仏教とは何か? 創価学会は仏教か新宗教か?
【序】仏教とは何か
「仏教とは何か」。これを問うてみることは、キリスト者にとっても有意義だと思います。仏教とキリスト教の比較は興味が尽きないでしょう。ただし、仏教は広大無辺で、そもそも定義すら困難なものです。
近代日本に生まれた有力な仏教集団である創価学会は、伝統的な仏教なのか? おそらくこれを否定する仏教徒もいるでしょう。それは、何をもって「仏教」とするか、という問題です。事は仏教の歴史に関わっています。
「仏教」と一口に言いますが、少なくとも
(1)原始仏教
(2)部派仏教(上座部、大衆部)
(3)大乗仏教
に分類する必要があります。
ゴータマ・シッダールタ、いわゆる釈迦(シャカ)は紀元前5世紀頃に北インドにいた人物と言われます。釈迦は部族の名です。彼の生涯の記録や彼の教えは、生前には文書化されず、今日まで残っている原始仏典は彼の死から200年以上後に文書化されたものです。
原始仏典は釈迦の言葉に近いとされます。釈迦は自分自身を「ブッダ」(悟った者)と理解していたようですが、それは神的=超越的存在ではありません。原始仏典にも「神々」や「悪魔」が登場しますが、それらは現世的であって、時空を超越した者ではありません。
「すべて生けるものは老いて、壊れ、死滅する。その法則から逃れられるものは無い。それなのに、若いこと、健康であること、生きていることに執着するから、苦しむのだ。その執着を捨てて、あるがままを受け入れたら、平安な心が得られる」。
釈迦が説いた教えは、おそらくこのようなものであったと思われます。その「平安な心」を「涅槃」(ねはん)と言い、その境地に至ることを「解脱」(げだつ)と言います。ブッダが説いた「解脱」は、輪廻転生に対する恐れにさえとらわれない自由な精神でしょう。このような原始仏典の教えは無神論に近い、と言われます。原始仏教は「自力」の道だったのです。
ただし、釈迦の入滅(死)直後から、弟子たちによって彼の神格化が始まりました。釈迦だけを超越者また救済者として信仰する仏教は、部派仏教と言われます。部派仏教は戒律と教団を重視する保守的な上座部と、進歩的な改革派の大衆部に分かれました。上座部仏教はインドの南部、スリランカ、東南アジアで栄えて、今日まで続いているため、「南伝仏教」とも呼ばれます。
【2】大乗仏教と日本仏教
上座部仏教は、釈迦のように出家した男性の僧侶が中心であり、「自力」の性格が強く残っています。それを「小乗」と批判して、もっと広い教えと実践を求める運動が、紀元後1世紀にインドで起こりました。それが「大乗仏教」です。これを大成したのはナーガールジュナ(龍樹)とされますが、正確な史実は確定できません。
大乗仏教は、インドのバラモン教やヒンズー教、ペルシャのゾロアスター教、さらにユダヤ教、キリスト教など諸々の宗教の影響を濃厚に受けています。大乗仏典には「菩薩」(ぼさつ)や「如来」(にょらい)と呼ばれる救済者が次々と登場します。
日蓮が依拠した経典は、大乗仏典の一つである「法華経」(妙法蓮華経)ですが、これにも無数の菩薩や如来、神々が描かれています。
大乗仏典も釈迦が説いた形となっていますが、歴史上のゴータマ・シッダルタに由来するテクストはほとんどありません。日本に仏教が伝わったのは6世紀と言われますが、日本の仏教は奈良仏教以外ほとんどが大乗仏教です。
大乗仏教を「顕教」と「密教」に分ける見方もあります。密教は、ヒンズー教やゾロアスター教など神秘主義的な宗教の影響を濃厚に受けた仏教です。
9世紀の始めに、渡唐した弘法大師・空海によって、多くの密教仏典が日本に伝えられました。その中には、古代東方キリスト教の一派である「景教」の教典も含まれているようです。伝教大師・最澄が空海から密教仏典を借りて、比叡山にその写本を残したことは、有名です。
最澄没後、円仁、円珍が続いて渡唐し、空海が請来した経典の全てと文献や法具を持ち帰って、天台密教(台密)を打ち立てました。
鎌倉時代、12~13世紀に、日本仏教の中心地・比叡山で学んだ僧侶たちが、日本独特の仏教を発展させていきました(鎌倉新仏教)。法然と親鸞は浄土経典を根本としてそれぞれ浄土宗と浄土真宗を開き、栄西(臨済宗)と道元(曹洞宗)は禅宗を広めました。そして、日蓮は法華経を根本として法華宗(日蓮宗)を開いたのです。
【3】創価学会は現代の新仏教である
最初に述べたように、「創価学会は伝統的な仏教なのか」という根本問題があります。「仏教」の定義は難しく、無いに等しい、ということも最初に述べました。ですから、創価学会の皆様が「自分たちは伝統的な仏教徒だ」と主張なさっても、一般的には否定できないと思います。ただし、他の仏教諸宗派の方々には、「創価学会は伝統的な仏教である」という主張に違和感を感じる人も、少なくないでしょう。
なぜか? それは、仏教の成立要件として、
(1)仏(如来、菩薩)
(2)法(仏典)
(3)僧(僧侶)
の「三宝」を挙げるのが、他の宗派では一般的だからです。これによって定義される「仏教」は、世界宗教としての普遍性を獲得しています。
では、創価学会はどうでしょうか?
(1)日蓮を仏とする。日蓮正宗・大石寺の本門戒壇の板曼陀羅を御本尊としていたが、破門されたため、それを書写して板に彫刻したものを御本尊としている。しかし、両者の違いが問題となっている。
(2)法華経(方便品・寿量品)と『日蓮大聖人御書』を経典とする。
(3)本来、日蓮正宗の講(信徒団体)であったため、破門された後は、僧侶のいない友人葬を行っている。
これは「伝統的な仏教」と言えるのでしょうか? 日本独自の現代的「新仏教」ではないでしょうか。
創価学会のご本尊とは何か?signifie.wordpress.com
【結論】仏教の本質とキリスト教の本質
私見では、ゴータマ・ブッダの悟りは哲学であり、倫理であり、科学に近いものです。エントロピーの法則(熱力学の第二法則)とエコロジー(生態学)に気づいて、それを世界観や人生論に昇華したのでしょう。
釈迦を神格化することによって仏教は宗教となり、他宗教の神々を取り込むことによって、多神教となりました。そもそもシンクレティズム(宗教混淆)こそ仏教の本質であり、それゆえ仏教は広大無辺、定義付けが不可能な宗教なのです。
ですから宗教学的には、創価学会だけを特別視すべきではなく、他の仏教系諸宗派との違いは伝統だけであり、三宝はその伝統を象徴する記号に過ぎません。
大乗仏教においては、その伝統が歴史性の乏しい神話に基づくものであることは、すでに述べたとおりです。
これに対して、キリスト教はイエス・キリストの歴史的実在から始まっており、それに根拠付けられています(コリント人への第一の手紙15章1~11節 参照)。
人類の救い主は、人となられた神、人類の罪を代わりに負って死に、復活されたイエス・キリストだけです。歴史上、他にこのようなお方はいません。どの宗教にもいません。
イエス・キリストの実在、これがキリスト教の本質であり、仏教をはじめとする他宗教との決定的な違いです。
「わたしが道だ。真理だ。命だ。誰でもわたしを通してでなければ、御父のもとへ行くことはできない」
イエス・キリストの御言葉(ヨハネによる福音書14章6節 私訳)
創価学会のまちがいをただす―「キリスト教折伏」に答えて (1963年)
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