Christ in front of Pilate by Mihály Munkácsy
2018年3月25日 棕櫚の主日 礼拝説教
************************
【説教題】「キリストの血の責任」金井 望 牧師
【聖書朗読】マタイの福音書27章15〜26節
【中心聖句】
彼の血は私たちの上に、そして私たちの子どもたちの上に。
(マタイ27:25)
************************
【説教要旨】
無罪であるイエス・キリストが十字架で殺されたのは、誰の責任だろうか。
当時、ユダヤとガリラヤはローマ帝国の支配下にあった。ローマ総督ピラトはイエスに尋ねた。
「あなたはユダヤ人の王なのか」
ユダヤ議会(サンヘドリン)はそのように訴えた。反乱の首謀者だというのである。主イエスは答えて言われた、
「あなたがそう言っています」
イエスはこのようにも言っておられる、
「わたしの国は、この世のものではありません」(ヨハネ18:36)
武器も兵隊も持たないイエスを、反乱罪に定めることはできない。
祭司長や長老たちが、ねたみのゆえにイエスを訴えたことを、ピラトは知っていた。ピラトは祭の際の恩赦を利用して、イエスを釈放しようとした。その時、暴動を起こし殺人を犯したバラバという男が捕えられていた。
ピラトは群衆に尋ねた、
「あなたがたは誰を釈放してほしいのか。バラバか、それともキリストと呼ばれているイエスか」
群衆は答えて言った、
「バラバだ」
彼らはユダヤの指導者たちに、そのように答えるよう説得されたのである。
ピラトは言った、
「では、キリストと言われているイエスは、どうすべきか」
群衆は叫び続けた、
「十字架につけろ」「十字架につけろ」
十字架刑は恥辱に満ちた極刑である。
ピラトは彼らに問うた、
「あの人がどんな悪い事をしたというのか」
結局、暴動になって責任を問われることを恐れ、群衆の声に屈した。彼は群衆の目前で手を洗って言った、
「私はこの人の血について責任が無い。あなたがたが始末せよ」
群衆はみなこう言った。
「彼の血は私たちの上に、そして私たちの子どもたちの上に」
使徒信条は「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」と言っている。十字架はローマ帝国の刑罰であり、ピラトは責任を免れ得ない。
そして、ユダヤ人はこの血の責任を負って、ユダヤ戦争(66年から73年)でこの地を失い、1800年以上も世界を流浪することとなった。
選ばれた神の民が、神の御子を十字架につけた。私たちも、この罪の重さを深く覚えたい。
神のすばらしいみことばと、後にやがて来る世の力とを味わったうえで、しかも堕落してしまうならば、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。
(ヘブル6:6)