2020年5月24日 復活節第7(昇天後)主日礼拝
日本バプテスト同盟 西岡本キリスト教会
■聖書朗読 使徒言行録 1章3~11節
3イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。4そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。5ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によるバプテスマを授けられるからである」。
6さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。7イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。8あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる」。9こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。10イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、11言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる」。
■説教要旨 「聖霊による力」 金井 望
復活節の第7主日となりました。主イエスが天に昇られたのは、復活して40日目ですから、この三日前の木曜日のことです。来週は聖霊降臨祭、ペンテコステになります。ペンテコステというのはギリシア語で「50日」という意味です。主イエスが十字架で死なれた過越祭の時から50日後、〈五旬祭の日〉(2:1)にエルサレムで、弟子たちに聖霊が降って、キリスト教会が誕生しました。西岡本キリスト教会では、ちょうど来週の主日に教会総会を開くことになっています。今日は使徒言行録1章から教会の原点を共に学びたく思います。
1.約束された聖霊
この「使徒言行録」は「ルカによる福音書」の続編として書かれた文書です。著者は〈第一巻〉において、イエスの降誕から昇天までを記しました。その第一巻を閉じるにあたって、ルカは主イエスが語った次の御言葉を記しています。ルカによる福音書の24章です。
46 次のように書いてある。「メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。47また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる」と。エルサレムから始めて、48あなたがたはこれらのことの証人となる。49わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。
ルカは第二巻である使徒言行録の初めに、主イエスが弟子たちに命じたことを再び記しています。
4 エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。 5ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によるバプテスマを授けられるからである。
8あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。
ここには、教会とは誰か。教会の目的は何か。教会を動かす力は何か。その力はどうしたら、もらえるのか――ということが、明確に説かれています。教会とは〈イエス・キリストの証人〉の集まりです。教会は、天から降ってこられたイエス・キリストと出会って新生した者たちの集団です。教会の目的は、〈キリストの御名によって罪の赦しを得させる悔い改めが、あらゆる国の人々に宣べ伝えられる〉ことです。我々教会には、〈地の果てに至るまで〉キリストを証しする使命があります。
ところが、使徒たちは集まって、主イエスに尋ねました。
主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか。(1:6)
彼らは3年余り主イエスと共に生活して学び、ご復活の後も旧約聖書に記された神の計画を説き明かされたのに、まだ「神の国」を十分に理解していませんでした。
主イエスは彼らにこう説いておられました。
12言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。13しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。(ヨハネ16:12-13)
聖霊が私たちに真理を悟らせてくださるのです。教会はいわば、地上に置かれた天国の大使館です。この世的な次元でのみ物事を図る集団であってはなりません。
2.聖霊による力
教会を動かす〈力〉は、天から降る〈聖霊〉です。「力」と訳された原語はギリシア語で「デュナミス」と言い、「ダイナマイト」の語源となっている言葉です。天地万物を創造し、イエスを死者の中から復活させた力強い聖霊を与えると、天の父は約束しておられます。
弟子たちはすでに、聖霊の力によって宣教をした経験がありました。
1イエスは十二人を呼び集め、あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになった。2そして、神の国を宣べ伝え、病人をいやすために遣わすにあたり、3次のように言われた。「旅には何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも金も持ってはならない。下着も二枚は持ってはならない。4どこかの家に入ったら、そこにとどまって、その家から旅立ちなさい。5だれもあなたがたを迎え入れないなら、その町を出ていくとき、彼らへの証しとして足についた埃を払い落としなさい」。6十二人は出かけて行き、村から村へと巡り歩きながら、至るところで福音を告げ知らせ、病気をいやした。(ルカ9:1-6)
しかし、彼らはさらに「聖霊の中に沈められる」(5節直訳)必要がありました。バプテスマのヨハネはヨルダン川で彼らを水に沈めました。その如く、今や彼らは聖霊漬けにされて、聖霊の圧倒的な力を受けるのです。聖霊は〈父の約束〉を信じ、〈とどまって〉待ち望む人たちに与えられます。
この〈ガリラヤの人たち〉は〈エルサレム〉で復活されたイエスにお会いしていながら、都を離れて故郷ガリラヤに帰り、漁師に戻っていました(ヨハネ21章)。
(主を裏切った自分には、もう弟子の資格は無いし、もう宣教をする自信も無い……)
彼らはそう思って、自らの無力さに失望していたのでしょう。それでも主イエスは、彼らの手によって宣教の働きを継続することを、定めておられました。それゆえ主イエスは、慰めに満ちた御声をもって彼らを再びエルサレムに送り返されたのです。
私たちは今どこにいるでしょうか? 自分の力に頼っていたずらに走り回っているなら、疲れ果ててしまうでしょう。自分に失望しているだけなら、逃げて自分の殻にこもってしまうでしょう。主イエスは、このような弱く愚かな情けない私たちを、責めてはおられません。主はあえて、こんな私たちを選ばれたのです。
3.聖霊を求める祈り
当時、120人ほどいたイエスの弟子たちは、それから10日間、一軒の屋敷に集まって、熱心に祈り続けました(1:14-15)。〈一同が一つになって集まっていると〉(2:1)、聖霊が弟子たちに降りました。やはり我々キリスト者は、共に集まることが大切です。共に礼拝することが大切です。共に祈ることが大切です。
現代の教会では多様な活動が展開されています。それは良いことでしょう。しかし、ともすると、周辺的・付属的な活動に振り回されて、教会独自の使命が見失われ、中心的な営みがおろそかになることも無いわけではないでしょう。その結果、教会そのものが沈滞し、消失することさえあります。
何よりも、約束の聖霊を求めて、共に祈り、待ち望もうではありませんか!