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カナイノゾム研究室

聖書のメッセージや社会評論などを書いています。

なぜ日本イエス・キリスト教団では幼児洗礼を行っていないのか

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幼児洗礼 - Wikipedia


  1.日本イエス・キリスト教団が生まれた事情

筆者が所属する日本イエス・キリスト教団のルーツは、聖公会英国国教会宣教師バークレー・バックストンパジェット・ウィルクスの宣教にあります。
バックストン1890(明治23)年に来日して、約10年間、聖公会松江教会司祭を務めながら、松江市赤山私塾で弟子を養成し、山陰を中心として、日本と東アジアの各地で宣教活動を展開しました。[注1]

バックストンは、英国国教会ではロー・チャーチ福音派)に属していましたが、祈祷書に基づいたオーソドックスな礼拝礼典洗礼聖餐)を行っていました。
そのため、教派についての解説書では、日本イエス・キリスト教団は聖公会に分類されることもあります。

 

しかし、山陰宣教の後、1903(明治36)年にバックストンとウィルクスが設立した日本伝道隊JEB:Japan Evangelistic Band)は、ケズィック・コンベンションを基盤として生まれた超教派のミッションであり、現地のリーダーとなったウィルクス聖公会の聖職者ではなくて信徒宣教師でした。
そのため日本伝道隊は、伝道して生まれた信者の群を、様々な教派の教団や牧師にゆだねて、自らは教会を持たず、「未伝地伝道」に徹していました。

 

やがて、神戸にある日本伝道隊の神学校を卒業した牧師たちが、「霊交互助」のために集結して、1935(昭和10)年に「日本イエス・キリスト教会」が生まれました。
これは大戦中、日本基督教団に合同しましたが、戦後、分離独立して、「日本イエス・キリスト教団」となりました。教団設立は1951(昭和26)年です。2013年12月末現在、北海道から沖縄まで全国にある131の地域教会がこの教団に所属しています。[注2]

 

  2.日本基督教団の式文と礼典の問題

 

このような事情により、日本イエス・キリスト教団『式文』礼典は、聖公会ではなく日本基督教団のものに準じた形式と内容になったのです。日本イエス・キリスト教団の『式文』を最初に編集したのは、橋本巽牧師です。

 日本基督教団超教派合同教団ですから、教団の公式な『式文』は最大公約数的でシンプルなものです。
戦後間もない頃は、未信者が大勢、教会の礼拝に集まっていました。そのため、礼拝の形式は未信者に配慮したものとなり、洗礼や聖餐に重きをおいたものとはなりませんでした。まだ日本のプロテスタントは未成熟な「伝道教会」であり、未信者への伝道に集中すべきだーーという考えが、昭和時代日本基督教団の『式文』には見られます。

そのため、日本基督教団の中でも、伝統や礼典、礼拝刷新を重んじる牧師や教会は、独自の式文を用いている場合があります。日本基督教団の『式文』を改訂する動きもあり、試用版が出されましたが、近年はオープン聖餐の問題で紛糾しており、『式文』の改訂は難航しているようです。[注3]

 

  3.なぜ日本イエス・キリスト教団では幼児洗礼を行っていないのか

 

さて、B.F.バックストン師は、幼児洗礼について弟子たちから問われた時に、「あなたがたがそれにふさわしい信仰を持っているのなら、行ってもよい」と指導されたようです。
幼児洗礼を行うにあたっては、牧師や両親、教父母、教会がその意味をよく理解して、責任をもって、その子どもの信仰的成長を見守り、助けて、堅信信仰告白)に導くことが必要なのです。[注4]

 

日本イエス・キリスト教団では、幼児洗礼を禁じているわけではないのですが、それを行うための神学式文がまだ整備されていません。[注5]
そのため、信徒に子どもが生まれた時は献児式を行い、本人が信仰告白をできるようになってから洗礼を授けています。
 幼児洗礼献児式堅信礼洗礼式に置き換わっているのが現状です。
礼拝礼典(洗礼、聖餐)、諸々の式典について、式文・形式・内容を研究し、改善を図る必要があります。

こういった課題を解決していくことが、教会・教団の成熟につながり、安定した宣教教会成長につながると、筆者は考えております。

 

  4.幼児洗礼の宣教的意義


なぜ日本ではキリスト教宣教が進展しないのか。この問題については、様々な方面から研究が為されています。
その重要な理由の一つとして、徳川幕府によってキリシタン禁教寺請制度(檀家制度)、五人組制度が徹底的に実行されたことが挙げられます。
公権力によって、すべての人が家単位檀家として寺院に所属するものとされました。民はみな隣近所にまとめられました。絵踏みをしてキリシタンのいることが発覚したならば、連座制でその組全員が処刑されます。その相互監視システムが、常に周囲の目を気にして、お上を恐れ、自己主張をしない日本人を作りだしたのです。


仏教寺院は今でも、葬儀・墓・位牌・法事・過去帳によって人々を仏教の縄目に縛っています。つまり「家」を単位として宗教・宗派の信仰を強要しているわけです。せっかくクリスチャンになったのに、家の方針によって葬儀を仏式で行い、それを機に教会との関係が切れてしまうということが実際に起こっています。


ですから、日本の教会には、仏教文化に対抗し、その代替(オルタナティブ)となりうる文化が必要です。ゆりかごから墓場まで、否、天国まで人生の全過程をカバーして、個人でも家族でも地域ぐるみでも参加できるプログラムを用意する必要があるのです。

特に、世帯主がクリスチャンとなった家族は、幼児洗礼結婚式葬式など特に重要な通過儀礼において、その一家が神の選民に属することを意識し、公に告白することが重要です。「わが家とわれは主に仕えん」です。[注6]

 

幼児洗礼カテキズム教育は、「信仰の継承」「健全な教会形成」という課題に関して特に重要な意義を有します。それは、イスラエルにおいて割礼律法教育が持っていた意義と同様です。

神の経綸において血族は、信仰の父祖アブラハム以来、骨格を成している要素です。神の選びは一個人だけでなく、その家族子孫を包含するものです。神の祝福はアブラハム子孫に受け継がれ、地上のすべての民族に及びます。今や我々日本のキリスト者=教会もアブラハムの霊的子孫であり、新しいイスラエルです。
割礼幼児洗礼は、そのしるしとしての機能を持っています。[注7]

彼は、割礼を受けていないとき信仰によって義と認められたことの証印として、割礼というしるしを受けたのです。それは、彼が、割礼を受けないままで信じて義と認められるすべての人の父となり、また割礼のある者の父となるためです。すなわち、割礼を受けているだけではなく、私たちの父アブラハムが無割礼のときに持った信仰の足跡に従って歩む者の父となるためです。

(ローマ4:11-12)

 

キリストにあって、あなたがたは人の手によらない割礼を受けました。肉のからだを脱ぎ捨て、キリストの割礼を受けたのです。あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。

(コロサイ2:11-12)

 

  結論


救済論聖化論だけでなく、神の経綸・選び、教会論宣教論といった視点から「幼児洗礼」について考察することによって、私たちは様々な問題と恩恵と可能性に気づかされます。
我々、いわゆる福音派の教会は、時代が下るに従って発展した部分と弱体化した部分があるように思います。特に礼典すなわち洗礼聖餐には、見失ってしまった宝が大量にあります。
古き良き伝統に学び、その現代の文脈で生かしていけたら、幸いです。[注8]

  

kanai.hatenablog.jp

 

[注1]バックストンが山陰の松江に拠点を置いて宣教と伝道者訓練を行ったことによって生まれた運動体は「松江バンド」と呼ばれます。筆者は実際に松江に行って、バックストンの宣教を体験した方にお話をうかがい、数々の遺物・遺跡を確認しました。
松江バンドの出身者は非常に多くの教派・教団に所属しました。聖公会、フリーメソジスト、ホーリネス、インマヌエル、ナザレン、アライアンス、バプテスト、日本基督教団、同盟基督教団、福音伝道教団、基督伝道隊(活水の群れ)等。バックストンやウィルクスの孫弟子となると、日本のいわゆる福音派過半数の教団・グループに存在します。

 

[注2]日本伝道隊が運営する神学校(名称はいくつも変わってきました)の卒業生・修業生が集結したのが、戦前の日本イエス・キリスト教会、戦後の日本イエス・キリスト教団です。実は、我々の教団のアイデンティティは、その1点だけなのです。

筆者の家は祖父母の代から日本イエス・キリスト教団に所属しております。
私は大学卒業後、8年ほどサラリーマンをしていた間、単立連盟→JECA所属の長津田キリスト教会(油井義昭牧師)に属していました。それ以外はずっと日本イエス・キリスト教団の教会に所属しています。

 

[注3]たとえば、ルーテル教会や改革派・長老教会の場合、同じ信条・信仰告白を告白する人であれば、出身の教団や神学校が違っても、同じ教団に所属することができます。
彼らは、教理の体系や教会政治戒規を綿密に研究して、カテキズム式文聖書日課を用いて教育を徹底することによって、アイデンティティを確保しているわけです。これらは、プロテスタント正統主義の伝統を保持している教派・教団です。メソジスト教会はこれに準じた形態です。

 

[注4]イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」と言われた(マタイ9:2)。

救われるべき人をイエス様のもとに連れていく人たちの信仰も、重要な意味を持ちます。これを幼児洗礼に応用すると、幼子を連れていく両親教父母の信仰が重要ということになるでしょう。

 

[注5]ローマ・カトリック教会ルーテル教会、改革派・長老教会、英国国教会聖公会)、メソジスト教会といった、キリスト教の古く長い伝統との連続性を保持する教派では、幼児洗礼を行っています。
これに対して、ローマ・カトリック教会からの連続性を認めないアナバプテストは、幼児洗礼を認めず、信仰告白者の洗礼だけを認めました。バプテスト教会は、それに近い傾向を持っています。
敬虔主義の影響を強く受けている自由教会、すなわち、今日の自称・福音派に至る流れでは、簡易信条主義の教派・教団・グループがほとんどです。それらの教派・教団・グループでは幼児洗礼を行わないところが、多数派です。
 

[注6]「子どもが自分で宗教について判断して選択できるようになるまで、親としてキリスト教信仰を押し付けない、洗礼を授けない」という考え方は、自由主義的で甘過ぎると思います。
なぜなら、この世には悪魔の支配力が働いているため、公教育やマスメディア、交友関係などを通じて、信者の子どもたちも不信仰・不敬虔な思想に染められていく危険性が大きいからです。
この世は決して信仰的に中立、無重力、無菌状態ではありません!
主イエスや使徒たちの教えによれば、この世は神の国(王権、勢力と悪魔の国(王権、勢力)が激しくせめぎあう戦場なのです。
自分は聖書の神とキリストを信じているけれども、子どもは信じないことを選択してもよい、あるいは仕方が無い、と考えている人は、聖書の教え=神の命令を知らないか、無視しているのです。

たとえば、親子で大きな客船に乗って、船旅を楽しんでいたとします。
ところが、船が岩場にぶつかって、船底に穴が開き、数時間以内に船が沈むことが確実となりました。緊急用のボートが降ろされ、乗客はデッキからチューブを滑って、ボートに移っていきます。
やっと自分たちの番が回ってきました。ところが、わが子は、高低差が大きいため恐がって、チューブを滑ることを拒否します。そして、「大丈夫。こんな大きな船が沈むはずがない。ぼくは残るよ」と言い張って、親が言うことを聴きません。
このような時に、親はどうするでしょうか? 子どもを抱きかかえてチューブを滑り下りるか、あるいは子どもを押し出してチューブを滑りおろさせるか、何らかの方法で、とにかくわが子を脱出させるのではないでしょうか。

正直に申しまして、筆者は、息子がなかなか洗礼を受けようとしないので、内心穏やかではありませんでした。こういう話にたとえれば、無理やり、蹴っ飛ばしてでも、救命ボートに移させてやりたい! と思いました。
神の憐れみにより、とにかく息子も娘も全員、信仰告白をして洗礼を受けてくれたので、今はホッとして、肩の重荷が降ろせた感じです。油断は禁物ですが。。。

信者の子女に洗礼を授けて、信仰を継承し、教会を形成し続けていくことは、非常に重要で、容易ではない霊の戦いなのです!


[注7]ノアの信仰のおかげで妻、息子たち、嫁たちが救われました。ノアの箱船バプテスマの象徴です(1ペテロ3:21)。
アブラハムの信仰のおかげで、ロトとふたりの娘は救われました。

使徒行伝でペテロは次のように語っています。

「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。
なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです」。(使徒2:38~39)

パウロは次のように教えています。 

「信者の男子に信者でない妻があり、その妻がいっしょにいることを承知している場合は、離婚してはいけません。また、信者でない夫を持つ女は、夫がいっしょにいることを承知しているばあいは、離婚してはいけません。なぜなら、信者でない夫は妻によって聖められており、また、信者でない妻も信者の夫によって聖められているからです。
そうでなかったら、あなたがたの子どもは汚れているわけです。ところが、現に聖いのです」。(第一コリント7:12~14)

 

[注8]筆者は関西聖書神学校を卒業してから、日本イエス・キリスト教団の教職となり、8年間伝道牧会をした後、神戸ルーテル神学校のM.Div課程で学んでおります。

伝道牧会をしながらなので、十分な時間はとれないのですが、ここでの学びは非常に有益です。なぜかというと、神戸ルーテル神学校は正統主義敬虔主義の両方をしっかりと保持しているからです。我々、敬虔主義~リバイバリズム~ホーリネス運動の流れにある者たちの強みも弱みもよくわかります。

ルターやメランヒトンカルヴァンは、プロテスタントの基礎を築いた、偉大な信仰の父祖です。聖公会~メソジスト~ホーリネスの流れにおいても、その信仰・神学の基盤は、やはりルターやメランヒトンカルヴァンによって築かれたものです。それは信条・教理の歴史的研究において、明らかです。