震えるときにも。
主イエスの手と足には、くぎを打ち込まれた傷跡があり、脇腹には、やりで刺された傷跡がある。その打たれた傷によって、私たちは癒されたのだ(2:24)。
イエスの十字架には、人を変える不思議な力がある。イエスの祈りが今、私たちの祈りとなる。
「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」(ルカ23:34)。
3.祝福を与えなさい
私たちの悩み、苦しみ、痛み、憤りを、主イエスは理解してくださる。主に問題をゆだねよう。必要であれば、適切な弁明の機会が与えられるだろう(3:15)。
主はすべてを正しく裁かれる。
主イエスがご自身の平安によって私たちを守ってくださいますように(ヨハネ15:27)。