フィリピン・ネグロス島の話 01
20年ほど前に、筆者がフィリピンのネグロス島で、神父や農業労働者、子どもなどから聞いた話を総合して、紹介します。(簡単・大雑把ですが)。
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スペインから来た侵略者と彼らに結託した地元の有力者たちによって、農地が独占され、農民は土地無し日雇い労働者にされた。それまでこの島では土地の私有という考えが無いまま(あいまいなまま?)、皆が共に働いていた。
農閑期には仕事が無いので、収入も無く、日々食べるものに事欠く。「死の季節」と呼んでいる。主要作物である砂糖きびは、砂糖の価格が暴落したために(世界的に産地が増えたため)、労賃が非常に安くなってしまった。
貧困のために子どもは学校に十分に行けなくて、親の手伝いをして働く。学力と資金が無いから、高等教育を受けられない。子どもが学校を卒業して、良い条件の職場で働きたくても、能力と資格が足りないために、それはかなわず、やっぱり日雇い労働者として働くしかない。
選挙によってこの状況を変えたくても、投票のときには地元の有力者の監視の目があるので、指示された候補者以外を選ぶことはできない。逆らったら、日雇いの仕事がもらえなくなる。 「民主革命」が起こってアキノ政権が生まれた後も、政府はやはり10%に満たない地主・資本家の味方だ。
カトリック教会は、金がある地主・資本家の味方だったが、第二バチカン公会議(1962年~1965年)の後、貧しい人・労働者の味方に変わった。キリスト教基礎共同体(BCC:Basic Christian Community)の活動が始まって、まず、教会に集まり、「なぜ自分たちは貧しいのか」考えることから始めた。そして、自分たちの手で力を合わせて、学習、共同購入、保育、保健、水田耕作、バナナ栽培、コーヒー栽培、さとうきび栽培、砂糖製造などをするようになった。
すると、政府の軍隊が、「BCCは非合法の共産主義だ」といって、各地の村を攻撃するようになった。多くの人が殺されて、村人たちは追い出され、教会に逃げ込んだ。今も教会で避難生活を送っている人が大勢いる。
日本の人たち(ネグロスキャンペーン委員会、生協など)の支援と交流を感謝している。
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筆者が勤務していた生活クラブ生協も、ネグロスの農業労働者が山の斜面(入会地)で栽培したバナナを共同購入で扱って、支援活動に参加していました。いわゆるフェアトレードです。市販のバナナよりも値段が高いのですが、他のバナナのように防カビ剤や防腐剤などを付けていません(法律で定められた燻蒸はしています)。その代金の一部が、BCCの生活自立事業の資金となります。
BCCの活動は中南米やフィリピンで盛んに行われており、「解放の神学」という名で知られています。
カトリックの地域教会は、貧しい人々にとって重要な学びの場であり、共同購入やバナナ栽培、保健医療、民芸品製作などを行うたくさんのBCCをオーガナイズする拠点になっています。
けれども、組織的にも経済的にも活動的にも、教会とBCCには意図的に線引きが為されていました。要するに、一つ一つのBCCは、小さくとも、自主運営・自主管理の自立した組織でなければならないのです。
BCCによって、教会にしかできない宗教活動が妨げられてはならないーー。使徒行伝6章のごときルールがあって、それがそれなりに守られているようでした。教会とBCCが車の両輪のごとく回り続けるためには、その原則が重要なのだろうと思います。
当時、ネグロス島の農村では電気が無いところが大半でした。夜になると、月が明るく大きく見えました。貧しくても、子どもたちはとても明るく、フレンドリーで、目がキラキラ輝いていました。
その後、フィリピンは経済成長によって中間所得層が増えました。今は政治や経済の状況が変わりつつあるかと思います。
<関連サイト>
Alter Trade Japan | 人から人へ、手から手へ
ATJ民衆交易物語~出会う!つながる!力を出し合って切り拓く未来~ - YouTube
<推薦図書>
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