*ここに書く文章は、あくまで私案・試案・思案です(夢想でないことを祈りま
「霊交互助」「財布は一つ 骨は拾う」
これは、私たち日本イエス・キリスト教団が創立(1951年)以
私たちの教団の牧師・教師は皆、神戸
2013年12月末
わが教団の人事制度は、任命制と招聘制を兼ね合わせたものとなっています。教団の規約と規則においては、各地域教会の招聘に基いて、教団委員会が牧師・教師を任命し、各地域教会に派遣する形になっています。実際には、教団委員会と教会役員会と牧師・教師、三者の協議・調整によって人事が決まります。
わが教団では、各地域教会から礼拝献金と月定献金の10分の1を教団
実際には、各地域教会は毎月、教師謝儀分の金額を教団の口座に振り込み、教団から牧師・教師の口座に謝儀が支給されています。牧師・教師の大多数は、教団の社会保険(健康保険、年金)に加入しています。雇用保険はありません。
教団は教師謝儀基準を定めていますが、原資が限られているため、実際
今、日本の各地方では、農山漁村も都市も少子高齢化と過疎化=人口減少が進行しています。地方の教会では、常駐する牧師
このような時代だからこそ、我々は、
「霊交互助」 「財布は一つ 骨は拾う」
という大方針を、文字通り実行すべき時ではないでしょうか!
その具体策をいくつか考えてみました。
(1)信徒の皆さんは、できるだけ自分が住んでいる地方、町、地域の教会に
(2)自分の出身地や関係のある土地の教会が経済的に困難な状態
(3)都会の教会から地方の教会へ伝道応援に行きましょう。
(4)未信者の家族・親族・友人・知人に近くの地域教会を紹介し
(5)地区単位で、あるいは県単位で、教区単位で、地域教会が合
(6)地域教会が、教団の規定通りの牧師謝儀を支給しましょう。そ
(7)経済面だけでなく、伝道・牧会においても、それぞれのグル
以下は、関係する聖書の言葉です。
兄弟の愛をもって互いにいつくしみ、進んで互いに尊敬し合いなさ
喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。
(ローマ人への手紙12章10、15節)
目は手にむかって、「おまえはいらない」とは言えず、また頭は足
そうではなく、むしろ、からだのうちで他よりも弱く見える肢体が
麗しくない部分はいっそう麗しくするが、麗しい部分はそうする必
神は劣っている部分をいっそう見よくして、からだに調和をお与え
それは、からだの中に分裂がなく、それぞれの肢体が互にいたわり
もし一つの肢体が悩めば、ほかの肢体もみな共に悩み、一つの肢体
あなたがたはキリストのからだであり、ひとりびとりはその肢体で
(コリント人への第一の手紙12章21~27節)
キリストを基として、全身はすべての節々の助けにより、しっかり
(エペソ人への手紙4章16節)
それとも、わたしとバルナバとだけには、労働をせずにいる権利が
いったい、自分で費用を出して軍隊に加わる者があろうか。
ぶどう畑を作っていて、その実を食べない者があろうか。
また、羊を飼っていて、その乳を飲まない者があろうか。
わたしは、人間の考えでこう言うのではない。
律法もまた、そのように言っているではないか。
すなわち、モーセの律法に、「穀物をこなしている牛に、くつこを
神は、牛のことを心にかけておられるのだろうか。
それとも、もっぱら、わたしたちのために言っておられるのか。
もちろん、それはわたしたちのためにしるされたのである。
すなわち、耕す者は望みをもって耕し、穀物をこなす者は、その分
もしわたしたちが、あなたがたのために霊のものをまいたのなら、
もしほかの人々が、あなたがたに対するこの権利にあずかっている
しかしわたしたちは、この権利を利用せず、かえってキリストの福
あなたがたは、宮仕えをしている人たちは宮から下がる物を食べ、
それと同様に、主は、福音を宣べ伝えている者たちが福音によって
(コリント人への第一の手紙9章6~14節)
聖徒たちへの献金については、わたしはガラテヤの諸教会に命じて
一週の初めの日ごとに、あなたがたはそれぞれ、いくらでも収入に
わたしが到着したら、あなたがたが選んだ人々に手紙をつけ、あな
(コリント人への第一の手紙16章1~3節)
わたしはあかしするが、彼らは力に応じて、否、力以上に施しをし
すなわち、自ら進んで、聖徒たちへの奉仕に加わる恵みにあずかり
そこで、この募金をテトスがあなたがたの所で、すでに始めた以上
さて、あなたがたがあらゆる事がらについて富んでいるように、す
それは、ほかの人々に楽をさせて、あなたがたに苦労をさせようと
すなわち、今の場合は、あなたがたの余裕があの人たちの欠乏を補
それは「多く得た者も余ることがなく、少ししか得なかった者も足
(コリント人への第二の手紙8章3~7、13~15節)
わたしは他の諸教会をかすめたと言われながら得た金で、あなたが
わたしの欠乏は、マケドニヤからきた兄弟たちが、補ってくれた。
こうして、わたしはすべての事につき、あなたがたに重荷を負わせ
(コリント人への第二の手紙11章7~10節)
ピリピの人たちよ。
あなたがたも知っているとおり、わたしが福音を宣伝し始めたころ
またテサロニケでも、一再ならず、物を送ってわたしの欠乏を補っ
わたしは、贈り物を求めているのではない。
わたしの求めているのは、あなたがたの勘定をふやしていく果実な
わたしは、すべての物を受けてあり余るほどである。
エパフロデトから、あなたがたの贈り物をいただいて、飽き足りて
それは、かんばしいかおりであり、神の喜んで受けて下さる供え物
わたしの神は、ご自身の栄光の富の中から、あなたがたのいっさい
(ピリピ4章15~19節)
<日本イエス・キリスト教団公式サイト> http://jccj.info/
<関西聖書神学校公式サイト> http://kbc-bw.sakura.ne.jp/Kansai_Bible_College/Welcome.html
<日本伝道隊公式サイト> http://jebnet.jimdo.com
<Japan Christian Link 公式サイト> http://www.jclglobal.org/japanese/