最近、New Perspective(s) on Paul(NPP)について日本福音主義神学会やクリスチャン新聞などで解説や批評が為され、N.T.ライトの著書が和訳されて発行されたこともあって、関心を持たれる方々が広がっているようです。
http://kanai.hatenablog.jp/entry/2015/11/07/kanai.hatenablog.jp
http://www.aguro.jp/d/ici/20151116_jets-e_the_justification_and_the_Judgement_outline.pdf
筆者はその分野の専門知識を持ち合わせておりませんが、少しく勝手な感想を述べさせていただきます。
ジェイムズ・D・G・ダン(James D. G. Dunn)の二つの論文「基盤を点検する ー 新約学の現代の潮流 ー」と「パウロ研究の新しい視点」の和訳版が『新約学の新しい視点』 というタイトルですぐ書房から発行されたのは、1986年です(山田耕太氏が和訳)。
同じくダンの『ガラテヤ書の神学』(叢書新約聖書神学)の和訳版が出たのは1998年です。

- 作者: J.D.G.ダン
- 出版社/メーカー: 新教出版社
- 発売日: 1998/12/05
- メディア: 単行本
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E.P.サンダース著『パウロ』の和訳版が出たのが2002年です。

- 作者: E.P.サンダース,土岐健治,太田修司
- 出版社/メーカー: 教文館
- 発売日: 2002/05
- メディア: 単行本
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筆者はこれらを読んでいましたが、疑問を感じるところが少なからずありました。しかし、この件で誰かと論じ合う機会はありませんでした。日本でNPPが話題にならなかったのは、英国とキリスト教界の状況や問題意識が相当違うからでしょう。
日本の福音派でNPPが盛んに取り上げられるようになったのは、2010年代になってからだと思います。英米の神学校や大学で聖書学を学んだ方々が、様々な方法でNPPを紹介してくださったことが、影響したのでしょう。
日本の福音派が関心を持ったのは、ーーNPPがプロテスタントの根本教義である「信仰義認」を崩すーーという恐れを持ったからだと思われます。
プロテスタントの正統主義・福音主義は徹頭徹尾100パーセント「恵みのみ」「信仰のみ」の義認論を保持しています。それに対してローマ・カトリックは、信仰義認だけでなく、行為義認(信者の償罪)も認めています。ちなみに、N.T.ライトは英国国教会の聖職者です。ダンはChurch of Scotland 出身で、メソディストの教会で説教をしています。
パウロ研究に「新しい視点」を持ち込んだ先駆者として、クリスター・ステンダールの名が挙げられます。
論文 The Apostle Paul and the Introspective Conscience of the West
Krister Stendahl’s Classic Article, “The Apostle Paul and the Introspective Conscience of the West” – The Time Has Been Shortened
英国では1970年代の末からNPPが盛んになったようですが、それに決定的な影響を与えたのは、E.P.サンダースです。
サンダースの次の三つの主張が特に重要です。
(1) パウロの義認論の背景となっている「律法主義的ユダヤ教」の理解は、歴史的な事実と異なる。
(2) マルチン・ルターは、当時のカトリック教会の状況を聖書に読み込んで、第二神殿期ユダヤ教を誤解した。
(3) ルターは、彼自身の個人的な罪責感からの解放を、パウロ書簡の義認論に読み込んで解釈した。

- 作者: N・T・ライト,岩上敬人
- 出版社/メーカー: いのちのことば社
- 発売日: 2017/04/10
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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問題の焦点は、パウロが描く第二神殿期ユダヤ教と、当時のユダヤ教文書が描く第二神殿期ユダヤ教の相違でしょう。これに関する良書が出ました。

Reading Romans in Context: Paul and Second Temple Judaism
- 出版社/メーカー: Zondervan
- 発売日: 2015/07/28
- メディア: Kindle版
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そもそも、あのステファノの説教(使徒行伝7章)からして、歴史観の問題です。新約聖書に記された説教の中で最も長いのは、それです。この説教は、最初期キリスト教において、決定的に重要な意味を持っていました。
ヘレニスト・ユダヤ人のイエスの弟子たちが持っていた、その歴史観を受け継いで、「キリスト教」を確立したのは、パウロです。彼らの歴史観を否定したら、ヘブライストの弟子たちのように、ユダヤ教ナザレ派でしかなかったでしょう。
紀元1世紀のキリスト教世界には、三種類の信徒がいました。
(A)ヘブライスト・ユダヤ人
(B)ヘレニスト・ユダヤ人
(C)異邦人
各地域の教会それぞれに、三種類の人数比が異なっていました。1世紀中葉に(A)のリーダーであったのはペテロとヨハネと主の弟ヤコブです。(B)(C)のリーダーはステファノやフィリポ、バルナバ、パウロ、アポロ等です。
新約聖書のマタイ福音書、ヘブル人への手紙、ヤコブの手紙には(A)の影響が大きく、ルカ文書とパウロ書簡には(B)(C)の影響が大きいように思います。
イエスの弟子たち=信従者たちが「キリスト者」と呼ばれるようになったのは、ヘレニストと異邦人の教会です(使徒11:26)。ナザレ派だけでは「キリスト教」に成り得なかったでしょう。それを明白に論証しているのが、使徒行伝、ガラテヤ書、ローマ書です。
ルターがガラテヤ書とローマ書を重視し、ヤコブ書を「藁(わら)の書」と読んで軽視したのは事実です。NPPは、その偏り(?)を是正し、補完する意義を持っているのでしょう。しかし、それがパウロ書簡をキリスト教の心臓部とするプロテスタンティズムを、崩すところまで行ったりはしないだろう、と筆者は予測しています。
NPPについて、聖書学者・古代オリエント学者のT先生は、こう言っておられました。
「歴史には、いろいろな見方があります。パウロの見方が間違いで、ユダヤ教側の見方が正しい、というのはおかしい。正典以外のユダヤ教文書、ミシュナーやタルムードなどを基準にするのであれば、キリスト教ではありません」
古代ユダヤ教のラビ(教師)たちは、イエスとキリスト教をどのように見ていたのか。次の本が参考になります。

- 作者: ペーター・シェーファー,上村静,三浦望
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2010/11/17
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