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カナイノゾム研究室

聖書のメッセージや社会評論などを書いています。

代替家族(ウェブスター=スミス宣教師と日の出女児園)

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「ご覧なさい。この方たちが私の母であり、私の兄弟です」(マルコ3:34)

 

 イエス様が挑戦しておられた共同体の形成は、まさに「代替家族」です。

 

 私の母教会である明石人丸教会は、アイリーン・ウェブスター=スミス宣教師が始めた「Sunrise Home 日の出女児園」という児童養護施設(昔は孤児院といいました)のバイブルクラスから始まりました(参照:『せんせい』ICM出版)。

 

 キリスト教会は古くから、家族を支える働きを担うだけでなく、身寄りの無い人と共に生活する代替家族の役割を果たしてきたはずです。

 

 「無縁社会」と言われる今日の状況において、「最も小さい者のひとり」が大切に守られることこそ、イエス様が望んでおられることではないでしょうか。

 

<祈り>
 主よ、あなたが託されたひとりひとりを、きよい愛をもって守ることができますように、私たちをお助けください。

 

hitomaru-church.com

 ある女性宣教師の心に残る生涯 「からし種ほどの信仰があれば」何事も不可能はないという確信をもって生き抜いた、大正から昭和半ばにかけての宣教師アイリーン・ウェブスター=スミス。芸者小屋に売られる少女たちを救い出し、戦犯から皇族に至るまであらゆる人びとにキリストを証しし、御茶の水クリスチャンセンターの設立者ともなる。 「しもべ」としての生き方を真に理解し、その通りに生き抜いた女性の生涯は、読むものに深い感動を与えずにはいられない.。

せんせい―アイリーン・ウェブスター=スミスの生涯

せんせい―アイリーン・ウェブスター=スミスの生涯

 

 

 OCCの創立者アイリーン・ウェブスタースミス師もその一人として輝く存在である。彼女は、当時の連合軍最高司令官マッカーサー元氏の特別許可を得て、いち早く、かつての宣教地、日本に帰って来て、日本の復興を担う若い学生たちへの伝道の重荷を持ち、今は日本の福音派の一大拠点となったセンターを設立した。このことは、彼女の時代を先取りする優れた才能を示すものとして特筆大書されなければならないことである。

 師は、1888年4月11日、ウェールズに生まれた。
 10代のある日、ダブリン市でも有名なクリスチャン弁護士の家庭で開かれていた聖書研究会に出席することになった。そこで、生まれてはじめて、「あなたは、主イエス・キリストを自分の親しい救い主、また友として知っていますか。」という質問を受けた。彼女は、この質問に戸惑いを覚えた。その後、そこで、キリストを信じ、受け入れ、家に帰って、自分のベッドの脇にひざまずき、信仰の決心をした。
 当時の師の夢は、法廷弁護士となることで、そのための勉強、法律事務所での仕事、スラム街の伝道の手伝いで、その生活は充実したものだった。
 しかし、その時はすでに、彼女の内には海外宣教への主の働きかけが始まっていた。その働きかけは強くなる一方で、彼女はその思いを避けるため意識して、宣教集会に出席したり海外関係の機関紙を読んだりしないようにしていた。しかも、アル・クイグリーという神学生と将来を約束するまでになっていた。このような状況のもとで、彼女は毎晩「主と論じ合う」経験をすることになった。宣教師となる召命を受け入れることができなかったのである。
 「主よ、私は宣教地に行くわけにはいきません。私は弁護士になるための勉強をしていますし、アルと将来を誓い合っています。」と祈った。 
 このような霊的葛藤の中で、救われて以来、毎月少なくとも一人は主に導いてきていたのに、とうとう2ヶ月間、誰も主に導けなくなってしまった。主への心も冷え、祈りはなおざりにされ、聖書に対する関心も失せていった。しかし、とうとう1915年のイースター礼拝で、悔い改め、「主よ。あなたが望まれるところでしたらたとえ地の果てまでも参ります。」と主に献身を誓った。 
 ふたたび、伝道所での奉仕に戻った師は、そこで日本伝道隊の二人の宣教師たちにふれ、1916年12月2日の朝、神戸港に着いた。日本には2年間いる約束だった。来日後、彼女は、慈愛館で若い女性たちの救済活動に捧げきっていた。 
 師が、何をすべきかを主に祈っていた時、神のご計画に従って、クリスチャンの米軍将校が、自分が始めた大学生対象の聖書研究会を引き継いでくれるように師に求めてきた。すでに60歳を超えた身で学生伝道をすることには体力的な不安を感じはしたものの、主からの新しいチャレンジとして立ち上がった。 
 こうして始まった東京での師の働きは、巣鴨刑務所に収容され戦犯の人たちにも及んだ。その中からも、イエス・キリストを救い主として受け入れ、主の平安のうちに天に召されていった人たちがおこされた。必要とあれば、どんなことであれ、応答していくのが師の姿勢であった。センターの場所が与えられたいきさつもこの姿勢があったればこその主の奇跡のわざであった。 
 1971年、元気いっぱい日本を出発した師は、その旅の途中、突如として天に召された。これは、多くの者にとってショックであった。主に捧げられた一つの器が、主の御手に十分に用いられることによって限りない広がりをもつことを

お茶の水クリスチャンセンター

 

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事の発端は、アイリーン・ウェブスター・スミスという宣教師の家庭集会でした。そこに西沢さんという女性が来て、スミス宣教師にこんな頼み事をしました。
 「私の夫は巣鴨拘置所に捕らわれて、戦犯として裁かれようとしています。恐らく、彼は死刑になると思いますが、どうか、彼にキリストの福音を伝えてあげてください。罪が赦され、平安をもって天に召されるように祈ってあげてください。」
  戦犯たちには月に1回、30分だけ家族のみが会うことが許されていましたが、マッカーサーから特別な許可を得て、スミス師は西沢さんに会いに行き、厳重な監視の下で、福音を語りました。
「キリストと共に十字架刑に処せられた犯罪人が最後に自分の罪を悔い改めて、『イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください』と懇願しました。そこで、キリストは彼に対して、『あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます』と言われました。あなたも、イエス・キリストを信じれば、今までの罪が赦され、永遠の命が与えられるのです。」
すると、西沢氏は反論しました。「あなたは、私が戦争でどんなことをしてきたか知っていますか。私の両手は血塗られています。私のしたことを知らないから『赦し』とか、『救い』とかを簡単に言えるのです。あの戦場を見、私が何をしたか知ったら、そんな『赦し』なんて語ることができないでしょう。」
これに対して、スミス宣教師は更に、こう語りました。「確かに、私はあなたが何をしてきたか分かりません。しかし、一つのことだけは知っています。それは、イエス・キリストの血潮はすべての罪から私たちをきよめることができるということです。キリストが全人類のすべての罪のために死んでくださった以上、神の前に赦されない罪はないのです。」
 不思議なことに、西沢氏はこの言葉を素直に受け入れることができ、宣教師の招きに応え、その場でイエス・キリストを救い主として信じる祈りをしたのです。しかし、それは奇跡の始まりにしか過ぎませんでした。

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 巣鴨拘置所で、スミス宣教師から福音を聞き、キリストを信じた西沢さんは、自分の罪がキリストの十字架の血潮によって赦された喜びを、他の戦犯たちに伝え始めました。その中の一人に柴野さんという人がいました。彼は西沢さんの証しを聞いて言いました。
 「私も救われたい。私も避けられない死を前にして永遠の命が欲しい。罪が赦されるということを経験したい。」
 そこで、柴野さんは、あと一回しか残っていない家族との面会のチャンスをスミス宣教師に充てました。30分の面会の中で福音を聞いて、彼も素直にキリストを信じ、救われました。 後日、またGHQ占領軍のほうから、スミス師のところに連絡が来ました。今度は、柴野さんが所内で救いの喜びを伝え始めた別の戦犯が面会を求めている、というのです。こうして、巣鴨拘置所の中で次々と戦犯たちがキリストに導かれ、結局、14人も救われたのです。
 自責や怒り、不当さに対する憎しみが渦巻く巣鴨拘置所でしたが、クリスチャンになった人々は輝いていました。彼らの証しによって、巣鴨の雰囲気が一変しました。その情報を耳にしたマッカーサー司令官は、もう一度、西沢に会っても良いという特別許可をスミス師に与えました。この最後の面会の時、西沢さんは自分のことよりも、家族のことを心配していました。 「私の今の心残りは、家族でまだ救われていない者がいることです。彼らのために、どうぞ、この福音を伝えてあげてください。」
 スミス宣教師と西沢さんは二人で祈りました。その時、二人をじっと見張っていた看守はヘルメットを脱いで、自らも深々と頭を下げながら祈りました。そのことに気付いたスミス師は、「あなたもクリスチャンですか」と尋ねました。すると、彼は言いました。
 「いいえ、小さい時から日曜学校に通っていましたが、神から離れてしまいました。今は信仰を持っていません。しかし、ここで次々と絶望の囚人たちが輝くようになっていくのを見て、私も信じたい気持ちになりました。」
 この看守の回心がきっかけとなって、憲兵隊のための聖書研究会が開かれるようになりました。その中でまた沢山の憲兵隊が救われ、宣教師になった人もいます。
 有罪判決を受けた西沢さんと柴野さんは、やがて、処刑されることになりました。その翌日に、ある将校が報告をしに、スミス宣教師のところに行きました。

 「昨日、あなたが導いた戦犯たちが処刑されました。その最後は、みんなに賛美歌を歌ってもらい、『神が共におられる。死ぬのではなく、故郷へ帰る』と言って、聖書を抱き抱えながら死んでいきました。」
 東京裁判は、不当な裁判だったと言えるかも知れません。しかし、その中で、神の驚くべきみわざが現されました。

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 ICM出版  http://www.icmpress.org/new_top3.html

CLC http://www.clc-shop.com/clconline/products/detail2240.html

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Heart on Fire: Irene Webster-Smith of Japan

I.R.Govan Stewart (著) 

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Heart on Fire: Irene Webster-Smith of Japan

Heart on Fire: Irene Webster-Smith of Japan