KANAISM BLOG ー真っ直ぐに行こうー

聖書のメッセージやキリスト教の論説、社会評論などを書いています。

第1章 千年王国的終末論の思想史

キリスト教の終末論と千年王国

 

彼らは生き返って、キリストと共に千年の間統治した。
彼らは神とキリストの祭司となって、千年の間キリストと共に統治する。
ヨハネの黙示録第20章4,6節)

 

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  第1章 千年王国的終末論の思想史

 

 キリスト教には、「千年」を区切りと考える歴史観が、古代からある 。ただし、キリスト教にも、ヨハネの黙示録第20章の「千年」については様々な解釈がある。まず、キリスト教2000年の歴史において千年王国的終末論がどのように展開されたか、確認しよう。

 

  1 古代教会の再臨待望

 

 紀元30年にエルサレムに最初の教会が誕生してからおよそ300年間、キリスト者ユダヤ人やローマ帝国などから迫害を受けた。その苦難の中で古代のキリスト者は、間もなくキリストが再臨され、究極的な勝利を収めてくださる、という希望に生きていた。ヨハネの黙示録は終始一貫して、患難に耐えて信仰を守り通すようにと、信者を励ましている。

以上すべてを証しする方が、言われる。「然り、わたしはすぐに来る。」アーメン、主イエスよ、来てください。(ヨハネ黙示録22:20)

 

 157年頃にフルギヤのモンタノスは、新しい聖霊の時代が到来したと言って預言活動を始めた。モンタノスの熱狂的な聖霊運動は千年期説と結び付き、迫りつつある終末に備えて禁欲的な生活を実践する運動となって、急速に拡大した。 

モンタノス派 - Wikipedia

 

 リヨンの主教エイレナイオス(130年頃~200年頃)は『異端反駁』の最終巻に次のように書いている。「すなわち、回復された被造世界においては、主の現れに際して、義人がまず復活して、神によって父祖たちに約束された約束の相続を受け取り、彼らがそこにおいて統治するのである。その後に裁きが来る」。

エイレナイオス - Wikipedia

 

 カルタゴの教師テルトゥリアヌス(150年頃?~220年頃)は『マルキオンへの反論』の中で次のように述べている。「なぜなら、私たちはまた、地上において自分たちに王国が約束されていると信じているが、それは天国に先立つものである。またそれは復活の後であるから、この状態とは異なる別の状態においてである。それは千年の間続くものであり、神御自身がお造りになった都、天から降ってくるエルサレムにおいてであって……」 。テルトゥリアヌスは3世紀の初め頃にモンタノス主義の運動に加わった。
このように、キリストの再臨によって義人は復活し、地上に王国が樹立され、それが千年間続くという黙示録第20章の字義的な解釈は初期教父たちに広く見られる見解である。

テルトゥリアヌス - Wikipedia

キリスト教神学資料集〈下〉

キリスト教神学資料集〈下〉

 

 

  2 中世の異端者たち

 

 しかし、コンスタンティヌスによるキリスト教の公認(313年)とテオドシウス帝によるキリスト教国教化(392年)によって、キリストの再臨を待ち望む切なる思いは、キリスト者の中で後退していった。そして中世には、至福千年の思想は異端とみなされた。それでも千年王国論は絶えることがなかった。

中世の異端者たち (世界史リブレット)

中世の異端者たち (世界史リブレット)

 

 

 フィオレの修道士ヨアキム(1135〜1202年)は、三位一体になぞらえて歴史を父の時代、子の時代、聖霊の時代に分け、1260年に聖霊の時代=千年王国が始まると教えた。ヨアキムの終末論はフランチェスコ会聖霊に大きな影響を与えた。聖霊派の終末論は、世界の歴史を7つの時期に区分した。その第6期は聖霊派が生まれた13世紀中頃に始まっており、まもなく第7期として千年王国が始まって聖霊派が世界の主役になる、というものであった 。

フィオーレのヨアキム - Wikipedia

 

 ヨアキムが聖霊の時代が始まるとした1260年に、ジェラルド・セガレッリはパルマ使徒兄弟団を創設した。これは使徒たちに倣って、無所有の厳格な清貧生活を実践するセクトである。セガレッリは1300年に異端として火刑に処された。その後、指導者となったドルチーノは1300年に回状を書いて、独自の終末論を提示した。彼は歴史を、旧約聖書の時代、キリストからコンスタンティヌス帝までの時代、コンスタンティヌス帝から続く教会の肥大と腐敗の時代、3年以内に到来する至福千年の時代、の4つに分けた。しかし、3年経っても千年王国は到来しなかった。使徒兄弟団は異端とされ、教皇が派遣した十字軍によって壊滅させられた 。

ドルチーノ派 - Wikipedia

 

 1419年にフス派の保守派と分裂した急進派は、タボル派と呼ばれた。彼らは南ボヘミアの山中で原始教会に倣った共同生活を始めた。タボル派の多くの聖職者たちは、千年王国が間もなく到来する、と説いた 。タボル派は1434年にカトリック勢力の軍隊によって壊滅させられた。

フス戦争(1) - 反フス派十字軍: Zorac歴史エッセイ

 

  3 トーマス・ミュンツァーの終末論

 

 アウグスティヌス会の修道士であり、ルターの信奉者であったトーマス・ミュンツァー(1490頃~1525年)はタボル派の人々の影響を受けて、今、世界は終末に近づいている、と民衆に教えた。また、世界の終末の前に、トルコ人たちが世界を支配するが、神に選ばれた者たちがそれに対抗して、不信仰な者たちを皆殺しにする、と彼は教えた。1523年にアルシュテットで、ミュンツァーは市民と市参事会の支持を受けて独自の教会を形成した。1524年にミュンツァーは「神の永遠の契約団」を組織して、武装した。彼は武力によって地上に神の国を建てようとしたのである。ドイツの農民戦争(1524年5月〜1526年7月)では、農民の反乱が領主たちの連合軍によって鎮圧され、ミュンツァーは処刑された。

トマス・ミュンツァー - Wikipedia

トーマス・ミュンツァーと黙示録的終末観

トーマス・ミュンツァーと黙示録的終末観

 

 

  4 千年期前再臨説とピューリタン革命

 

 17世紀にはイギリスの神学者トマス・ブライトマンとジョゼフ・ミードが千年期前再臨説を主張した。彼らは、最後の審判の前に地上に樹立される文字通りの神の国として千年王国を理解した。彼らが「反キリスト」として想定したのは、ローマ教皇ローマ・カトリック教会であった。その影響を受けて、ピューリタン千年王国を夢見てピューリタン革命を遂行したのである 。1660年にピューリタンによる共和制政治が終わり、ステュアート王朝が復活すると、千年期前再臨説は後退していった。しかし、彼らの見解は18世紀の敬虔主義運動に引き継がれた。

 前千年王国説 - Wikipedia

千年王国を夢みた革命 (講談社選書メチエ)

千年王国を夢みた革命 (講談社選書メチエ)

 

 

  5 ディスペンセーション主義

 

19世紀には、ジョン・ダービィ等が「ディスペンセーション主義」という新しい千年期前再臨説を主張した。神の救いの計画を七つの聖約期(dispensation)に分割して、最後の7番目のディスペンセーションに千年王国を位置付ける教説である。ディスペンセーション主義は、20世紀にアメリカでファンダメンタリズムと結びついて、盛んになった 。古典的ディスペンセーション主義の聖書解釈を付した Scofield Study Bible がよく知られている。

ディスペンセーション主義 - Wikipedia

 

  6 中田重治とホーリネス教会の再臨信仰

 

 日本では、ホーリネス教会の監督・中田重治(1870〜1939年)が再臨信仰を強調して、大きな影響力を持った。中田は米国のムーディー聖書学院でディスペンセーション主義を学んだ。

中田重治 - Wikipedia

 中田は次のごとき特異な主張をした。

「日本は聖書に預言された日いずる国であり(黙示録7:2)、失われたイスラエル十部族の末裔と思われる。日本は全世界を相手にして勝ち、イスラエルの救いにあたるという使命を神から託されている。それゆえ今は、キリストの再臨とユダヤ民族の回復のために祈りに専心すべきである。そうすれば、日本民族ユダヤ民族同様、一瞬にして救われるはずである」 。

聖書より見たる日本

聖書より見たる日本

 

 

 太平洋戦争中(1941~1945年)、ホーリネス系の教職者134名が官憲によって検挙され、そのうち7名が獄死した。彼らが弾圧されたのは、「キリストが再臨して地上に千年王国を樹立し、君臨する」という教えが、天皇を神とする国体観念を妨げる、と見なされたからである。

ホーリネス弾圧事件 - Wikipedia