2019年6月30日「苦しみを共に担う教会」フィリピ4:10-20
◼聖書朗読 フィリピの信徒への手紙4:10-20
(10) さて、あなたがたがわたしへの心遣いを、ついにまた表してくれたことを、わたしは主において非常に喜びました。今までは思いはあっても、それを表す機会がなかったのでしょう。 (11) 物欲しさにこう言っているのではありません。わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。(12) 貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。(13) わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。(14) それにしても、あなたがたは、よくわたしと苦しみを共にしてくれました。
(15) フィリピの人たち、あなたがたも知っているとおり、わたしが福音の宣教の初めにマケドニア州を出たとき、もののやり取りでわたしの働きに参加した教会はあなたがたのほかに一つもありませんでした。(16) また、テサロニケにいたときにも、あなたがたはわたしの窮乏を救おうとして、何度も物を送ってくれました。(17) 贈り物を当てにして言うわけではありません。むしろ、あなたがたの益となる豊かな実を望んでいるのです。(18) わたしはあらゆるものを受けており、豊かになっています。そちらからの贈り物をエパフロディトから受け取って満ち足りています。それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです。(19) わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。(20) わたしたちの父である神に、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。
■説教
「わたしたちの本国は天にあります」(フィリピ3:20)
これこそ、人間の最大にして最後の難問である死を越えていく、究極の希望です。この確信ほど素晴らしいものはありません。けれども、私たちは肉体をもって地上で生活していますから、実際、様々な物を必要としており、不足・欠乏に悩まされるものです。教会の営みにおいては、経済の問題をどのように考えたら良いのでしょうか。
1.貧困も欠乏も乗り越えて
「フィリピの信徒への手紙」は紀元後61年か62年頃に、使徒パウロがローマの獄中からマケドニア州のフィリピにある教会に宛てて書いた書簡である、と伝統的に考えられています(諸説あり)。
この時、間もなく判決が下って監禁が終わる、とパウロは思っていました。彼は死刑になることも覚悟していましたが、無罪となって解放される可能性もありました(1:20-26,2:17,23-24,3:10-11,20)。獄中にあってパウロは、60年ほどの生涯を振り返りました。数えきれない試練を乗り越えてきた生涯でした。
キリストに仕える者なのか。気が変になったように言いますが、わたしは彼ら以上にそうなのです。苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。 ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう。(第二コリント11:23-30)。
わたしは、自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えたのです。貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。(フィリピ4:11b-13)
パウロは少年時代にエルサレムに上京して、律法学者ガマリエルの門下で学びました。そして、ファリサイ派のラビ(教師)となりました。
古代ユダヤ教では、神殿で仕える祭司は神殿税や十分の一税等によって収入が保障されていました。--ユダヤの民衆には当時、一人頭2デナリオン(二日分の賃金に相当)の神殿税が課せられており、収穫物の十分の一を献げる「十分の一税」も課せられていました--。
しかし、ファリサイ派のラビは会堂や学校で教えたり、手工業に従事したりして、生計を立てなければなりませんでした。そのためパウロはテントメーカーあるいは革職人としての技術を習得していました。
「福音宣教者は福音によって生活の資を得るべきである」という主イエスの教えを、パウロも知っていました(第一コリント9:14,ルカ10:7-9)。けれども、どこからもサポートが得られない時には、パウロはテントメーカーあるいは革職人として働いて、自給伝道をしていたのです。
その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシア人の説得に努めていた。シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。(使徒18:1-5)
主が私たちを強くしてくださるので、私たちはあらゆる試練を乗り越えていけます。
2.苦しみを共に担う教会
第2回宣教旅行で50年の春頃に、パウロがフィリピで伝道して、教会が生まれました(使徒16:11-40)。パウロは第3回宣教旅行で、56年の夏頃(使徒20:2)と57年の春頃(使徒20:6)にフィリピ教会を訪問しています。この教会は誕生した時からずっと、パウロの宣教活動を経済的に支援していました。パウロは手紙を送ったり、使者を遣わしたりして、フィリピの信徒たちを霊的にサポートしていました(2:19,25-30)。
わたしが福音の宣教の初めにマケドニア州を出たとき、もののやり取りでわたしの働きに参加した教会はあなたがたのほかに一つもありませんでした。また、テサロニケにいたときにも、あなたがたはわたしの窮乏を救おうとして、何度も物を送ってくれました。(4:15-16)
フィリピ教会からパウロに送られる経済的な支援は、しばらく途絶えていました。それが再開されたことをパウロは喜び、彼らに感謝を伝えました。
さて、あなたがたがわたしへの心遣いを、ついにまた表してくれたことを、わたしは主において非常に喜びました。(4:10)
そちらからの贈り物をエパフロディトから受け取って満ち足りています。(4:18b)
それにしても、あなたがたは、よくわたしと苦しみを共にしてくれました。(4:14)
この世にあって各個教会はそれぞれの地域で歩みを続けています。けれども、「キリストの体」なる教会はあらゆる違いを超えて、霊的に一体です。喜びも苦しみも共有して助け合い、共に成長するために、私たちは神に召されて教会の一部分とされたのです。
一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。(第一コリント12:26-27)
3.神と共に喜ぶ
私たちの奉仕や献金はすべて神へのささげものです。
それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです。わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。(4:18-19)
主の栄光がこの地に輝きわたりますように!