口論? 好論? 高論?
私は、このブログとフェイスブックを連動させて、使っています。
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ブログの記事に関するコメント等は、フェイスブックの方にお書きいただけると、幸いです。いつも皆様から貴重なご意見・ご見解をお分かちいただき、感謝しております。
ここ数年、フェイスブックを場としたクリスチャンの対話や議論が、活発になっています。しかし、対話や議論が噛み合わないことも、ままあります。神学に関しても政治に関しても、人間はなかなか、相手の意見を正確に理解することが困難であり、自分の考えを変えるのはさらに困難であるからでしょう。
歴史的プロテスタント信仰=福音主義に立つ者どうしなら、神学的に共有する部分が大きいのですが、それ以外の方々は聖書や歴史的信条・基本教理さえも否定できます。根拠に用いるリソースが異なる場合、意見の一致に至るのが困難な場合が多いでしょう。
けれども、それを承知の上で紳士的淑女的に意見交換ができれば、有益かと思います。本当は、自分と同じ意見の人との対話よりも、異なる人との議論の方が、得られるものは大きいのですが。
政治に関しては、ひとりひとり経験・知識・世界観が異なりますので、細かいことまで扱えば、支持・主張する政策は十人十色となりましょう。
①人間は未来を正確に予知することができない。だから、政策的判断については、誰も絶対的な正解を持っていない。
②聖書が絶対的な基準であるにしても、絶対に正しい聖書解釈ができる人は誰一人いない。ましてや聖書の教えの実践的適用においては、その善し悪しは相対的でしか有り得ない。
③神が絶対的な審判者であり、あらゆる領域における支配者である。我々は神の御前で、自らの言動の善悪を問われ、弁明しなければならない。
★それゆえ、無責任な言動をつつしみ、適度に責任を自覚しつつ、互いに赦し合い、聖霊にあって自由闊達な発言・情報発信をしていきたい。
こうした考え方を共有していれば、お互いに謙虚になって、生産的な大人の対話・議論が成り立つかもしれません。感情的になって、議論ではなく人格的な誹謗中傷・雑言悪罵の類に堕するのは、建徳的ではないでしょう。