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カナイノゾム研究室

聖書のメッセージや社会評論などを書いています。

集団的自衛権の行使容認について(2)

  1.集団的自衛権行使容認の閣議決定

日本政府
7月1日午後、臨時閣議を開き、憲法解釈変更して集団的自衛権の限定的な行使を容認することを、閣議決定した。
http://www.cas.go.jp/jp/gaiyou/jimu/pdf/anpohosei.pdf

■「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」(抜粋)

「これまで政府は、武力の行使が許容されるのは、日本に対する武力攻撃が発生した場合に限られると考えてきた。しかし、日本を取り巻く安全保障環境が変化し続けている状況を踏まえれば、今後、他国に対する武力攻撃であっても、その目的や規模、態様などによっては、日本の存立を脅かすことも現実に起こり得る」

「日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、日本の存立が脅かされ、国民の権利が根底から覆される明白な危険がある場合に、必要最小限度の実力を行使するのは自衛の措置として憲法上許容されると判断するに至った」

「民主的統制の確保が求められるのは当然で、自衛隊に出動を命じる際には原則として事前に国会の承認を求めることを法案に明記する」


政府与党は今後、この閣議決定に基いて、法整備を図り、自衛隊と米軍の連携を強化して、海外での自衛隊の活動を拡大していくものと思われる。

国際法から言えば、日本国が個別的自衛権集団的自衛権を持っているのは、当然のことだ。それは国連憲章に明記されている。わが国はそれに自ら制限をかけてきたのだ。

 

国連憲章 第7章 第51条

「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」
http://www.unic.or.jp/info/un/charter/text_japanese/

 

  2.抑止力の論理

 

日本国憲法 前文(抜粋)

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。(中略)
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

日本国憲法 第二章 戦争の放棄

第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S21/S21KE000.html

 

日本国憲法前文第9条が掲げる理想は正しいのだけれど、第二次大戦後の世界の現実は、そのようにならなかった。世界の国々、とりわけ東アジアの国々がみな、日本国憲法のごとき平和主義戦争放棄を国是とし、実行するならば、わが国もこの制限を保持していけただろう。

 

しかし、現実は日本国憲法前文が説くようにはなっていない。だから、自衛隊が必要となったのであり、今回の集団的自衛権に関する「新解釈」も致し方ないものと思われる。

日本も戦争ができる「普通の国に変わりつつある。その良し悪しはともかく、これが現実だ。ただし、「戦争ができる」ことと「戦争をする」ことは違う。


集団的自衛権の行使容認に関する憲法解釈の変更を推進•支持する人たちは、次のような論理を主張している。

自衛隊が米軍等と共に戦える体制を整えることによって、東アジア地域における軍事力の均衡を保ち、戦争の勃発を防ぐことができるのだ

この「抑止力」の論理は、現代の安全保障論=国際政治学においては、特異な説ではなく、世界的には常識と言える考え方である。そのことは、「解釈改憲」に反対する人たちも理解すべきだ。中国や北朝鮮の軍事的脅威が高まっていることは、誰も否定できないはずだ。

 

その脅威に対して適切に対応しつつ、日本政府は、軍事力の均衡による安全保障を乗り越える意志の宣言である、日本国憲法の平和主義が持つ大いなる可能性を、広く国民国際世論に訴えるべきである。

 

  3.護憲派=平和主義者の反撃


民主主義の基本は選挙である。広く国民の支持を得て選挙に勝ったからこそ、与党はこの閣議決定による「解釈改憲」を強行することができたのである。

しかし、集団的自衛権という一国の命運に関わる大問題を、閣議だけで決定して良いものだろうか。憲法自衛隊についての規定が無いまま、活動の範囲を広げていくのは、立憲主義をかかげる法治国家として異常ではないか。

 

戦前のような軍部の暴走を防ぐためには、憲法自衛隊について明記して、シビリアン・コントロールを常に有効にしておくことが必要なのだ。

 

一方、デモが無意味だとは思わないが、かつての安保闘争で明らかなように、デモで日本の政治を変えられるとは思えない。


護憲派平和主義者は、もう一度結集し、自公に代わって国政を担い得る体制を構築すべきだろう。そして、閣議決定による「解釈改憲」ではなく、正々堂々と自衛隊の役割を明記した「憲法改正」を提示して総選挙を戦い、国民に信を問うべきだろう。

 

これは憲法前文の平和主義と矛盾しているようだけれど、このギリギリの緊張を保ちつつ、一国平和主義を超えて、東アジア、さらに全世界の大胆な軍縮をめざしていかなければならない。

 

長期的には、中国北朝鮮を含めて世界の国々は、軍拡を止めて軍縮を進め、軍事力に頼らない安全保障を構築するのが、賢明だ。その理想を捨ててはいけない。

 

責任をもってこの難しい舵取りを担うのは誰だろうか?

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140701/k10015658171000.html