KANAISM BLOG ー真っ直ぐに行こうー

聖書のメッセージやキリスト教の論説、社会評論などを書いています。

牧師とは何か

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  序 牧師職の諸問題

プロテスタントでは教会の指導者を「牧師」と呼ぶのが一般的です(他に司祭、監督、長老、その他諸々の呼称があります)。しかし、同じく牧師と呼んでいても、そのあり方は、それぞれの教派、教団、グループ、教会によってずいぶん多様です。

牧師を養成する教育機関すなわち神学校のあり方、牧師の資格認定すなわち按手礼の手続き、個別の教会への就任のプロセスすなわち招聘・任命、牧師への謝儀または給与の支給の方法、その他諸々の違いがあります。

牧師とはそもそも何であるのか、牧師の職務は何か、牧師の適性はどのようなものかーー。この小論では、無謀にも、この巨大なテーマに取り組んでみます。実際的に参考となるよう、エッセンスのみを記しますので、ご理解くださいませ。

  1.牧羊者

そもそも「牧師」とは何でしょうか。牧師は必ず必要なものでしょうか。

聖書は明らかに、牧師の職務とその絶対的な必要性を教えています。

「牧師」とは「牧者」「羊飼い」を意味します。良い羊飼いの模範は主イエス・キリストであり(ヨハネ10章)、イエスはすべての羊=キリスト信者の大牧者です(第一ペテロ2:25, 5:4)。

<イエスは、すべての町々村々を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。また群衆が飼う者のない羊のように弱り果てて、倒れているのをごらんになって、彼らを深くあわれまれた>(マタイ9:35-36)

<あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。そして見つけたら、喜んでそれを自分の肩に乗せ、家に帰ってきて友人や隣り人を呼び集め、「わたしと一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから」と言うであろう。よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう>(ルカ15:4-7)

<わたしの小羊を養いなさい>(ヨハネ21:15)
<わたしの羊を飼いなさい>(同21:16)

<どうか、あなたがた自身に気をつけ、また、すべての群れに気をくばっていただきたい。聖霊は、神が御子の血であがない取られた神の教会を牧させるために、あなたがたをその群れの監督者にお立てになったのである>(使徒20:28)

<そこで、あなたがたのうちの長老たちに勧める。(中略)あなたがたにゆだねられている神の羊の群れを牧しなさい>(第一ペテロ5:1,2抜粋)

主と同じ思いを持って、主の羊を愛し養う牧者を、主は求めておられます。生きている羊の世話は、24時間・365日、必要です。独りで担いきれないとしても、実際問題として、信徒の危機にいつでも対応できる態勢が必要です。

  2.天国の鍵

プロテスタント教会最初の信条であり、プロテスタント信仰の基礎となった「アウグスブルク信仰告白」では、教会の職制について次のように定められています。
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第十四条 教会の職制について

教会の職制について、われらの諸教会はかく教える。何人も、正規に召されたものでないならば、教会内で公に教え、あるいは聖礼典を執行してはならない。
http://www.wjelc.or.jp/office/credo/augsburg/
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アウグスブルク信仰告白によれば、教会とは福音が正しく説かれ、聖礼典が正しく執り行われる、キリスト信者の集団です。教会が教会であるために不可欠な中核部分の職務を担うのが、牧師です。その根拠は何でしょうか。

<そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉(よみ)の力もそれに打ち勝つことはない。わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう>(マタイ16:18-19)

<もしあなたの兄弟が罪を犯すなら、行って、彼とふたりだけの所で忠告しなさい。もし聞いてくれたら、あなたの兄弟を得たことになる。もし聞いてくれないなら、ほかにひとりふたりを、一緒に連れて行きなさい。それは、ふたりまたは三人の証人の口によって、すべてのことがらが確かめられるためである。もし彼らの言うことを聞かないなら、教会に申し出なさい。もし教会の言うことも聞かないなら、その人を異邦人または取税人同様に扱いなさい。よく言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天でも皆つながれ、あなたがたが地上で解くことは、天でもみな解かれるであろう>(マタイ18:15-18)

この二つのテクストは、イエス・キリストが弟子たちに語ったものです。福音書において「教会」(エクレーシア)という語が使用されているのは、マタイ16:18と18:17だけです。教会とは何か、牧師とは何か、その本質や使命を考えるにあたって、この二つのテクストは非常に重要です。

主イエスがペテロに授けた「天国の鍵」は、ーー人々の罪を赦して神と和解させ、新しい命を与えて、人々を天国の国民にするーーという最も重要な職務を実行するために備えられた「権能」です。

それは、悪魔・悪霊の牙城である「黄泉」の「門」を撃破する力を持っています。事実、イエス・キリストは十字架で死んだ後、黄泉に下って勝利を宣言し、罪人を拘束する悪魔・悪霊の力を無力化なさったのです(エペソ4:8-9、ピリピ2:10-11、コロサイ2:14-15、ヘブル2:14-15、第一ペテロ3:18-22、黙示録1:18)。

いわば教会は、この現世に置かれた、天国の大使館です。ここで天国の国籍を取得して、天国のパスポートをもらわなければ、天国に入国することができません。また、そのパスポートが有効であるためには、天国の律法に違反する罪を、常に解決しておく必要があります。それが具体的に実行されるのが洗礼であり、聖餐です。

ローマ・カトリック教会では、ーーペテロはローマ教会の初代監督、すなわち初代の教皇であって、今日に至るまで「鍵の権能」はローマ教皇が受け継いでいるーーと考えます。

各地域のカトリック教会では、その権能に基づいて司祭(神父)が洗礼と聖餐を行います。それによって人々は罪の赦しと永遠の命にあずかる、とされます。

東方正教会ローマ・カトリック教会英国国教会聖公会)では、司祭は信徒と区別された霊的な身分です。

しかし、プロテスタントは、「天国の鍵」は「教会」に与えられた、と考えます。プロテスタントでは、牧師も信徒のひとりです。牧師は身分ではなくて職分です。

私見では、片や「あなたが」(マタイ16:19)、もう一方では「あなたがたが」(同18:18)、この両方のテクストがあることに、重要な意味があります。

確かに「天国の鍵」は「ペテロ」に授けられた。しかし、「あなたがたが」それを用いる。では、その「あなたがた」とは誰かーー。マタイ28:19によれば、キリスト信者はすべてイエスの「弟子」です。よって、この「あなたがた」に該当するのです。原理的には、すべての信者が「祭司」です(第一ペテロ2:9)。

しかし、この全信徒祭司性は「万人牧師」を意味しません。新約聖書福音書使徒行伝、書簡、黙示録、どこを見ても、やはり一般の信徒と区別されたリーダーが存在します。この極めて重要な権限を持つ「天国の鍵」は、誰でもやたらに使えるものではないでしょう。

東方正教会ローマ・カトリック教会英国国教会聖公会)では、洗礼と聖餐は司祭しか執り行うことが許されていません。ルーテル教会や改革派教会、メソジスト教会等、伝統的なプロテスタント教会においても、これは按手礼を受けた牧師にしか許されていません。

ただし、ーー牧師がいなければ、信徒の誰かが牧師になるしかないーーといったことを、ルターは『キリスト者貴族に与える書』で述べています。

筆者は、いろいろな教派の祈祷書や式文を収集しているのですが、ローマ・カトリック教会聖公会ルーテル教会は、信徒による緊急洗礼=病床洗礼を認めていて、そのための式文があります。ところが意外にも、信徒の主体性を重視するはずの自由教会には、これがありません。

  3.牧師の資質

アウグスブルク信仰告白では、牧師の資格について、ーー大学神学部あるいは神学校を卒業していなければならないーーとは規定されていません。兼業はいけない、専業でなければいけない、という規定もありません。

牧師の条件は二つあります。
(1)教会において正式に召されて、任職された者であること
(2)聖書の教えに従って、正しく福音を教え、正しく聖礼典を執り行うことができること

この条件を満たす実質を確保するためには、やはりそれなりの聖書教育・神学教育・実践訓練が必要であり、そのための教育機関が設けられるのは当然でしょう。

適性の無い人が牧師になることは、教会にとって不幸なことであり、本人にとっても不幸なことです。

最初期のキリスト教会では、どのような人たちが教会の指導者として選ばれたのでしょうか。

主イエスは、30歳くらいまで大工をしておられました。母親と大勢の弟妹を養うために働かれたようです。

ペテロ、アンデレ、ヨハネヤコブは漁師です。彼らは高等教育を受けていない「無学な普通の人」でしたが、当時シナゴーグで行われていた初等教育は、受けていたでしょう。その教育の中心は、ヘブル語のトーラー(モーセ五書)を読むことです。

マタイは取税人ですから、アラム語、ヘブル語に加えてギリシア語も堪能であったと思われます。

パウロは、タルソ生まれのユダヤ人であり、ローマ市民権を持っていましたから、アラム語、ヘブル語、ギリシア語、ラテン語を使いこなしました。ヘブル語の名がサウロ、ラテン語の名がパウロです。

彼は少年時代にエルサレムに上って、最高の律法学者ガマリエルの弟子となりました。パウロは超エリートの律法学者となり、パリサイ派の巡回伝道者として活躍しました。当時パリサイ派の伝道者は、手に職をつけてから派遣されました。パウロはテントメーカーでした。

彼はイエスの弟子たちを激しく迫害しましたが、ダマスコ城外でイエス・キリストに出会って、逆にイエス・キリストを証しする伝道者・牧者となりました。

紀元1世紀のキリスト教会において最も大きな影響を与えた指導者は、ペテロ、パウロヨハネ、そして、主の弟ヤコブでした。彼らが書いた書簡は新約聖書正典に入れられて、およそ2000年もの間、巨大な影響を与え続けています。

分けてもペテロは牧師の代表格ですが、主イエスは彼に対して、正しい信仰の告白を求めておられます。

<そこでイエスは彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう」>(マタイ16:15-18)

教理的にも、心情的にも、実践的にも、健全な正しい信仰を持っていることが、教会の指導者である牧師には必須であると言えるでしょう。能力や性格、言動の完全さが求められているのではありません。

ペテロは主を裏切ってしまい、失意のうちにガリラヤに帰って、漁師に戻ってしまいました。けれど、主イエスガリラヤ湖畔で、もう一度彼を牧者としてお召しになりました。その時、主が彼に求めたことは何でしたか?

ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」
「わたしの小羊を養いなさい」(ヨハネ21:15抜粋)

なお、牧師(監督、長老)や教団といったものは、新約聖書の時代にすでに、その原始的な形態が生まれています。第一テモテ3章、テトス1章等に、牧師の具体的な資質が示されています。

<「もし人が監督の職を望むなら、それは良い仕事を願うことである」とは正しい言葉である。さて、監督は、非難のない人で、ひとりの妻の夫であり、自らを制し、慎み深く、礼儀正しく、旅人をもてなし、よく教えることができ、酒を好まず、乱暴でなく、寛容であって、人と争わず、金に淡泊で、自分の家をよく治め、謹厳であって、子供たちを従順な者に育てている人でなければならない。自分の家を治めることも心得ていない人が、どうして神の教会を預かることができようか。彼はまた、信者になって間もないものであってはならない。そうであると、高慢になって、悪魔と同じ審判を受けるかも知れない。さらにまた、教会外の人々にもよく思われている人でなければならない。そうでないと、そしりを受け、悪魔のわなにかかるであろう>(第一テモテ3:1-7)

  4.教団の職制と牧師養成

では、2000年を経て、現代の日本のプロテスタント教会では、職制はどのようになっているのでしょうか。

日本で最大の教団である日本基督教団の職制の説明がWikipediaにありますので、以下、引用します。

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一般に「牧師」「伝道師」と呼ばれる教職者を、日本基督教団では「教師」と呼称する。教師には、正教師と補教師の区別がある。前者は日本基督教団の実施する正教師検定試験に合格して、教団議長の委任を受けた教区総会の議決を経て按手礼を受けた者がこれになる。後者は日本基督教団の実施する補教師検定試験に合格して、教区総会の議決を経て伝道の准允を受けた者がこれになる。

現在、補教師検定試験を受けて合格するまでに、以下の3つのコースのいずれかを経る。それぞれに、課せられる試験科目が異なっている。Aが最も試験科目が少なく、B、Cと増えていく。

通称Aコース:日本基督教団東京神学大学大学院神学研究科博士課程前期課程、または日本基督教団認可神学校たる同志社大学関西学院大学の大学院神学研究科博士課程前期課程を修了した者が経るコース。

通称Bコース:上記大学の学部段階の卒業者や東北学院大学文学部総合人文学科の卒業者、および日本基督教団認可神学校たる日本聖書神学校・鶴川学院農村伝道神学校・東京聖書学校の卒業者が経るコース。

通称Cコース:上記のような神学校を経ない者が受験するコース。独学、西南学院大学ルーテル学院大学など他教団・教派グループの神学校・神学教育機関卒業者が該当する。

教師には、その職分による分類がある。教会に仕える教師を教会担任教師といい、教会に仕える正教師は牧師と呼ばれ、補教師は伝道師と呼ばれるのが普通であるが、補教師でも便宜上牧師と呼ばれている場合がある。その他に、教区内において巡回伝道に従事する巡回教師、神学校で教える神学教師、日本基督教団関係学校で主としてキリスト教学や宗教科(聖書科)の教師を務める教務教師、海外において宣教に従事する在外教師がある。教会や神学校、あるいはキリスト教主義の学校に籍を置かないで、教区内に籍を持つ者を無任所教師と呼ぶ。

補教師(伝道師)は教団の教憲教規上、聖礼典(洗礼・聖餐)の執行ができないことになっている。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9F%BA%E7%9D%A3%E6%95%99%E5%9B%A3

満10年以上在職し、年齢60歳以上に達して退職した者を隠退教師とする。(教規第132 条)

http://uccj.org/seminary
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では、福音派の職制はどうでしょうか。これは実に多種多様です。監督制、長老制、会衆制といった政治形態の違いは大きいのですが、日本ではこれらをミックスした合議制の教団が多いようです。

筆者の所属する日本イエス・キリスト教団も、日本基督教団にある程度似た合議制になっています。人事については、招聘と任命がミックスされた感じです。

  5.筆者の経験

筆者は関西聖書神学校で3年間学び、卒業後、日本イエス・キリスト教団の教師になりました。私どもの教団では、神学校卒業前に教団の伝道師試験を受験します。ペーパーと面接です。

合格すると、卒業後すぐに伝道師として派遣されます。筆者の最初の任地は、北海道岩見沢市にある開拓5年目の教会でした。先輩の牧師が主管者となり、教育指導を受けながらでしたが、実質的に一つの教会の牧会を任された状態です。

伝道師2年目に補教師試験(論文・レポート数本)を受験、合格して補教師になって3年目に正教師試験を受験(論文・レポート数本、面接)、合格したら教団総会で按手礼を受けます。筆者は幸いストレートに5年間で正教師になることができました。

正教師となってすぐに鎌倉に転任となりましたが、その直前に洗礼式を行うことができて、無上の喜びを感じました。

按手を受けて牧師となれば、聖餐式を含めて、すべての務めを果たすことができます。どの団体でも、牧師志願者が神学校を卒業後、一定の実践期間を経てから、試験を行い、それに合格してから、牧師となる按手を授けているようです。

「長老の按手を受けた時、預言によってあなたに与えられて内に持っている恵みの賜物を、軽視してはならない」(第一テモテ4:14)

「軽々しく誰にでも按手をしてはならない」(同5:22)

「わたしの按手によって内にいただいた神の賜物を、再び燃えたたせなさい」(第二テモテ1:6)

鎌倉で3年間、創立して20年ほどの教会で牧会をした後、巡回教師となって、神戸ルーテル神学校の神学修士(M.Div)課程に編入学させていただきました。違う教派、特に古い伝統を保持しているルーテル派での勉学は、得るものが非常に多くありました。

神戸に来て2年後、神戸大石教会の牧師に就任し、それから5年近くになります。この教会は宣教84年に及ぶ歴史があります。

神戸には福音派だけでも四つの神学校があり、福音主義神学会や合同シンポジウムなど、活動が盛んです。戦後70年を経て、福音派の神学教育は、ずいぶん発展したように思います。

◆関西聖書神学校
http://kbc-bw.sakura.ne.jp/Kansai_Bible_College/Welcome.html

◆神戸ルーテル神学校
http://www.koluthse.jp
https://www.facebook.com/koluthse/?fref=nf

◆神戸改革派神学校
神戸改革派神学校

◆神戸神学館
Kobe Theological Hall

神学校や聖書学校でも学位を出すには、一定のレベル以上の学位を持つ教師が必要であり、日本の福音派ではアジア神学協議会(ATA)とアジア神学大学院(AGST)が重要な役割を担っています。

アジア神学協議会(ATA
www.ataasia.com

  6.牧師に求められる社会性

さて、牧師は人を相手にする職務です。信徒の様々な悩みを聴いて、理解し、共に祈ります。特別なカウンセリングが必要なケースもあります。

牧師は教会という社会集団のリーダーでもあります。憲法や宗教法人法の知識は必須です。組織の運営や事務作業も、ある程度できなければ、支障が生じます。

そのような事情から、牧師になる人は神学校に行くより先に一般社会で働いた方が良い、という意見をよく見聞きします。

私見では、伝道牧会重視なら、一般社会の経験は、マストではないけれど、あるとベターかもしれません。

しかし、聖書学者を志すなら、若い時から迷わず勉学、とりわけ語学に励んで、余計なことに時間を費やしてはいけません。年齢が高くなるにつれ、体力や記憶力が低下するからです。

ただし学者であっても、牧師もするのなら、新聞やテレビ、インターネット等で情報を得て、社会の仕組みや動向を理解することが必須です。

ちなみに筆者の場合、大学は経済学科に進み、生協職員3年、地方公務員5年を経て、30歳の時に妻子を連れて神学校に入学しました。

牧会生活15年。私の場合は、一般社会での経験が、伝道、牧会、説教、講義、式典、カウンセリング、事務、文筆、プロジェクト、イベント等、いろいろな面で役立っています。

ただし、キリスト教をはじめ宗教は、一般社会とは異なる原理・原則・慣習・システムが存在する部分社会です。一般社会のルールや慣習、常識をもちこんでも通用しない場合があります。

我が国では宗教性善説に立って宗教法人法が作られましたので、宗教法人にはかなり高いレベルでの自治が認められています。また免税の特権や牧会権という特殊な権利が認められています。

ところが、この部分社会には一般社会同様の、あるいは一般社会より困難な問題がしばしば発生しています。宗教は国民に倫理道徳を教え善導するので、公益性が高いーーという宗教性善説は、オウム真理教事件や宗教関係の諸々の事件によって、瓦解しつつあります。宗教に向けられる世間の目は厳しいものです。

この四半世紀ほどの間に、一般社会ではコンプライアンスが徹底され、人権やメンタルヘルス・ケアの研修が管理職に義務付けられるようになりました。キリスト教の諸団体ではどうでしょうか?

例えば、労働法はキリスト教会・教団・宣教団体、特に牧師には通用しません。人事担当の教団の役員は、憲法民法、労働法くらいは理解しているでしょうか? あまり期待できないでしょう。

私どもの教団では牧師謝儀の最低基準が定められており、不足する各個教会は、教団に謝儀不足分の補助を申請することができます。

社会保険にも加入しており、ずいぶん改善されたと思いますが、それでも「謝儀」は「給料」ではありません。「雇用」ではないため、雇用保険には加入できません。退職金積立はありますが、失業手当は支給されません。

  結び 献身の道

筆者は29歳の時に、主日礼拝で牧師の説教を通じて、主からお召しの声を聴かせていただきました。ルカ9:57-62の説教でした。

「わたしに従ってきなさい」

「あなたは出て行って神の国を告げひろめなさい」

「手をすきにかけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくない」

筆者は、牧師の家庭に育ちましたので、ある程度、理解していましたが、実際に牧師になってみると、理解していた以上にこの職務はシンドイものでした。しかし、主が呼び出されたのですから、主が何とかしてくださると信じて従う、ただそれだけです。妻と4人の子供たちの理解・協力・忍耐があればこそですが。両親や母教会その他多くの兄弟姉妹の祈りと支援に、支えられてきました。

天上の栄光を捨てて、貧しき民のひとりとなり、ユダヤ教から排除された罪人の「仲間」になられたイエス・キリスト! 福音のメッセージは言葉だけでなく、そのイエス・キリストの身をもって示されたのではなかったでしょうか。

牧師の道は献身の道であり、十字架を背負って歩む道です。十字架の死を経てこそ、復活の栄光があります。

「牧師の生涯は仕えの道です。ひたすら神と人に仕えていくのです」。神学校でこのように教えられましたが、その通りでしょう。人を自分に仕えさせることが好きだという方には、もっと良い職業があるでしょう。

牧師として召されていると感じている方は、祈り、相談し、確信を得たならば、主に信頼して踏み出したら良いのではないでしょうか。


<お薦め>

福音主義神学』18号(1987年)特集テーマ「教会論」
http://www.evangelical-theology.jp/jets-hp/jets/jets_paper/jets_papers18.html

福音主義神学』32号(2001年)特集テーマ「女性教職論」
http://www.evangelical-theology.jp/jets-hp/jets/jets_paper/jets_papers32.html

http://blog.livedoor.jp/js_biker2000/archives/1708879.html?ref=foot_btn_prev&id=4498711

くりホン キリスト教教派の森(八木谷涼子氏のサイト)
http://homepage3.nifty.com/yagitani/kurihon/

石居正巳『教会とは誰か(ルターにおける教会)』(リトン)2005年

スポルジョン『牧会入門』(聖書図書刊行会)
牧会入門

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鈴木崇巨『牧師の仕事』(教文館)2010年ウィリアム・ウィリモン(新教出版社)2007年