今回は、浄土教の思想の歴史的発展について考察してみます。この記事は一つの壮大な仮説としてお読みください。
1.無量寿経
法然を宗祖とする浄土宗や親鸞を宗祖とする浄土真宗は、無量寿経(大経)、観無量寿経(観経)、阿弥陀経(小経)の漢訳経典を浄土三部経と呼んで、根本経典としています。インドでの成立年代については諸説ありますが、漢訳原典の成立年代は無量寿経が252年頃、観無量寿経が430-442年頃、阿弥陀経が402年頃と考えられています。「浄土三部経」の名を付けたのは法然です。
阿弥陀仏は元来、神的存在ではなくて、人であったとされます。 無量寿経によると、修行僧ダルマーカラ(法蔵菩薩)は、衆生救済のために王位を捨てて、ローケーシヴァラ・ラージャ如来(世自在王仏)のもとで 、五劫(ごこう)の間、思惟(しゆい)をこらし、四十八の誓願をして修行を重ね、浄土への往生の手立てを見出したので、如来(仏)になったというのです。
無量寿経で修行僧ダルマーカラ(法蔵菩薩)は次のように述べます。
こよなきみ仏に無限の威光あり、 王の中の王(であるみ仏が)あらゆる方角を照らしたまうように、 そのように、願わくはわたくしは、法の主である目ざめた人(仏)となって、 生ける人々を老いと死から解放しよう。 わたくしは、一切の生けるものどもの救い主である仏になりましょう。
世尊よ、もしも、わたくしが覚りを得た後に、無量の諸仏国土における無量・無数の世尊・目ざめた人たち(=諸仏)が、わたくしの名を称えたり、ほめ讃えたりせず、賞賛もせず、ほめことばを宣揚したり弘めたりもしないようであったら、その間はわたくしは、〈この上ない正しい覚り〉を現に覚ることがありませんように。(第十七願)
世尊よ。もしも、わたくしが覚りを得た後に、他の諸々の世界にいる生ける者どもが、〈この上ない正しい覚り〉を得たいという心をおこし、わたくしの名を聞いて、きよく澄んだ心(信ずる心)を以てわたくしを念いつづけていたとしよう。ところでもしも、かれらの臨終の時節がやって来たときに、その心が散乱しないように、わたくしが修行僧たちの集いに囲まれて尊敬され、かれらの前に立つということがないようであったら、その間はわたくしは、〈この上ない正しい覚り〉を現に覚ることがありませんように。(第十八願)
世尊よ。もしも、わたくしが覚りを得た後に、無量・無数・不可思議・無比の諸世界にいる生ける者どもが、わたくしの光に照らされてはっきりと明らかに見えるようになったとして、かれらすべてが、神々と人間とを超えた幸せをそなえるようにならないようであったら、その間はわたくしは、〈この上ない正しい覚り〉を現に覚ることがありませんように。(第三十三願)
世尊よ。もしも、わたくしが覚りを得た後に、無量・無数・不可思議・無比の諸世界にいる生ける者どもが、わたくしの名を聞いて、名を聞いただけで、覚りの本質の究極に至るまでの間、浄らかな行ないを実行するようにならないようであったら、その間はわたくしは、〈この上ない正しい覚り〉を現に覚ることがありませんように。(第三十五願)
世尊よ。もしも、わたくしが覚りを得た後に、かの仏国土に生まれた求道者たちが希望する通りのみごとな特徴や装飾や配置を、さまざまな宝石のあいだから気づき認めることができないようであったら、その間はわたくしは、〈この上ない正しい覚り〉を現に覚ることがありませんように。(第三十九願)
主よ。広大にして無比・無限なる光明は、 四方八方のあらゆる仏国土を満たし、 貪欲を静め、あらゆる憎悪と迷いとを静めて、 地獄界の火を消した。 月と太陽の光も天空に輝かず、 殊宝の群れも、火の光も、神々の光も(輝くことがない)。 清らかな過去の行ないを実行して、 人間の王者(=仏)の光はあらゆる(光に)うち勝つ。 最高の人となり、苦しみ悩む者どもの宝となる。 四方八方にこのような人はいない。 百千の善をことごとく円満に成就して、 会衆の中にいて、目ざめた人(=仏)の獅子吼をなされた。 あたかも、さまたげなき智見を持てる師、人々の王(=仏)が つくられたものを三種に知りたまうように、 わたくしもまた、無比なる者、供養されるべき者、 いともすぐれた智者、人類の導者となるであろう。
これは、ダルマーカラ(法蔵菩薩)が覚りを開いて、阿弥陀仏になった、という神話です。
2.観無量寿経
観無量寿経には次の教えがあります。
この観想を行なう者は、無量億劫のきわめて重い悪業から解放されて、命が終ったのちにかならず、かの仏国土に生まれるであろう。
智慧海のごときもろもろの仏たちは心想から生ずる。それ故に、一心に思念を集中し、心してかの仏・如来・尊敬さるべき人・正しく眼覚めた人を観想するのだ。かの仏を観想しようとする者は、まず、その像を観想しなければならない。 このぼさつを観想する者は、無量無数の劫の間、かれを生と死に結びつける罪から免れるであろう。このような観想を行なう者は、地獄・餓鬼・畜生の世界に居らず、常に仏たちの清らかな美しい仏国土に遊ぶであろう。
諸経典の経題を聞くことによって、千劫の間重なってきたきわめて重い悪しき行為から免れる。(中略)仏の名を称えることによって、五十億劫の間その者を生と死に結びつける罪から免れる。そのときにかの仏は(中略)ほめ讃えて言うのに、「立派な若者よ、お前は仏の名を称えたから、さまざまな罪がみな消滅し、わたしがお前を迎えに来たのだ」と。
(中略)このような罪深い人は、悪しき行為の結果として地獄に堕ちるであろう。命が終ろうとするとき、地獄の猛火が一時に押し寄せる。そのとき、指導者が居て、大慈悲心からこの者のためにアミダ仏の持つ十種の力の徳について説き、広くかの仏の光明の神秘的な力を説き、また戒律・精神の安定・智慧・迷いからの自由・迷いから自由になった知見をほめ讃えるのに遇い、この人は聞き終るや、八十億劫の間かれを生と死に結びつける罪から免れる。
このようにしてこの者は心から声を絶やさぬようにし、十念を具えて、南無アミタ仏と称える。仏の名を称えるのであるから、一念一念と称える中に、八十億劫の間かれを生と死に結びつける罪から免れるのだ。
ここには罪の赦免と来世の幸福が明確に説かれています。キリスト教には輪廻転生は無いものの、罪の赦しと永遠の命・天国での幸福はキリスト教の救いの中心的内容であり、これは浄土教も似ています。
しかし、そもそも仏教は「悟り」によって解脱することをめざす自力の道であり、グノーシス的性格の宗教です(ここでは、普遍的に見られる宗教的性格としての「グノーシス」と後1世紀以降に生まれ発展した歴史的「グノーシス主義」を区別します)。
これに対してキリスト教は、イエス・キリストの十字架の死と肉体の復活を、信者が救われる根拠としています。すなわち、イエス・キリストが我々の身代わりとなって罪の罰を受けて死んでくださったので、彼を信じる者は罪が赦されます。そして、イエスが天父への完全な従順によって成就した「義」が、彼を信じる者に与えられます。イエスが悪魔悪霊の支配する死者の世界=ハデス(黄泉、陰府、よみ)を征服して、三日目に復活し、天に凱旋されたので、彼を信じる者は永遠の命を与えられ、天国の国民とされるのです。これがキリスト教の救いの主たる内容です。
浄土教はキリスト教に似ているようであっても、このキリスト教の中核=キリストの十字架における贖罪の死、黄泉への降下と征服、肉体の復活の如き行為は、浄土教にはありません。
3.景教の影響
岩本裕博士によれば.浄土教はインドでキリスト教の影響を受けて生まれたものと思われます。インドで生まれたサンスクリット語(梵語)の仏教経典と中国における漢訳の経典では、内容が多かれ少なかれ異なっていることが、現代の仏教学で明らかになっています。浄土教は中国でさらに発展しましたが、筆者はそこでもキリスト教の影響があったのではないか、と考えています。それはソグド人やペルシア人などが、東方キリスト教の一派・東シリア教会から生まれた景教を、中国に持ち込んでいたからです。
ソグド人は、シルクロードの交易を1000年にわたって担った民族です。ソグド(ソグディアナ)はザラフシャン川流域を中心とするオアシス地帯です 。その中心地はサマルカンドです。
現在の新疆ウイグル自治区タリム盆地東端の砂漠にある塩湖ロブノールの南方にあるミーランの仏教寺院址で「東方のエンジェル」「童子形有翼飛天」と呼ばれる2~3世紀の絵画が、スタインによって発見されました。ニューデリー博物館にあるこの絵画では、ギリシア・ローマ風の顔立ちをしたキリスト教の天使の図像が仏教に取り入れられています 。シルクロードにおけるキリスト教の伝播は、かなり早い時代から始まっていたのです。
ソグディアナは古代ペルシア帝国(アケメネス朝)の一つの州を成していたことがあり、アケメネス朝によってここに移された西からの民が大勢いました 。それゆえ、ソグド人はイラン系であり、ソグド語(胡語)はイラン系の言語です。ソグド文字は、アラム文字から派生した、ソグド語を表記するための文字であり、右から左に書かれました。これはウイグル文字やモンゴル文字の元となりました。
アレクサンドロス大王の遠征によってギリシア人とソグド人の婚姻が進められ、ソグディアナにもヘレニズムの影響が及びました。
サマルカンドにはキリスト教の教会がありました 。キリスト教徒のソグド人は、シリア語聖書をソグド語に翻訳していました (NHK「文明の道」プロジェクト『海と陸のシルクロード』日本放送出版協会、2003年、p.192)。

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国際貿易商としてソグド人は隊商を編成して、東ヨーロッパ、インド、東南アジアにまで足跡を残しています。ソグド人はシルクロードの絹貿易を独占し、シルクロード沿いのあちこちに植民地を作っていました 。ソグド人集落は中国全土に相当数ありました 。中国人はソグド人を商胡、九姓胡、胡人と呼んでいました。胡弓、胡椒、胡瓜などにその名が残っています。

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日本では法隆寺の香木にソグド文字が焼き入れられています。
blog.goo.ne.jp
http://tripmode.g2.xrea.com/msrj/msrj06.htm
景教は中央アジアで7世紀頃から14世紀頃まで盛んでした 。敦煌や高昌ではソグド語の景教文献が多数発見されています。635年に景教の宣教師阿羅本が唐に来ており、636年頃から景教経典が漢語に翻訳されています。この時代には大勢のペルシア人やシリア人が中国に来ていました。
638年に景教は唐朝に認められ、唐朝の資金援助を受けて、景教の教会「波斯寺」(あるいは波斯経寺、波斯はペルシアのこと。後の大秦寺)が建立されました。 唐の高宗(在位 649年〜683年)の時代になると、阿羅本は「鎮国大法主」に封ぜられ、各地に景寺(教会)を建てるよう詔勅が下されたため、景教は唐王朝に広まったのです。
新・景教のたどった道(55)中国の諸宗教と景教(5)浄土教と景教 川口一彦 : 論説・コラム : クリスチャントゥデイ
景教が中国で盛んであった時期は、善導大師(613~681年)が中国浄土教を大成した時期に重なっています。善導が活動拠点としていた長安の光明寺は、国際的な市場があった西市の南隣りに位置していました ので、景教徒との関わりも少なからずあったと思われます。
https://www.christiantoday.co.jp/articles/29724/20210714/shin-keikyo-55.htm
聖書は〈主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる〉と教えています(ロマ10:13)。浄土教においては「南無阿弥陀仏」の名号を口に出して称える念仏(口称念仏)を称名念仏といいます。「南無阿弥陀仏」の六字の意味を最初に明らかにしたのは、中国の善導大師でした。「南無」とは「帰命」「発願回向」の意です。
9世紀の始めに渡唐した弘法大師・空海は般若三蔵からサンスクリット語を学びました。般若三蔵は景教僧・景浄(ペルシャ人)と共に大乗理趣六波羅蜜経を翻訳した僧侶です。空海が長安で住んでいた西明寺は、大秦寺の近くにありました。空海は恵果に師事して密教を学び、多くの密教仏典を日本に持ち帰りました。
https://www.recordchina.co.jp/b575783-s146-c30-d1146.html
4.源信
日本の仏教では.浄土宗・浄土真宗・時宗等、浄土系の宗派の信者教がおよそ2200万人と、飛びぬけて多くなっています。それは、浄土教の宗教性が日本人に適合しており、日本人の心に迫る、あるいは納得できるものがこれにあるからでしょう。
浄土教は日本人の死生観を決定的に変えました。古代日本人は死後の世界を現世と連続する世界と思っていました(連続的他界観念)。それに対して、浄土教は断絶的他界観念を持っています。すなわち、極楽や地獄はこの世を超越した別世界だ、と考えているのです。これを明確に示したのは源信(942~1017年)の「往生要集」(984年)です。断絶的他界観念は聖書と共通します。
仏教では、生きとし生けるものが輪廻転生する範囲として、次の六つの領域があると教えます(六道輪廻)。
①天道、②人間道、③修羅道:三善趣(三善道)
ただし、初期仏教では修羅道が無くて、地獄・餓鬼・畜生・人間・天上を五趣と言いました。
輪廻の世界観は聖書にはありません。聖書の歴史感覚は直線的であり、人が別の人格者あるいは動物に生まれ変わることは無いのです。
さて、源信が説いた地獄の恐ろしさは、人々の心を捕えて、極楽往生への強い願いを引き起こしました。源信は主に正法念経(正法念処経)に基づいて地獄を述べています 。源信が説いた八大地獄(八熱地獄)は次のとおりです。
①等活(とうかつ)地獄、②黒縄(こくじょう)地獄、③衆合(しゅごう)地獄、④叫喚(きょうかん)地獄、⑤大叫喚(だいきょうかん)地獄、⑥焦熱地獄(しょうねつ)地獄、⑦大焦熱(だいしょうねつ)地獄、⑧阿鼻(あび)地獄。
後ろに行くほど刑罰は苛烈を極めていきます。
八熱地獄それぞれの四方に四つの門があり、門外に各々四つの小地獄があります。これを十六小地獄といいます。源信はさらに、八寒地獄を説きました。
聖書のハデス(黄泉、陰府、よみ)には、火炎の中で苦しめられる場所もあります(ルカ16:23-24)。旧約聖書偽典のエチオピア・エノク書22章では、ハデス(黄泉)に階層があります。ゲヘナ(地獄)は「火の池」(黙示録20:14)ですから、イメージは熱地獄に近いのですが、階層的な違いはありません。
人は死後に審判を受けて、生前の悪行に対して地獄で刑罰を受けなければならない――。このような思想は、空海の『三教指帰』(8世紀末)や『日本霊異記』(9世紀)、地獄変屏風等によって貴族に知られていましたが、10世紀末から後には、源信の『往生要集』とそれに基づいた地獄絵によって、民衆に普及しました 。死後に審判と刑罰があるという思想は、聖書=キリスト教と共通します。
法然(1133年~1212年)が浄土宗を開き、さらに親鸞(1173年~1262年)が浄土真宗を開いた背景には、地獄の観念の普及がありました。民衆に極楽往生の願いが起こっていたのです。
法然は、「南無阿弥陀仏」をひたすら称える「専修念仏」の教えを説きました。善人悪人、老若男女、貧富の別無くすべての人を救うと誓われた、阿弥陀仏の本願(第十八願「念仏往生の誓願」)を信じて「南無阿弥陀仏」と称えれば、臨終には阿弥陀仏をはじめ観音菩薩、勢至菩薩や極楽の聖衆が来迎(らいこう)し、極楽浄土へ迎え入れ、彼の地に往生することができる――というのです。「この阿弥陀仏の選択本願の念仏は、臨終間際の悪人が善知識の勧めによってただの一遍称えただけでも救われる」と説く一方で、「念仏の教えを信じる人は平生より一生涯念仏を称え続けることが、阿弥陀仏の本願に順ずることである」と説き、法然は自らも日に六万遍、七万遍の念仏を称えたと伝えられています。
親鸞は念仏を「疑いなく(至心)我をたのみ(信楽)我が国に生まれんと思え(欲生)」という阿弥陀仏からの呼びかけ(本願招喚の勅命)と理解し、この呼びかけを聞いて信じ従う心が起こった時に往生が定まる、と説きました。そして往生が定まった後の称名念仏は、「我が名を称えよ」という阿弥陀仏の願い(第十八願)、「阿弥陀仏の名を称えて往生せよ」という諸仏の願い(第十七願)に応じ、願いに報いる「報恩の行」であると説くのです。そのことを「信心正因 称名報恩」といいます。念仏を極楽浄土へ往生するための行とはとらえません。
『歎異抄』にある次のテクストは、悪人正機説としてよく知られています。
善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。(中略)そのゆゑは、自力作善の人は、ひとへに他力をたのむこころ欠けたるあひだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこころをひるがへして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるを、あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もつとも往生の正因なり。
修行を重ねて如来となった阿弥陀仏が衆生に功徳を分け与えるので、「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで、どんな悪人でも救われて、極楽に往生できる。いや、むしろ悪人であると自覚している人の方が、仏にすがる他無いので、救われやすい――。
法然や親鸞が説いたこのような他力本願の教えは、ある程度キリスト教の福音の代用を果たしてきたのではないでしょうか。多くの日本人が、これによって生と死の問題について、その人なりの答を見出し、それなりの宗教的満足を得てきたのではないでしょうか。とりわけ罪と死、審判という根本問題について、浄土教には明快な答がある。これが重要です。
6.亀谷凌雲
富山の浄土真宗大谷派の住職から改宗して牧師になった亀谷凌雲(かめがい りょううん)師の注目すべき主張を紹介します。蓮如上人の18代目の子孫にあたる方です。
仏教には肉体ある者は皆教え主の地位に止まっており、肉体をもって完全なる救いそのものを成就した仏はないのである。しかるに基督教においては、初めから肉体をもって救いの業をまっとうしたまえる神なるキリストをぞっこん信じ仰いで、その無限の御恩寵に与っているのだ。
仏教は今や行くべき所までゆき、進むべき所まで進んできた。これ以上といえばただ飛躍のほかないのだ。大死一番目を開いて、ただちに肉体をもってきたまえる神、十字架のキリストを仰いで、全人類挙げてその潮のごとき御恩寵に与ろうではないか 。
弥陀仏は仏教内における自然の発達からここに至ったのだ。仏教内にありながら人心の要求自らここに至らざるを得なかったのである。この弥陀仏はあまりにも基督教に酷似しているのだ。(中略)どうしてだろうか。この背後には神の摂理があるのではなかろうか。天地を造り天地を統治し天地を育成していたもう神は、仏教徒をも統治し育成していたもうに相違ないのだ。仏法といえども、これが真理ならば、神の定めたもう法であるべきだ。それが自ら神信仰へ導かれるは当然である。
仏教徒をことごとくキリストの無限の恩寵に導かなくてはならぬのだ。 今後の日本いかん、この仏教によって徹底的に深く培われた上に、十字架の愛と力とを加えて、神道・仏教をこれによってさらに深く大成するとともに、宇宙の大道、人生以上の道へとひたすら猛進してゆくのだ。
日蓮の徒は題目を称え、浄土信徒は念仏を唱える。われらはこれらのいっさいを完成する十字架を切るのだ。
本来、自力の道であった仏教が、阿弥陀如来の功徳にすがって、御名を唱えるだけで救われるという他力の道を極めるに至ったのはなぜでしょうか。それはこの浄土教に、日本人がイエス・キリストの福音を理解するのを助ける、という歴史的使命があったからではないでしょうか。キリスト教受容の道備えです。
阿弥陀如来はキリストの影であり、イエス・キリストこそその実体です。
今や我々が救われるために唱えるべき六字名号は「南無阿弥陀仏」から「南無耶蘇基督」に変わるのです。