KANAISM BLOG ー真っ直ぐに行こうー

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兄弟が罪を犯したなら

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ジャン=フランソワ・ミレー『晩鐘』(パリ・オルセー美術館蔵)
L'angélus, by Jean-François Millet. (Musée d'Orsay, Paris)

 

2018年3月18日 受難節第5主日 礼拝説教
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【説教題】「兄弟が罪を犯したなら」金井 望 牧師

【聖書朗読】マタイの福音書18章15〜20節

 また、もし、あなたの兄弟が罪を犯したなら、行って、ふたりだけのところで責めなさい。もし聞き入れたら、あなたは兄弟を得たのです。もし聞き入れないなら、ほかにひとりかふたりをいっしょに連れて行きなさい。ふたりか三人の証人の口によって、すべての事実が確認されるためです。それでもなお、言うことを聞き入れようとしないなら、教会に告げなさい。教会の言うことさえも聞こうとしないなら、彼を異邦人か取税人のように扱いなさい。まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。

マタイ 18.1-35

【中心聖句】

まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです(マタイ18:18)

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2018年3月18日礼拝説教

【説教要旨】

キリストは教会を愛し、教会のためにご自身をささげられた。

(エペソ5:25)

 <教会>という語は、福音書ではマタイ16:18と18:17にしかない。マタイ18:15-20は、教会に起こる罪の問題を扱う重要なテキストである。

  1. まず直接、個人的に確認し、叱責する

 <>とは<律法>に背くことである。

罪を犯している者はみな、不法を行なっているのです。罪とは律法に逆らうことなのです。

(第一ヨハネ3:4)

律法のないところには違反もありません。

(ローマ4:15)

 教会の兄弟姉妹が自分に対して罪を犯したなら、まず<その人と自分だけの場で>その人の言動を確認して、それが罪であれば叱責し、悔い改めを求めるべきである。その罪を他人に知られて、相手の名誉を傷つけることが無いように、また、プライバシーが守られるように、配慮が必要である。<もし聞き入れたら>、<兄弟>としての真実な交わりが得られる。

 不正な裁判をしてはならない。弱い者におもねり、また強い者にへつらってはならない。あなたの隣人を正しくさばかなければならない。人々の間を歩き回って、人を中傷してはならない。

(レビ19:15-16)

 あなたの隣人をねんごろに戒めなければならない。(中略)復讐してはならない。あなたの民の人々を恨んではならない。あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。

(レビ19:17,18)

  2. ひとりかふたりの証人に確認してもらう

 <もし聞き入れないなら、ほかにひとりかふたりをいっしょに連れて行き>、<証人>となってもらう。第三者を交えて客観的に<すべての言葉が確認されて>、公正な判断を下すことが大切である。謝罪や償い、処罰はその罪の重さに相応のものでなければならない。問題の放置や不正な裁きは、共同体の罪となる。

どんな咎でも、どんな罪でも、すべて人が犯した罪は、ひとりの証人によっては立証されない。ふたりの証人の証言、または三人の証人の証言によって、そのことは立証されなければならない。もし、ある人に不正な証言をするために悪意のある証人が立ったときには、相争うこの二組の者は、主の前に、その時の祭司たちとさばきつかさたちの前に立たなければならない。さばきつかさたちはよく調べたうえで、その証人が偽りの証人であり、自分の同胞に対して偽りの証言をしていたのであれば、あなたがたは、彼がその同胞にしようとたくらんでいたとおりに、彼になし、あなたがたのうちから悪を除き去りなさい。ほかの人々も聞いて恐れ、このような悪を、あなたがたのうちで再び行わないであろう。あわれみをかけてはならない。いのちにはいのち、目には目、歯には歯、手には手、足には足。

申命記19:15-21)

  3. 教会に訴える

 <それでもなお、言うことを聞き入れようとしないなら、教会に告げて>、問題の処理を委ねるべきである。教会内の問題は基本的に、聖書の教えと教会法に基づいて処理すべきである(罪刑法定主義)。世俗の公権力を優先して用いるべきではない。

あなたがたの中には、仲間の者と争いを起こしたとき、それを聖徒たちに訴えないで、あえて、正しくない人たちに訴え出るような人がいるのでしょうか。あなたがたは、聖徒が世界をさばくようになることを知らないのですか。世界があなたがたによってさばかれるはずなのに、あなたがたは、ごく小さな事件さえもさばく力がないのですか。私たちは御使いをもさばくべき者だ、ということを、知らないのですか。それならこの世のことは、言うまでもないではありませんか。それなのに、この世のことで争いが起こると、教会のうちでは無視される人たちを裁判官に選ぶのですか。私はあなたがたをはずかしめるためにこう言っているのです。いったい、あなたがたの中には、兄弟の間の争いを仲裁することのできるような賢い者が、ひとりもいないのですか。それで、兄弟は兄弟を告訴し、しかもそれを不信者の前でするのですか。そもそも、互いに訴え合うことが、すでにあなたがたの敗北です。なぜ、むしろ不正をも甘んじて受けないのですか。なぜ、むしろだまされていないのですか。

(第一コリント6:1-7)

  4. 教会戒規を執行する

 <教会の言うことさえも聞こうとしないなら、彼を異邦人か取税人のように>扱うべきである。すなわち教会の戒告に応じない場合、陪餐停止・停職・免職・除名といった処分によって、その人を教会の交わりから除かなければならない。教会にはその権威と職責が神から委ねられている。

まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。

(マタイ18:18)

 処分の目的は、当人の悔い改めと教会の交わり・職務への回復である。そのために、私たちは共に祈るのである。

まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。

(マタイ18:19-20)

  

教会戒規

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