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神に渇く(ヨハネ4:1-26)


2020年10月11日「神に渇く」ヨハネ4:1-26

日本バプテスト同盟 西岡本キリスト教主日礼拝説教

 

■聖書朗読 ヨハネによる福音書 4章1~26節

 

 1 さて、イエスヨハネよりも多くの弟子をつくり、洗礼を授けておられるということが、ファリサイ派の人々の耳に入った。イエスはそれを知ると、 2 ――洗礼を授けていたのは、イエス御自身ではなく、弟子たちである―― 3 ユダヤを去り、再びガリラヤへ行かれた。 4 しかし、サマリアを通らねばならなかった。 5 それで、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにある、シカルというサマリアの町に来られた。 6 そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。

 7 サマリアの女が水をくみに来た。イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。 8 弟子たちは食べ物を買うために町に行っていた。 9 すると、サマリアの女は、「ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言った。ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。 10 イエスは答えて言われた。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。」 11 女は言った。「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。 12 あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです。」 13 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。 14 しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」 15 女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」

 16 イエスが、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」と言われると、 17 女は答えて、「わたしには夫はいません」と言った。イエスは言われた。「『夫はいません』とは、まさにそのとおりだ。 18 あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたは、ありのままを言ったわけだ。」

 19 女は言った。「主よ、あなたは預言者だとお見受けします。 20 わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。」 21 イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。 22 あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。 23 しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。 24 神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」

 25 女が言った。「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます。」 26 イエスは言われた。「それは、あなたと話をしているこのわたしである。」

 

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■説教 「神に渇く」  金井 望

 

  1.サマリアを通って

 時は、主イエスが宣教活動を始めて間もない紀元27年の夏頃と思われます。その年の春に過越祭のためにエルサレムに上京した後(2:13)、イエスと弟子たちはユダヤ地方で伝道活動を行って、人々にバプテスマを授けていました(3:22)。イエスがメシア――ユダヤの人々が待ち望んでいた、神の遣わす救世主――であると洗礼者ヨハネが、証ししたため、イエスの弟子は洗礼者ヨハネよりも多くなりました(4:1)。すると、ユダヤ教シナゴーグ(会衆、会堂)を指導していたファリサイ派の人々がイエスを警戒し、危険視するようになりました。そこで、イエスの一行は本拠地であるガリラヤ地方に帰ることとしました。

 彼らは、その帰郷するルートとして、最短コースであるサマリア経由の道を選びました。通常、ユダヤ人はサマリア地方を避けて、ヨルダン渓谷の道を通るのですが、この時は〈サマリアを通らねばならなかった〉のです。急いで逃げたかったという事情もありますが、神の御計画においては、サマリアの人々に福音――メシアの到来――を知らせるという重要な目的がありました。

 イエスの一行が〈シカルというサマリアの町〉に着いた時、時刻は正午の頃、暑い時間帯になっていました。彼らは疲れ、喉が渇いたため、〈ヤコブの井戸〉のそばに座りこみました。ヤコブアブラハムの孫であり、イサクの息子です。紀元前19世紀頃にヤコブの息子たちからイスラエル12部族が生まれました。

 

  2.サマリアとは

 さて、そこにひとりの〈サマリアの女が水をくみに〉来ました。通常この地方では涼しい朝か夕方に水汲みをします。これはなかなかの重労働だからです。ではなぜこの女性はこんな暑い時刻に水汲みをするのでしょうか。それは、彼女が人目を避けていたからです。

 この女性に主イエスが声をかけました。
「水を飲ませてください」
この時、〈弟子たちは食べ物を買うために町に行って〉、不在であり、主イエスは井戸から水を汲む道具を持っていませんでした。
 すると、サマリアの女性はこう応えました
ユダヤ人のあなたがサマリアの女のわたしに、どうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」
ユダヤ人はサマリア人とは交際しないから〉です。

 〈サマリア〉はかつての北王国イスラエルの首都の名称であり、その周辺地域を含めてサマリアと呼ばれていました。紀元前722年に北王国イスラエルアッシリア軍によって滅ぼされ、国の主だった人々2万7000人余りは捕囚としてアッシリアに連行されました。そして、メソポタミアの5つの町の異邦人がサマリアに移住させられて、イスラエル人との混血が進み、サマリア人となったのです(列王下17:24-33)。

 サマリア人モーセ五書を改竄した「サマリア五書」を正典としており、前4世紀にエルサレム神殿に対抗する神殿をゲリジム山に築きました。サマリア人ユダヤ人は本家本元をめぐって対立し、激しく争ってきたのです。

 紀元前538年にバビロン捕囚から解かれてユダヤ人がエルサレムに帰還した後の時代には、サマリア人は彼らの神殿再建や城壁の修復作業を妨害しました。マカバイ戦争においてはサマリア人セレウコス朝シリアに味方して、ユダヤ人を攻撃し、彼らの独立を邪魔しました。それに対してユダヤ人は報復としてゲリジム山の神殿を焼き討ちにしました。世間では骨肉の争いと言いますが、これは最悪な関係です。

グッドモーニング, パレスチナ : ゲリジム山とサマリア人

世界の文字 サマリア文字

Samaritan Pentateuch - Wikipedia

Samaritanism - Wikipedia

ゲリジム山とは - コトバンク

Mount Gerizim - Wikipedia

 

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  3.生きた水

 イエスは彼女にこう言いました。
「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう」
 〈生きた水〉とは流れている清い水のことであり、淀んで腐った水は「死んだ」水です。
 イエスが不思議なことを言うので、彼女は尋ねました。
「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から水を飲んだのです」
 イエスは答えて言いました。
「この水を飲む者はだれでもまた渇く。 しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」
 彼女は毎日の水汲みに疲れていたため、こう言いました。
「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください」

 

  4.愛に渇く

 すると、イエスは思いがけないことを彼女に言いました。
「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」
 〈〉と聞いて、彼女はドキッとしたでしょう。それは一番触れられたくない話題でした。ドキドキしながら、この問題を避けようとして、不機嫌そうに彼女は答えました。
「わたしには夫はいません」
 すると、イエスは彼女の隠れた心の病巣にズバリと切り込みました、医者が患者の体に鋭いメスを入れるように。
「『夫はいません』とは、まさにそのとおりだ。あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたは、ありのままを言ったわけだ」
 (ここまで正確に知っているとなると、逃げられない! この人、何者?)
 サマリアの女たちは、彼女の結婚歴と現在の同棲生活を、井戸端会議の格好の話題としていたでしょう。
「五人も夫を替えるなんて、信じられない!」
「今の男とは籍も入れていないのよ」
「なんてふしだらな…。あの人と関わると、こっちまでケガレちゃいそうだわ」
 しかし、主イエスは彼女を一切責めていません。
 あの姦淫の現場で捕えられて、石打ちの刑にされそうになっていた女性に対しても、主イエスは一言も責めませんでした。
「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」ヨハネ8:11)
 このサマリアの女性の心は愛に渇いていたのです。彼女は男性に期待しました。
(きっとこの人なら、私の渇いた心を潤して、満たしてくれるに違いない)
 しかし、その水は飲んでも飲んでも、渇きが癒えることはありませんでした。

 人間の心にはポッカリと空いた空洞があります。それは神しか満たすことができない空洞です。それを人に求めても、誰も満たしてはくれません。それを満たすことができるのは神の霊であり、神の愛です。

  5.神に渇く

 夫に求めても、私の渇きは癒されないーー。それで彼女はゲリジム山の宗教に期待して、何度も通ったのでしょう。けれど、それも駄目でした。彼女はイエスに質問しました。
「主よ、あなたは預言者だとお見受けします。わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています」
 彼女は、サマリア人ユダヤ人が対立する問題の本質を、知っていたのです。
 イエスは彼女に答を与えました。
「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない」
 彼女は言いました。
「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちに一切のことを知らせてくださいます」
 イエスは究極の答を彼女に与えました。
「それは、あなたと話をしているこのわたしである」
 この〈わたしである〉とは、ギリシア語原文で「エゴー・エイミ」、英語に訳すと「I am that I am」、「わたしは『わたしは有る』というものだ」。これはモーセに顕現された神「主」(YHWHヤハウェ)がご自分を指して言われたフレーズであり、唯一なる神以外、誰も使ってはならない聖なる言葉です(出エジプト3:14、20:7)。
 この真の神である【主】イエス・キリストに出会った時に、この女性の霊は初めて満足を得て、心の渇きが癒されたのです。

 あなたの心は愛に渇いていますか? あなたの霊は神に渇いていますか? その渇きを癒すことができるのは主イエス・キリストです。私たちも主イエスに近づかせていただきましょう。

 

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