1.聖書の政治思想は保守的である
聖書の政治思想は基本的に保守的である、と私は理解しています。「保守主義」を「国家の権威・秩序・史的アイデンティティーを重視する思想と運動」と定義した場合ですが。
「カイザルのものはカイザルに、
神のものは神に返しなさい」(マルコ12:17)
「すべての人は、上に立つ権威に従うべきである」(ローマ13:1)
「神は無秩序の神ではなく平和の神である」(第一コリント14:33)
「あなたがたは、すべて人の立てた制度に、主のゆえに従いなさい。
主権者としての王であろうと……」(第一ペテロ2:13)
聖書の神は、法則に従って動くこのコスモスを、創造されました。主は秩序を愛し、無秩序を憎むお方です。それゆえに、マルクス主義とアナーキズムは、キリスト教とは相容れない真逆の思想なのです。
「国家」(state)は、国土・郷土(country)と国民(nation)を守るために存在する統治機構です。それが「専制君主」によって人民を圧迫するものになった場合には、神は「公義」(ミシュパート)の原則に従って、国家体制の改革または革命を起こされる場合があります。戦前戦中の日本で、人民を圧迫する「専制君主」の座を占めたのは、「軍部」でした。今、中国でその座を占めているのは「共産党」です。
2.「保守」とは何か
日本のクリスチャンには、政治的に「革新」の立場をとる人が多いようです。日本政治において「保守」とは、「軍部」が支配する軍国主義・全体主義に逆戻りすることだ、と思っているからでしょう。実際、自民党の中堅や若手に、戦後民主主義を否定する暴論を吐く輩がいて、混乱を招いています。非常に残念なことですが。
しかし、本当の「保守」は、尊皇攘夷、自由民権運動、立憲主義、政党政治につながる流れです。「五箇条の御誓文」において、すでに、はっきりと、その方針は示されていました。
一 広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ
一 上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ
一 官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス
一 旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
一 智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ
伊藤博文をはじめ明治時代の指導者たちは、英、仏、独、米の議会制民主主義が持つ力を、よく理解していました。
3.「天皇」とは何か
日本のクリスチャンに「革新」の政治的立場をとる人が多いことには、もう一つ重要な要因があります。それは、政治的な「保守」派と「天皇制」「国家神道」が結びついている問題です。実際、大嘗祭、靖国神社、国旗国歌、歴史教科書など、問題は山積しています。しかし、この結びつきは必然的なものかどうか、よく検証してみる必要があるでしょう。
『昭和天皇独白録』(文春文庫)37頁から引用します。
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「現神〔あきつかみ〕の問題であるが、本庄だつたか、宇佐美〔興屋〕だつたか、私を神だと云ふから、私は普通の人間と人体の構造が同じだから神ではない。そういふ事を云はれては迷惑だと云つた事がある」
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昭和初期において、天皇も元老たちも学者たちも「天皇機関説」を認めていました。「君臨すれども統治せず」です。それなのに、一部の政治家と軍人と思想家がこれを否定して、天皇の名のもとに軍国主義=帝国主義的侵略へと暴走しました。昭和天皇はそれを非常に怒っておられたのです。2・26事件が勃発した時には、天皇が即座に鎮圧を命じました。天皇が「ご聖断」を下さなければ、太平洋戦争の終結=ポツダム宣言の受諾はできなかった、軍部の暴走は止められなかった、と言われています。
そもそも鎌倉幕府の成立以降、基本的に「天皇」は「日本」の「象徴」であって、「君臨すれども統治せず」でした。明治維新や太平洋戦争のごとき「日本」の存亡の危機において、この国のアイデンティティー=「国体」を保持する機能を果たすのが、「天皇」の最も重要な役割なのです。
これをキリスト教との関係において、どのように考えるか。聖書は「王」を否定していません。キリスト教は立憲君主制を否定していません。しかし、「現人神」(あらひとがみ)は偶像崇拝ですから、認められません。では、全国民を代表して、「天の神」に仕える「祭司王」としての「天皇」はどうでしょうか? 実は、天皇の職務の基本が「大祭司」であることは、古代から現代に至るまで変わっていないのです。
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