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集団的自衛権の限定行使は違憲か?

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(砂川闘争 1955年頃)


今回の安保法案によって実現される、集団的自衛権の限定行使は、違憲でしょうか。ズバリ答えを申します。違憲ではありません。

政府与党が説明しているとおり、1959(昭和34)年の「砂川判決」で最高裁は以下のように明言しています。

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裁判要旨

二 憲法第九条は、わが国が敗戦の結果、ポツダム宣言を受諾したことに伴い、日本国民が過去におけるわが国の誤つて犯すに至つた軍国主義的行動を反省し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、深く恒久の平和を念願して制定したものであつて、前文および第九八条第二項の国際協調の精神と相まつて、わが憲法の特色である平和主義を具体化したものである。

三 憲法第九条第二項が戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となつて、これに指揮権、管理権を行使することにより、同条第一項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起すことのないようにするためである。

四 憲法第九条はわが国が主権国として有する固有の自衛権を何ら否定してはいない。

五 わが国が、自国の平和と安全とを維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置を執り得ることは、国家固有の権能の行使であつて、憲法は何らこれを禁止するものではない。

六 憲法は、右自衛のための措置を、国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事措置等に限定していないのであつて、わが国の平和と安全を維持するためにふさわしい方式または手段である限り、国際情勢の実情に則し適当と認められる以上、他国に安全保障を求めることを何ら禁ずるものではない。

七 わが国が主体となつて指揮権、管理権を行使し得ない外国軍隊はたとえそれがわが国に駐留するとしても憲法第九条第二項の「戦力」には該当しない。

八 安保条約の如き、主権国としてのわが国の存立の基礎に重大な関係を持つ高度の政治性を有するものが、違憲であるか否の法的判断は、純司法的機能を使命とする司法裁判所の審査に原則としてなじまない性質のものであり、それが一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外にあると解するを相当とする。

九 安保条約(またはこれに基く政府の行為)が違憲であるか否かが、本件のように(行政協定に伴う刑事特別法第二条が違憲であるか)前提問題となつている場合においても、これに対する司法裁判所の審査権は前項と同様である。

一0 安保条約(およびこれに基くアメリカ合衆国軍隊の駐留)は、憲法第九条、第九八条第二項および前文の趣旨に反して違憲無効であることが一見極めて明白であるとは認められない。

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憲法学者がどんなに「違憲だ」と言っても、彼らは法令が合憲か違憲か、判決をくだす権限がありません。

最高裁は、安保条約の如き高度の政治性を有するものについては、裁判所の司法審査の範囲外だ、と述べています。

よって、国会で最終的に安保法案が可決されたならば、「安保法案は違憲だ」と裁判所に訴えても、勝ち目はないでしょう。

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日米安保条約

前文
 日本国及びアメリカ合衆国は、(中略)両国が国際連合憲章に定める個別的又は集団的自衛の固有の権利を有していることを確認し、両国が極東における国際の平和及び安全の維持に共通の関心を有することを考慮し、相互協力及び安全保障条約を締結することを決意し、よつて、次のとおり協定する。

第三条
 締約国は、個別的に及び相互に協力して、継続的かつ効果的な自助及び相互援助により、武力攻撃に抵抗するそれぞれの能力を、憲法上の規定に従うことを条件として、維持し発展させる。

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日米安保条約を読めばわかるように、この日米関係は本来、双務性を含んでおり、集団的自衛権を行使する同盟関係なのです。片務性の同盟関係というものは、いびつで異常なものです。

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国連憲章第51条
「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない」

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憲法第9条の平和主義は、憲法前文が前提条件になっています。すなわち、国連を中心とした国際協調による集団安全保障体制が構築されるということです。これは、カントが『永遠平和のために』で説いた理想です。

第二次大戦後、国連軍が中心となって、世界の平和な秩序を維持することが期待されました。しかし、安全保障理事会常任理事国が持つ拒否権のために、戦後70年を経た今も、常設の国連軍は実現していません。

だから国連憲章は、それが実現するまでは、個別的また集団的な自衛権を、すべての国が持つ固有の権利として認めているのです。

これが日米安保条約=日米同盟の背景です。砂川判決は、このような事情に関して、最高裁の判断を示しているのです。

問題の本質は、GHQの統治下で、日米安保体制=日米同盟と日本国憲法がワンセットで作られたということであり、その戦後体制は今日まで継続しています。すなわち、日本の安全保障は米国の軍事力に依存しており、安全保障の問題に関して日本政府は米国政府の方針に追従する他ないのです。

これを良いと考えるか、仕方がないと考えるか、変えるべきだと考えるか。変えるなら、具体的に何をどうするのか。いろいろな意見があるでしょうけれど、この戦後体制の枠組みの存在は、認めざるを得ないでしょう。

そこから議論を始めないと、話が噛み合わず、空転してしまうのかもしれません。


  <参照>

最高裁判例
裁判所 | 裁判例情報:検索結果詳細画面
砂川事件
砂川事件 - Wikipedia

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