戦後70年間、日本が戦争に巻き込まれなかったのは(正確に言うと朝鮮戦争には参戦していたのですが)、米軍のプレゼンス=圧倒的な軍事的優位性によって日本列島が守られてきたからです。しかし、米国も日本も、財政事情の悪化により、今後は防衛費の支出を伸ばすことは困難です。ですから、集団的自衛権を行使して、東アジアで同盟関係を強化し、中国の軍事的な膨張政策を抑止しようとしているのです。
中国と北朝鮮がどんどん軍拡を進めているのに、それに対する防衛努力を怠って、隙を作ったら、戦争勃発のリスクが高まります。このパワーバランスの理解は、一般社会においては常識でしょう。なぜキリスト教の牧師・ジャーナリストには、この常識を理解しない人が多いのでしょうか。 その一つの要因は、左翼の偏向した世界観がキリスト教に侵入したことにあるようです。日本基督教団をはじめNCC系の諸教団に学生運動崩れの左翼活動家が牧師になって入り込み、内部からキリスト教解体工作をしてきたことは、明らかな事実です。
その人たちはもう結構なお歳ですが、彼らの播いた種が福音派でも芽を出し、大きく育っているようです。前者は確信犯ですが、後者には共産主義の何たるを知らずに染まっていく純粋無垢な牧師たちもいるようです。いわゆる「なんちゃって左翼」です。 後者はその歪んだレンズの色眼鏡が「聖書」「キリスト教」の教えだと思い込んでいて、教会の信徒やKGKの学生たちにそれをどんどん複製して与える始末。余計にやっかいな状態です。福音派は長年にわたり、そのような社会派=リベラル派に反発して、警戒していたのですが、こんなに侵蝕していたんですね。 この「緊急セミナー」の講師のおひとりである岡山英雄牧師のご著書を紹介します。 富岡 幸一郎 岡山 英雄 共著『キリスト者の戦争論』 [地引網新書] 2006年
- 作者: 富岡幸一郎岡山英雄
- 出版社/メーカー: 地引網出版
- 発売日: 2006/08/01
- メディア: 新書
- クリック: 1回
- この商品を含むブログを見る
この本の途中までは皆様賛成なさることが多い、と推測します。このお二人の論者は大変賢明で、良い観察眼をお持ちです。しかし、具体的な実践論に入ると、岡山英雄先生は「絶対平和主義」にこだわっておられます。<たとえ自分は殺されても相手を殺さない>(P.66)
新約聖書も、神はこの世の権威者に「剣」を帯びさせて統治させておられる、と教えています(ローマ13:4)。ヨハネの黙示録では、キリストは<鋭い、両刃の剣を持つ方>であり、異端者に対して「わたしの口の剣をもって彼らと戦おう」と仰せです(2:12, 16)。また、キリストの<二人の証人>について、このように仰せです。「彼らに害を加えようとする者があれば、火が彼らの口から出て、敵を滅ぼし尽くす。彼らに害を加えようとする者があれば、必ずこのように殺される」(11:5)。<この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。(中略)また私は、獣と地上の王たちとその軍勢が集まり、馬に乗った方とその軍勢と戦いを交えるのを見た。 (中略)残りの者たちも、馬に乗った方の口から出る剣によって殺され、すべての鳥が、彼らの肉を飽きるほどに食べた>。(19:15,19,21)
岡山師の戦争論・平和論の根本的な誤りは、キリスト再臨前の現世においてキリスト再臨後の来世を実現しようとする「来世主義」にあります(p.77)。彼らはーーキリスト再臨後に成就する完全平和を、再臨前の今ここでめざすべきだーーと主張しています。すなわち、絶対平和主義です。
岡山師はそれが、ーー内村鑑三が言う「内的再臨」によって、キリスト者はその行動が可能となる。ただし、外的には再臨はまだ起きていないため、非暴力を貫いて殉教する他ないーーということを認めておられます。それがわかっていながら、「剣をとらず、非暴力・無抵抗・非戦を貫くべきだ」と言うのです。
「自分が殺されても、相手を殺さない」
「家族を守るためであっても、人を殺さない」
美談のように見えますが、これは、この世の秩序を破壊し、混乱をもたらす独善的で危険な思想です。
再臨前の現世についてキリストはこう仰せです。
羊飼いは、我が身の危険を承知で、杖を取り、狼を追い払います。そうしながら、羊に牧草を与え、水を飲ませて、守り養います。政治や行政、国防の役割はまさに、これではないでしょうか。もし、羊が無防備で群から離れて行き、狼に狙われているとしたら、羊飼いはその羊を追いかけていき、安全な石囲いの中へ連れて行くでしょう。
どんな王でも、ほかの王と戦いを交えるために出て行く場合には、まず座して、こちらの一万人をもって、二万人を率いて向かって来る敵に対抗できるかどうか、考えて見ないだろうか。もし自分の力にあまれば、敵がまだ遠くにいるうちに、使者を送って、和を求めるであろう。(ルカ14:31-32)
日本の福音派が「戦争と平和」の問題に取り組んできた歴史は、すでに数十年に及ぶと思います。しかし、これほど左傾化して、日米安保体制に反対する行動をしているのは、ここ数年の現象です。キリスト者が共産党と手を結んで共闘するとは、いったいどういう道理でしょうか! 我々の為すべき「戦い」は何であるのか、我々の「敵」は誰であるのか、彼らは全く忘れてしまったのでしょうか? なぜ羊飼いが羊を、狼の群の中に連れて行くのでしょうか?
悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。(エペソ6:11-12)
政治に関しては今も、福音派には多様なスタンスと多様な意見があります。しかし、日本の福音派の超教派宣教団体、神学教育、出版事業、そして日本福音同盟(JEA)は完全に東京中心になっています。日本の一般社会もまた然り。 そのため、福音派の中枢部に関わっている人たちの「偏り」が、実力以上に大きく見えるのですが、その運動の実態もそれに合わせて大きく成長しつつあります。
けれども、インターネット、とりわけSNSは、この状況に劇的な変化をもたらしつつあります。すなわち、インタラクティブな公共性を持つ言論の「場」が創出されているのです。今は主にFacebookをその場として、新しい展開が切り開かれつつあるようです。
グーテンベルクの印刷機発明によって、宗教改革に必要なメディア社会が準備されました。それから500年経って、根本的に革新的な新しいメディア社会が出現しました。これは我々プロテスタントにとっても、大きなチャレンジの時機であると思います。
自民党憲法改正草案が危険なものであることについては、私も警告を発しております。自民党の中に、国家神道や国家主義的な教育を復活させようとする動きが、一貫して存続してきたことも、キリスト者として警戒すべきであり、反対すべきでしょう。これは直接的に宗教・信仰に関わる問題であり、国民一般にもわかりやすい問題です。
しかし、黙示録を根拠に自民党政権あるいは自公政権を「獣」と断定するようなことがあれば、行き過ぎではないかと思います。これは責任が問われる重い問題になりかねませんので、ご注意ください。
【G】秘密保護法と安保法制
特定秘密保護法と安保法制については、イデオロギーや宗教・信仰が本質的な問題ではなく、国際政治・安全保障政策においてテクニカルに必要性が認められるものと、私は理解しております。日本のキリスト者や国民一般にも、そのように考える人が多数であると思います。
「特定秘密保護法と安保法制は宗教・信仰の問題だ」と主張することは、国民一般には理解しがたく、「キリスト教」や「福音派」に対する誤解・偏見・つまずきになりかねません。
できるだけ「キリスト教」や「福音派」に関して誤解を招かない運動をしていただけると、幸いです。
【H】左傾化の危険性について
「特定秘密保護法に反対する牧師の会」に所属されている皆様は、共産党員あるいは過激派のメンバーやシンパでない限り、共産主義を支持しておられるとは、思っておりません。
しかし、こちらの会の指導者が共産党幹部と関わった記事をクリスチャン新聞やしんぶん赤旗などで見て、ショックを受けたクリスチャンが少なくありません。ソ連、中国、北朝鮮等の共産主義者がキリスト教徒に、また日本の国民に加えてきた暴虐は、先生方もご存知でしょう。
世間一般に「日本のキリスト教は左翼だ」という「誤解」が広がっています。「教会に行けなくなった」という方々の悩みもお聴きしています。ご配慮のほど、よろしくお願いいたします。
(2)また、社会倫理においては、同じ内容の言動であっても、それが正しいとされる場合と、誤りとされる場合があります。我々が生きる社会においては、基準が相対的である事象が多いからです。
(3)特に政策に関しては、100パーセント良い結果になるとか、100パーセント悪い結果になるといったことは少なくて、多くの場合、プラスとマイナスの両面があります。その正誤・善悪は相対的です。
(4)宗教とりわけ一神教は、絶対的な存在である神を信じるため、信者は自分たちの判断・信条を絶対化しがちな傾向があります。しかし、神が絶対者でもあっても、神の言葉を受け取り、それを解釈して実行する人間は相対的でしかあり得ません。
政治というのは社会的合意形成の作業であり、良く言えば「調整」、悪く言えば「妥協」です。結論がどうあれ、まずは異論・反論もちゃんと受けとめなければ、その社会(ソサエティー)は成り立ちませんし、政治はできません。 この「牧師の会」は、特定の政治的意見に同意する人を集める、あるいはそれに同意するよう啓蒙しているようですが、異論・反論は削除・ブロック・排除しています。 特定の政治的意見を「神の御心」だと断定し、絶対視して、それに同調することを要求する。これはまさに共産党のごとき「前衛主義」です。聖書解釈において特定の人間に絶対的な正しさを認めるのであれば、それは「プロテスタント」ではありません。 これこそ「政治の問題ではなく信仰の問題」です。 それゆえ、この「牧師の会」は、いかなる形においても、日本のキリスト教・プロテスタント・福音派というソサエティーを代表するものとは、認められません。これは一部の私的な集団とみなすべきです。そうでなければ、日本の福音派の信仰に狂いが生じます。 皆様におかれましては、この問題の取り扱いについて、よくよくご注意くださるよう、ご忠告申し上げます。 kanai.hatenablog.jpkanai.hatenablog.jpkanai.hatenablog.jpkanai.hatenablog.jkanai.hatenablog.jpkanai.hatenablog.jpkanai.hatenablog.jpkanai.hatenablog.jpkanai.hatenablog.jpkanai.hatenablog.jpkanai.hatenablog.jpkanai.hatenablog.jkanai.hatenablog.jpkanai.hatenablog.jpkanai.hatenablog.jpkanai.hatenablog.jkanai.hatenablog.jpkanai.hatenablog.jpkanai.hatenablog.jpkanai.hatenablog.jpkanai.hatenablog.jpkanai.hatenablog.jpkanai.hatenablog.jpkanai.hatenablog.jpkanai.hatenablog.jpkanai.hatenablog.jpkanai.hatenablog.jpkanai.hatenablog.jpkanai.hatenablog.jp
kanai.hatenablog.jpkanai.hatenablog.jpkanai.hatenablog.jpkanai.hatenablog.jpkanai.hatenablog.jkanai.hatenablog.jp kanai.hatenablog.jpkanai.hatenablog.jpkanai.hatenablog.jpkanai.hatenablog.jp
- 作者: 在田実
- 出版社/メーカー: 徳間書店
- 発売日: 2009/02
- メディア: 文庫
- 購入: 2人 クリック: 1回
- この商品を含むブログを見る