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カナイノゾム研究室

聖書のメッセージや社会評論などを書いています。

命つないだ神戸のリンゴ ユダヤ難民4600人支える

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迫害から逃れて神戸にやってきたユダヤ人にリンゴを配る日本人牧師たち=斉藤真人さん提供

出典:朝日新聞デジタル
http://digital.asahi.com/articles/ASHBW4FLTHBWPIHB00R.html?rm=283

「命つないだ神戸のリンゴ ユダヤ難民4600人支える」
大川洋輔、金井和之
2015年10月28日17時25分

第2次世界大戦中、外交官だった故・杉原千畝(ちうね)氏が発給した「命のビザ」でナチス・ドイツの迫害を逃れてきたユダヤ難民を、神戸で支えた人たちがいた。米国のホロコースト博物館でボランティア講師をしているユダヤ人男性とその妻が27日、神戸を訪れ、当時の支援者の娘らに感謝を伝えた。

「あなたたちの支援を永久に忘れません。心の底からありがとうと伝えます」

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父親が神戸でユダヤ人の世話をした筒井篤子さん(右)と、戦前の写真を見ながら交流するユダヤ人夫妻=27日午後、神戸市中央区、水野義則撮影


 米国に住むサイ・スタットマウアーさん(72)とジョアンさん(71)夫妻は、神戸市灘区の筒井篤子さん(91)らに語りかけた。夫妻は杉原氏のビザで救われた先人の足跡をたどり、ゆかりの人に謝意を伝えたいと来日した。

 1940年、リトアニア領事代理だった杉原氏は、ユダヤ難民に外務省の指示に反して日本通過ビザを発給。6千人ともいわれる人が欧州から福井・敦賀にたどり着いた。このうち約4600人が米国などへ渡る前、ユダヤ人コミュニティーがあった神戸に一時滞在したとされる。

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迫害から逃れて神戸にやってきたユダヤ人にリンゴを配る日本人牧師たち=斉藤真人さん提供


 筒井さんの父、故・斉藤源八さんは当時、今の神戸市長田区にあった教会の牧師。斉藤さんらはユダヤ難民にリンゴを配るなどの支援を続けたという。当時は学生だった筒井さんは、「父はユダヤの人たちが国を持てるよう祈っていました。私も当時、神戸港から出航するユダヤの人を教会の人たちと見送りました。(迫害から逃れて神戸に来た)ユダヤの人たちはとても朗らかでした」と振り返る。

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故・斉藤源八さんが牧師をしていた教会=斉藤真人さん提供

 ユダヤ難民の大半は41年秋ごろまでに出国。翌年春に斉藤さんは特高警察に逮捕され、その後に教会も閉鎖された。

 だが、神戸でのユダヤ難民支援について、神戸市がまとめた市史に記述はなく、公的な記録はほとんど残されていないという。神戸のユダヤ人コミュニティーを研究し、今回、両者の面会を橋渡しした元神戸女子大非常勤講師の岩田隆義さん(74)は、「証言者も少なくなり、ユダヤの人たちが神戸に残したかすかな痕跡は今たどらなければ失われる。未来の人々にしっかり伝えていくのが我々の役目だ」と訴える。

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ユダヤ人6000人を救った日本の外交官・杉原千畝http://kanai.hatenablog.jp/entry/2013/04/09/183051

以下、カナイノゾムのコメントです。

杉原千畝が6000人以上のユダヤ人にビザを出して、彼らの命を救ったことについては、単純な美談ではないという批評もあります。外交には、いろいろと複雑な事情があるのでしょう。

けれど、とにかく大勢のユダヤ人がそのビザによって救われたことは、事実です。

彼らが日本を経由して米国などに逃れていく途中、神戸で良い支援活動が為された。その担い手の中心はキリスト者であり、牧師であった。

これは、覚えておきたい実話ですね。

ユダヤ人だけに限りませんが、20世紀は「難民の世紀」でした。21世紀になってもなお、難民問題は続いています。

中東やヨーロッパの難民問題が、日本にも決して無関係ではない、ということを、杉原千畝の一件は教えているように思います。

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出典:「斎藤源八」Wikipedia
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%96%8E%E8%97%A4%E6%BA%90%E5%85%AB

斎藤 源八(さいとう げんぱち、1888年12月26日 - 1970年5月6日)は戦前の日本ホーリネス教会(戦後の日本ホーリネス教団)の牧師である。

1888年(明治21年)に長野県小県郡西内村に生まれる。1906年(明治39年)に日本聖公会上田教会に出席し、同教会で1907年(明治40年)に聖公会の洗礼を受ける。

1909年(明治42年)に上京し本郷浅嘉町教会に出席する。そこで、救いの確信を得る。その後、献身して柏木聖書学院に入学する。1916年(大正5年)に卒業し仙台福音伝道館牧師になる。

兵庫県武庫郡住吉村で開拓伝道をする。1919年(大正8年)5月に按手礼を受け日本ホーリネス教会の牧師になる。1927年(昭和2年)に神戸市林田区蓮宮通の教会の牧師に転任する。1933年(昭和8年)のホーリネス教会分裂事件後に、中田重治派のきよめ教会に属し、1941年6月の日本基督教団成立時に第9部の会長になる。

1942年(昭和17年)6月のホーリネス弾圧事件で検挙される。1943年(昭和18年)4月に巣鴨拘置所に移される。1944年(昭和19年)4月に保釈される。1944年6月に求刑を受け、上告する。終戦で裁判は消滅する。

1949年(昭和24年)に創立された日本ホーリネス教団に加入する。福音十字軍の隊長として、青森から九州まで天幕伝道に従事する。神奈川県藤沢市辻堂でも開拓伝道に従事した。

1956年(昭和31年)には日本ホーリネス教団神戸教会を創立する。