【金言】それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。(テサロニケ第一4:16~17)
今日は、先に天に召された兄弟姉妹を覚えて、私たちの信仰の目を天高く向けさせていただき、私たちの心を希望に満たしていただきたい。
1.誤った理解と正しい知識
この手紙は、使徒パウロが紀元51年頃に、ギリシアの都市コリントからマケドニヤの都市テサロニケにある教会に宛てて、書いたものである。
テサロニケの信徒たちは、キリストの再臨について多くの誤解をしていた。キリストがまもなく再臨されるのだから、もう働かなくてもよいと考えて仕事をやめる人がいた。また、すでに死んだ人はキリストの再臨にあずかれないと思って、悲しむ人がいたりした。
そこで、パウロはこの手紙によって、彼らに正しい知識を伝えようとしたのである。
2.キリストの復活と再臨がもたらす救い
紀元30年にイエス・キリストが肉体をもって復活されたことは、死者の復活の「初穂」であった(第一コリント15:20)。オリーブ山から昇天されたキリストは、再び天から降って来られる(使徒1:11、マタイ24:30)。
その時、キリストにあって死んだ者たちがまず復活して、天に挙げられる。それから、生きながらえてその時を迎えるキリスト者たちが、天に挙げられるのである。
ただし、「雲」や「空中」「天」という言葉は、物理的な場というよりも、<いつまでも主とともにいる>状態を意味している。なぜなら、現在の天地は滅び行くものであり、我々キリスト者は、新しい天地に永遠の住まいを得るからである。
3.復活の希望
キリストが再臨されたならば、私たちは皆、栄光の体に変えられて、とこしえに主と共に暮らすことができる。もはや死もなく、悲しみも、痛みも、涙も無い。
私たちは、この地上にあっては多くの苦労がある。愛する人との死別は悲しいものであるが、キリストにあって私たちには確かな希望が与えられている。互いに信仰の言葉をもって慰め合い、助け合いながら、永遠の御国をめざして歩んでいこう。