「確信を持って生きる」第一ヨハネ3:16~24
<2015年1月1日 神戸大石教会 元旦礼拝 説教要旨> 牧師 金井 望
【金言】私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって 愛そうではありませんか。それによって、私たちは、自分が真理に属するものであることを知り、そして、神の御前に心を安らかにされるのです。 (ヨハネの手紙第一 3章18~19節)
新しい年をご一緒に迎えることができる幸いを、主に感謝しましょう。
年頭にあたり今一度、私たちの信仰の歩みの基本を確認したく思います。
人は何のために生きているのか。この根本問題の答えを、私たちは、神の言葉である聖書によって知らされました(マルコ12:29~31)。
人は、神によって愛され、神を愛するために、生かされています。
人は、人によって愛され、人を愛するために、生かされています。
この人生の目的は、私たちが自分で作り出したものではなくて、私たちを造られた創造主なる神が、初めから定めておられたことです。私たちは神によって、神に似せて「神のかたち」に造られた、神のしもべであるからです。
ところが、真の神から離反した人類は霊的に死んだ状態となり、この最も基礎的な真理がわからなくなってしまいました。そして、すべての人が、神の律法に反する罪を重ねて生きてきたのです。
それでも神は、私たちが悪しき力によって滅ぼされることを望まず、私たちに救いの御手をのべてくださいました。神の独り子イエスをキリスト(救世主)としてこの世に遣わし、神ご自身を明らかに示してくださったのです。
そして、御子イエスの十字架の死によって、私たちの罪=神に対する負債をすべて赦し、私たちをきよめてくださいました。私たちはキリストの復活の命にあずかって霊的に新生しました。
キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。(16)
これがキリスト教の真髄です。
私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛そうではありませんか。それによって、私たちは、自分が真理に属するものであることを知り、そして、神の御前に心を安らかにされるのです。(18〜19)
私たちが真のぶどうの木であるキリストにつながって生きるならば、キリストの命と愛が私たちに注ぎ込まれて、私たちはキリストにならって生きることができるように変えられます(ヨハネ15:5)。
ただし、地上にあっては私たちに完全はありません。それでも私たちは確信をもって生きることができます。
たとい自分の心が責めてもです。なぜなら、神は私たちの心よりも大きく、そして何もかもご存じだからです。(20)
キリストによる赦しときよめは完全です。 それゆえ私たちは<大胆に神の御前に出る>ことができます(21)。
この新しき年も、神の家族として豊かな交わりの中に歩ませていただきましょう。
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