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幼児洗礼についてどう考えるか

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幼児洗礼 - Wikipedia

 

キリスト教には多くの教派がありますが、「洗礼」(浸礼、バプテスマという基本的な儀礼に関しては、「幼児洗礼」を行う教派と「成人洗礼」を行う教派、洗礼を行わない教派に大別できます。

幼児洗礼とは一般的に、信者である両親が、生まれた子どもを教会に連れて行き、司祭・牧師が「父と子と聖霊の御名によって」その子どもを水に浸す、あるいはその子どもの頭に水を注ぐ、という儀式です。

洗礼に関して筆者が持っている問題意識の一部を以下、書かせていただきます。


  1.幼児洗礼を行う教派

幼児洗礼を行う主な教派は、以下のとおりです。

a. 東方正教会ローマ・カトリック教会聖公会ルーテル教会など、古代から続くキリスト教伝統を重視する教派では、幼児洗礼を行っています。それらの教派では、洗礼式そのものが新生を与える恵みの手段である、と理解しています。

 

b. カルヴァン主義に立つ改革派教会長老派教会、会衆派(組合)教会も幼児洗礼を行いますが、それは契約の信仰を表すのでしょう。


c. 聖公会から分離して生まれたメソジスト教会も幼児洗礼を行いますが、本人が信仰を告白して、「救いの確証」を得ることを重視しているようです。

幼児洗礼を授ける教派では、受洗した子どもが一定の年齢に達したときに、教理の学びを行った上で、「堅信」を行う場合があります。その儀式の名称は堅信礼堅信式信仰告白など様々です。

  2.幼児洗礼の根拠・意味

幼児洗礼には、どのような根拠・意味があるのでしょうか。

a. 新約聖書には、使徒たちが、伝道した人の家族全員に洗礼を授けた記録があります(使徒10:48、11:14、16:15、16:33、18:8、第一コリント1:16)。幼児もその中に含まれていたと思われるのです。

b. ユダヤの男子は生まれてほどなく「割礼」を受けます。性器の包皮を切り取る儀式です。それは、その子どもが神に選ばれた契約の民の一員であることの証しです(創世記17:10-14)。幼児洗礼は、新しい契約の民としてキリスト教会が行う「証し」であり、割礼に代わるものです(ローマ4:9-12、コロサイ2:11-12)。


c. 新約聖書福音書に、<イエス彼らの信仰を見て、中風の人に、『子よ。あなたの罪は赦されました』と言われた>という記録があります(マルコの福音書2:5)。キリストの恩恵にあずかる「信仰」には、本人だけでなく、その家族隣人なども関係しているようです。主のみもとに幼児を連れてくる両親牧師、教会の信徒みなの信仰が重要なのです。


d. 主イエスは、このように教えておられます。
子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません>(マルコ10:14-15)。
エス時代のユダヤ社会では、12歳以下の子どもたちは、ユダヤ教の公的な礼拝や祭儀、集会に参加することが許されていませんでした。しかし、主イエスは、「幼い子どもたちこそ、神の国の民としてふさわしい。彼らを排除してはいけない。受け入れなさい」と教えておられるのです。

  3.幼児洗礼を行わない教派

 

幼児洗礼を行わない教派としては、主に以下のものを挙げることができるでしょう。


a. アナバプテスト(再洗礼派)の流れにある諸教会(メノナイトブレザレン等)やバプテスト教会は幼児洗礼を行いません。


b. 敬虔主義信仰復興(リバイバル)運動によって生まれた自由教会

c. ホーリネス運動ペンテコステ運動によって生まれた諸教会も、幼児洗礼を行わないところが多いようです。

 

ホーリネス系の諸教会はメソジスト教会から分離して生まれましたが、信仰告白新生洗礼に関してバプテスト教会に近い理解を持っているようです。すなわち、人は、悔い改めて、キリストに対する信仰を告白する時に新生の恵みにあずかり、その象徴しるし・証しとして洗礼を受ける、という理解です。
 

  4.日本イエス・キリスト教団の場合

日本イエス・キリスト教団のルーツにいるバークレー・バックストンパジェット・ウィルクスは終生、英国教会(聖公会に属していました。バックストンは1891年(明治24年)4月から1902年(明治35年)3月まで松江キリスト教会の司祭を務めました。当然、聖公会では幼児洗礼を行います。

しかし、1903年にバックストンとウィルクスが英国で結成した新しい宣教団体、日本伝道隊(Japan Evangelistic Band)超教派ミッションであり、新生体験を重視する伝道=「救霊」の活動を展開しました。リバイバリズムの影響が濃厚であったのでしょう。

 

日本伝道隊の結成と初期の活動を主導したのは、パジェット・ウィルクスです。彼は日本人伝道において卓越した能力を発揮しましたが、聖公会での立場は信徒ですから、聖礼典=洗礼・聖餐を行うことができませんでした。伝道隊には、同様の立場の宣教師が多くいました。


そういった事情もあって、日本伝道隊は自ら教会形成を行わず、伝道によって救われた人々を既成の教団・教会または伝道者・牧師に委ねていました。伝道隊の基本方針の一つは「未伝地伝道」であり、宣教師は一つの群れを産み出したら、次の開拓伝道の地へ移っていったのです。

その強靭なフロンティア精神はすばらしいものです。しかし、伝道と教会形成を分離したこの宣教のあり方が、その後、日本の福音派の諸教団・諸教会の形成に問題を残したのではないでしょうか。日本伝道隊の宣教と神学校教育をベースとして生まれた日本イエス・キリスト教団は、日本伝道隊が行ってきた宣教の影響を、直接的に受けています。その長所短所をよく研究して、長所を伸ばし、短所を改善する必要があるでしょう。


洗礼式は教会への加入儀礼という意味を持っていますから、教会形成の問題に深く関係しています。現在、日本イエス・キリスト教団では、幼児洗礼を行っていませんが、禁じているわけでもありません。神学的に十分な検討が為されないまま、今日に至っているのでしょう。


  5.日本の伝道と教会形成のために

 

バックストンの来日(1890年)からすでに120年を越える歳月が過ぎており、クリスチャン5代目、6代目という時代になっています。信仰の継承という面からも、幼児洗礼についてしっかりと研究していく必要があるのではないでしょうか。

 

小生は、聖餐と同様に、洗礼もただの記念ではなくて、実効性を持つものである、と聖書は教えているように思います。子どもたちの救いを願うのなら、やはり幼児洗礼を積極的に進めるべきでしょう。

ただし、信徒が「救いの確証」を与えられた、いわゆる「ボーンアゲイン」の体験を否定するべきではない、と思います。

使徒行伝」によれば、悔い改め信仰告白洗礼新生聖霊の付与といった諸要素の順序は、単純ではありません。これにはいろいろな事情が関係していて、実際には様々なケースがあるようです。

 

洗礼に関する聖書の教え歴史実際問題について、牧師も信徒も共に学び、考えて、信仰の歩み教会の形成を堅固で豊かなものにしていけたら、幸いです。

 

  <洗礼に関する聖書の教え>

 

それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。(マタイ28:19-20)

 

信じてバプテスマを受ける者は、救われます。(マルコ16:16)

 

悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。(使徒2:38)

 

それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。(ローマ6:3-4)

 

なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。(コリント第一 12:13)

 

キリストにあって、あなたがたは人の手によらない割礼を受けました。肉のからだを脱ぎ捨て、キリストの割礼を受けたのです。あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。あなたがたは罪によって、また肉の割礼がなくて死んだ者であったのに、神は、そのようなあなたがたを、キリストとともに生かしてくださいました。それは、私たちのすべての罪を赦し、いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。(コロサイ2:11-14)


しかし、私たちの救い主なる神のいつくしみと人への愛とが現われたとき、神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。神は、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。それは、私たちがキリストの恵みによって義と認められ、永遠のいのちの望みによって、相続人となるためです。(テトス3:4-7)