【金言】
聖霊を受けなさい。 あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、 あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。
(ヨハネ20:22~23)
1. 安かれ
イエス・キリストが復活された日曜日の夕方、弟子たちは家に隠れていた。ユダヤ人によって自分たちも捕らえられて、殺されるのではないか、と恐れていたのである。家の戸はみな固く閉じていた。それなのに、そこに主イエスが入って来られた。弟子たちは恐れ惑った。
イエスは彼らに言われた、
「平安があなたがたにあるように」
イエスはその手と脇腹を彼らにお見せになった。そこには十字架の釘の跡があり、槍の傷跡がある。確かに主イエスである。弟子たちは、主を見て喜んだ。
復活された主イエスの顕現が、弟子たちの心から恐れを取り除き、平安をもたらした。キリスト教の救いは思想・観念ではない。肉体の復活という現実である。主イエスは今も生きておられる。生ける主イエス・キリストに出会った喜び、これが福音である。
2. 聖霊を受けよ
イエスは彼らに言われた、
「平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします」
「聖霊を受けなさい。あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、 あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります」
主イエスは、宣教を始める前に、まず洗礼を受けて、聖霊の注ぎを受けられた。それは任職の油であり、聖霊の力に満ちてイエスは力あるわざを行われた。今や同じ聖霊を受けて、弟子たちがキリストの宣教を継続していくのである。
宣教の目的は、キリストを信じる人々に罪の赦しと永遠の命を与えることである。教会には「天国の鍵」が与えられている。
私たちも、この特権と使命の尊さを自覚して、福音宣教を続けよう!